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*<span style="font-size:90%;">『[[後漢書]]』列伝64下付・袁譚伝 |
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2009年10月17日 (土) 14:42時点における版
馬 延(ば えん、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の武将。
正史の事跡
姓名 | 馬延 |
---|---|
時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
出身地 | 〔不詳〕 |
職官 | 大将 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 袁尚→曹操 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
袁尚配下の大将。建安9年(204年)、鄴を守備する袁尚の参謀審配を救援するため、袁尚に従って曹操と戦ったが、敗北を積み重ねた。袁尚は降伏の使者を曹操に送ったものの容れられず、遂には、馬延が同僚の張顗と共に曹操に降伏してしまい、袁尚の軍勢は総崩れとなって中山へ敗走した。この後、馬延は史書に登場しない。
物語中の馬延
小説『三国志演義』では、この後も曹操配下として登場し、当陽の戦いで他の袁紹の降将と共に、阿斗を抱える劉備の将・趙雲を包囲したが、突破された。赤壁の戦いでは、張顗と共に敗走する曹操を護衛したが、追撃してきた呉将甘寧に張顗共々討ち取られる。