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2009年11月13日 (金) 12:47時点における版

エサ=ペッカ・サロネン

エサ=ペッカ・サロネンEsa-Pekka Salonen, 1958年6月30日 - )はフィンランド作曲家指揮者1984年アメリカ合衆国デビューを果たして以来、ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と音楽監督を兼任している。

ヘルシンキシベリウス音楽院ホルン演奏と作曲を学ぶ。同級生の作曲家マグヌス・リンドベルイと実験音楽合奏団「トイミー」(Toimiiフィンランド語で「それは作用する」の意)を結成。その後、フランコ・ドナトーニとニコロ・カスティリオーニのもとで作曲の研鑽を積む。当初は作曲活動に専念したが、急遽ロンドンマイケル・ティルソン・トーマスの代役としてフィルハーモニア管弦楽団マーラー作曲交響曲第3番の公演を引き受けることとなり、指揮者としての経歴が開始された。その後も1985年から1994年までフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者を務めてきた。

1985年からスウェーデン放送交響楽団の首席指揮者に、また1991年からロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任し、現代音楽の演奏と録音に献身してきた。ヴィトルド・ルトスワフスキの交響曲第3番の世界初録音は、1985年度グラモフォン賞現代音楽部門最優秀録音に選ばれた。

サロネンの作品には、フランツ・カフカの『判決』から題名をとったサクソフォーン協奏曲『…一瞥して何も気付かず…』(...auf den ersten Blick und ohne zu wissen..., 1980年)や、スタニスワフ・レムのテクストによるソプラノのためのFloof1982年)、管弦楽曲『ロサンジェルス変奏曲』(L.A. Variations, 1996年)がある。作曲活動に没頭できるように2000年に1年間の休息をとり、その間にホルン独奏曲『演奏会用練習曲』(Concert Étude )や、アンシ・カルトゥネンロンドン・シンフォニエッタのためのチェロ作品や管弦楽曲を作曲した。

サロネンは現代音楽だけでなく、シベリウスニールセンラーションなどの20世紀前半~中頃に活躍した北欧の作曲家の紹介にも取り組んでいる。

外部リンク

先代
ヘルベルト・ブロムシュテット
スウェーデン放送交響楽団
首席指揮者
1984 - 1995
次代
エフゲニー・スヴェトラーノフ
先代
アンドレ・プレヴィン
ロサンジェルス・フィルハーモニック
音楽監督
1992 - 2009(予定)
次代
グスターボ・ドゥダメル
先代
クリストフ・フォン・ドホナーニ
フィルハーモニア管弦楽団
首席指揮者
2008(予定)-
次代