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* [[江戸時代]]の[[高家 (江戸時代)|高家]]の一族。本姓は[[源氏]]。 ⇒ '''[[#品川氏 (清和源氏)]]''' |
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江戸時代に品川氏の末裔とする一族が[[長州藩]]にあった(安芸品川氏)。 |
江戸時代に品川氏の末裔とする一族が[[長州藩]]にあった(安芸品川氏)。 |
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* [[落合義明]]『中世東国の「都市的な場」と武士』([[2005年]]) ISBN 978-4634523418 |
* [[落合義明]]『中世東国の「都市的な場」と武士』([[2005年]]) ISBN 978-4634523418 |
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* 『品川区史 通史編 上巻』 |
* 『品川区史 通史編 上巻』 |
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[[今川氏真]]の次男[[品川高久]]から始まる。(なぜ今川姓ではないかというと、[[徳川家康]]から「今川の姓は宗家に限る」と言われ、今川宗家以外は品川姓を名乗った。) |
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'''品川氏'''(しながわし)は、[[江戸時代]]の[[高家 (江戸時代)|高家]]のひとつ。[[今川氏真]]([[今川義元]]の子)の次男[[品川高久]]が徳川幕府に出仕したことにはじまる。[[本姓]]は[[源氏]]。 |
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今川の名字は嫡流のみという由緒を重んじた[[徳川秀忠]]が命じたため、高久が屋敷のある品川を名字としたものである。 |
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=== 高家品川氏歴代当主 === |
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* 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年) |
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2009年11月26日 (木) 07:26時点における版
品川氏(しながわし)
- 鎌倉時代から室町時代にかけて活動した一族。本姓は紀氏。品河氏とも。 ⇒ #品川氏 (紀氏)
- 武田氏(安芸武田氏)、のち益田氏に仕えた一族。品川信定、品川将員(大膳)を輩出した。
- 江戸時代の高家の一族。本姓は源氏。 ⇒ #品川氏 (清和源氏)
品川氏(紀氏)
長谷雄流の紀氏は実直の頃、国衙の関係者として武蔵国に土着した。一族には品川氏の他に、大井氏・春日部氏・堤氏・潮田氏が居る。なお春日部氏は源頼政の郎党であったと考えられる。
品川清実は1184年(元暦元年)8月、源頼朝に雑公事免除され、国衙領であった品川郷を与えられた。1185年(文治元年)2月、源範頼の下で豊後上陸に関わる水軍の「先登」に選ばれた。その後も品川氏は、大井氏と共に頼朝の「随兵」に選ばれるなど厚遇され、武蔵国の国府津である品川湊を任された。
品川氏は、伊勢から品川までの太平洋航路にも関わっていたと考えられる。紀氏は伊勢国と関係のある一族で、品川氏も伊勢国員弁郡曾原御厨に所領があった。1242年(仁治3年)頃、伊豆国の田代氏と婚姻関係があった。
品川氏にはこの他に陸奥国長世保弘長郷、和泉国草部郷に所領があった。1221年(承久3年)の承久の乱における「宇治川の合戦」での戦功により、近江国三宅郷が与えられた。その後、紀伊国粉河寺領丹生屋村も所領となった。丹生屋村は、高野山領名手荘との相論が有名で、品川氏も一方の当事者として争いに巻き込まれた。また安芸国にも所領があったという説がある。これらは戦乱や相続によって逸散したようだが、一族は西遷して行ったようでもある。
1424年(応永31年)、足利持氏に(館とその周辺を除く)品川郷を没収される。上杉禅秀の乱に関与した為という説がある。
江戸時代に品川氏の末裔とする一族が長州藩にあった(安芸品川氏)。
参考文献
- 落合義明『中世東国の「都市的な場」と武士』(2005年) ISBN 978-4634523418
- 『品川区史 通史編 上巻』
品川氏 (清和源氏)
品川氏(しながわし)は、江戸時代の高家のひとつ。今川氏真(今川義元の子)の次男品川高久が徳川幕府に出仕したことにはじまる。本姓は源氏。
家系は清和源氏の一流 河内源氏の流れを汲む足利一門、吉良氏の傍流 今川氏の庶家ということになる。
今川の名字は嫡流のみという由緒を重んじた徳川秀忠が命じたため、高久が屋敷のある品川を名字としたものである。
高家品川氏歴代当主
参考文献
- 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)