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'''佳藝電視'''(佳視[Commercial Televsion])[[香港]]にかつて存在した[[テレビ]]放送局である。[[1975年]][[9月7日]]に放送開始したが、か3年後の[[1978年]][[8月22日]]に倒産し、放送を停止した。
'''佳藝電視'''(佳視Commercial Televsion)は[[香港]]にかつて存在した[[テレビ]]放送局である。[[1975年]][[9月7日]]に放送開始したが、わずか3年後の[[1978年]][[8月22日]]に倒産し、放送を停止した。



==歴史==
==歴史==
[[1973年]]、当時の[[香港政庁]]の方針で、テレビの放送局数を、[[広東語]]・[[英語]]それぞれ1チャンネルずつ増加る事となり、経営希望者を募集の結果、[[香港商業ラジオ|商業ラジオ(商業電台)]]を中心としたグループが[[広東語]]による放送権を獲得し、ちに放送局設置の準備に入った。なお、英語による放送権は現在の[[亜州電視|亜洲電視]](ATV)が獲得した。
[[1973年]]、当時の[[香港政庁]]の方針で、テレビの放送局数を、[[広東語]]・[[英語]]それぞれ1チャンネルずつふやこととなり、経営希望者を募集の結果、[[香港商業ラジオ|商業ラジオ(商業電台)]]を中心としたグループが[[広東語]]による放送権を獲得し、ただちに放送局設置の準備に入った。なお、英語による放送権は現在の[[亜州電視|亜洲電視]](ATV)が獲得した。


[[1975年]][[9月7日]]、香港第3のテレビ局として開局した。開局直後より、自社作の[[テレビドラマ]]や、[[秘密戦隊ゴレンジャー]]などの日本の放送局が作した番組を放送したが、[[金庸]]原作の小説をドラマ化した番組は演出方法や出演者の評価が高く、香港のテレビドラマにおける歴史的作品となっている。
[[1975年]][[9月7日]]、香港第3のテレビ局として開局した。開局直後より、自社作の[[テレビドラマ]]や、[[秘密戦隊ゴレンジャー]]などの日本の放送局が作した番組を放送したが、[[金庸]]原作の小説をドラマ化した番組は演出方法や出演者の評価が高く、香港のテレビドラマにおける歴史的作品となっている。


一方で、放送権交付の条件として、ゴールデンアワーに[[教育番組]]を[[コマーシャル]]しで放送しなければならないなど、後発の放送局として不利な条件も数多く存在しており、これが経営悪化要因となった。
一方で、放送権交付の条件として、ゴールデンアワーに[[教育番組]]を[[コマーシャル]]しで放送しなければならないなど、後発の放送局として不利な条件も数多く存在しており、これが経営悪化要因となった。


==突然の放送停止==
==突然の放送停止==
開局3年目の[[1978年]]を迎え、ドラマ『[[射鵰英雄傳]]』を始めとする番組のつかは高視聴率を獲得していたが、内部的には経営状況は一向に好転せず、累積欠損額が増加していった。そして、[[8月22日]]の朝、経営陣が経営を継続するが困難になったとの声明を突如発表、放送停止した。その後、[[10月19日]]に会社清算手続きがられ、佳藝電視は消滅した。
開局3年目の[[1978年]]を迎え、ドラマ『[[射鵰英雄傳]]』を始めとする番組のいくつかは高視聴率を獲得していたが、内部的には経営状況は一向に好転せず、累積欠損額が増加していった。そして、[[8月22日]]の朝、経営陣が経営を継続することが困難になったとの声明を突如発表、放送停止した。その後、[[10月19日]]に会社清算手続きがられ、佳藝電視は消滅した。


==その後==
==その後==
佳藝電視のどの従業員や所属タレントたちには、放送停止を事前に知らされておらず、香港政庁に対して放送再開に向けての援助を申し入れたものの受け入れられなかった、既存の2放送局や、映画作会社への転職を余儀なくされた。しかしながら、彼らは転職先の放送局で優れた番組を輩出し、その後の香港テレビ界の発展に寄与した。また、映画界に転職したスタッフには[[ツイ・ハーク]]がいる。
佳藝電視のほとんどの従業員や所属タレントたちには、放送停止を事前に知らされておらず、香港政庁に対して放送再開に向けての援助を申し入れたものの受け入れられなかったため、既存の2放送局や、映画作会社への転職を余儀なくされた。しかしながら、彼らは転職先の放送局で優れた番組を輩出し、その後の香港テレビ界の発展に寄与した。映画界に転職したスタッフには[[ツイ・ハーク]]がいる。


一方香港政庁新たな地上波放送局の設置を許可しなかった、現在に至るまで、香港の地上波テレビ局は2局体制で推移してゆくとなった。
香港政庁は新たな地上波放送局の設置を許可しなかったため、現在に至るまで、香港の地上波テレビ局は2局体制で推移してゆくこととなった。


本社スタジオについては、まだ設備も新しかったから、[[無綫電視]]が番組収録用スタジオとして利用していたが、[[1987年]]からは[[香港電台|香港ラジオテレビ]]のテレビ作部門が使用し、現在に至っている。
本社スタジオについては、まだ設備も新しかったことから、[[無綫電視]]が番組収録用スタジオとして利用していたが、[[1987年]]からは[[香港電台|香港ラジオテレビ]]のテレビ作部門が使用し、現在に至っている。


==主な番組==
==主な番組==
==香港作番組==
==香港作番組==
*[[武則天]]
*[[武則天]]
*[[射鵰英雄傳]]
*[[射鵰英雄傳]]
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*[[雪山飛狐]]
*[[雪山飛狐]]


==海外作番組==
==海外作番組==
*[[ウルトラセブン]]
*[[ウルトラセブン]]
*[[秘密戦隊ゴレンジャー]]
*[[秘密戦隊ゴレンジャー]]

2009年12月4日 (金) 12:28時点における版

佳藝電視
繁体字 佳藝電視
簡体字 佳艺电视
発音記号
旧佳藝電視本社スタジオ(現・香港ラジオテレビのテレビハウス)

佳藝電視(佳視、Commercial Televsion)は香港にかつて存在したテレビ放送局である。1975年9月7日に放送開始したが、わずか3年後の1978年8月22日に倒産し、放送を停止した。

歴史

1973年、当時の香港政庁の方針で、テレビの放送局数を、広東語英語それぞれ1チャンネルずつふやすこととなり、経営希望者を募集の結果、商業ラジオ(商業電台)を中心としたグループが広東語による放送権を獲得し、ただちに放送局設置の準備に入った。なお、英語による放送権は現在の亜洲電視(ATV)が獲得した。

1975年9月7日、香港第3のテレビ局として開局した。開局直後より、自社制作のテレビドラマや、『秘密戦隊ゴレンジャー』などの日本の放送局が制作した番組を放送したが、金庸原作の小説をドラマ化した番組は演出方法や出演者の評価が高く、香港のテレビドラマにおける歴史的作品となっている。

一方で、放送権交付の条件として、ゴールデンアワーに教育番組コマーシャルなしで放送しなければならないなど、後発の放送局として不利な条件も数多く存在しており、これが経営悪化要因となった。

突然の放送停止

開局3年目の1978年を迎え、ドラマ『射鵰英雄傳』を始めとする番組のいくつかは高視聴率を獲得していたが、内部的には、経営状況は一向に好転せず、累積欠損額が増加していった。そして、8月22日の朝、経営陣が、経営を継続することが困難になったとの声明を突如発表、放送停止した。その後、10月19日に会社清算手続きがとられ、佳藝電視は消滅した。

その後

佳藝電視のほとんどの従業員や所属タレントたちには、放送停止を事前に知らされておらず、香港政庁に対して放送再開に向けての援助を申し入れたものの受け入れられなかったため、既存の2放送局や、映画制作会社への転職を余儀なくされた。しかしながら、彼らは転職先の放送局で優れた番組を輩出し、その後の香港テレビ界の発展に寄与した。映画界に転職したスタッフにはツイ・ハークがいる。

香港政庁は新たな地上波放送局の設置を許可しなかったため、現在に至るまで、香港の地上波テレビ局は2局体制で推移してゆくこととなった。

本社スタジオについては、まだ設備も新しかったことから、無綫電視が番組収録用スタジオとして利用していたが、1987年からは香港ラジオテレビのテレビ制作部門が使用し、現在に至っている。

主な番組

香港制作番組

海外制作番組