「クリック (プロレス)」の版間の差分

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'''クリック'''('''The Kliq'''または'''Clique''')とは、[[1990年代]]半ばの[[WWE|WWF]]のバックステージでの[[プロレスラー]]たちのグループの名称。このグループは、ブッキング上で(試合の日程や勝ち負けの決定など)大きな力を持ち、グループ以外の人間に公正ではなかったと一部では言われている。
 
グループのメンバーは、'''[[ショーン・マイケルズ]]''''''[[ケビン・ナッシュ]]''''''[[スコット・ホール]]''''''[[ショーン・ウォルトマン]]'''、そして'''[[トリプルH|ポール・レヴェック]]'''であった。[[1996年、クリックは「カーテンコール」と呼ばれる]][[5月19日]]、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]での[[ハウスショー]]で起こった「'''カーテンコール'''」と呼ばれる、リング上のキャラクター破りの事件で知られている。この事件によって、次に続くWWFのストーリーラインの展開に大きな影響を与えてしまった。
 
また、クリックはWWFの'''[[D-ジェネレーションX]]'''[[WCW]]'''[[ニュー・ワールド・オーダー|nWo]]'''という、プロレス史に残る二つの2大ヒールユニットのきっかけにもなった。
 
== WWFでの結成まで ==
クリックとは、実生活での友人であった[[ショーン・マイケルズ]][[ケビン・ナッシュ]](ディーゼル)[[スコット・ホール]](レイザー・ラモン)[[ショーン・ウォルトマン ("1]](1-2-3キッド"、またはX-パック)[[トリプルH|ポール・レヴェック (]](ハンター・ハースト・ヘルムスリー、のちにトリプルH)H)の5人で構成された。[[1995年]]までには、彼らは[[WWE|WWF]]内部でブッキング上大きな力を持つようになっていた<ref name=sd>{{cite web|url=http://www.wrestleview.com/faq/?style=dark&article=shanedouglas|title=FAQ: Shane Douglas|publisher=WrestleView.com|accessdate=2008-08-15}}</ref>。[[ピーター・ポラコ|ジャスティン・クレディブル]]もまた彼らの親友で、時々メンバーの一員に加えられた。マイケルズによると "クリック" という名前はもともと[[レックス・ルガー]]が付けたもので、バックステージでの5人の仲間の親密さから付けられた (clique(Cliqueで徒党という意味)<ref name=hbk-p206>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink=Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|page=206}}</ref>。ビンス・ルッソーの提案で、マイケルズは彼のファンを「クリック(Kliq)(Kliq)」と呼び始めたが<ref name=hbk-p230>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink=Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|page=230}}</ref>、彼はこのアイデアを嫌い、ファンの間ではそれほど流行らなかったという<ref name=hbk-p230/>。
 
1995年10月、 クリックは、ミニ[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]『イン・ユア・ハウス4』興行のにおける[[WWE・インターコンチネンタル王座|WWFインターコンチネンタル王座]]戦で、シェイン・ダグラス(ディーン・ダグラス)をマイケルズに勝たせる決定に不満を持った<ref name=sd/>。しかし彼らは最終的に、マイケルズが本当に負けたと見えないように、負傷による王座返上でダグラスに失格により負タイトルを明ることで王座を失う渡すことに決定した<ref name=sd/>。そのPPV興行で、ダグラスは失格により不戦勝で新IC座を奪者となったのだが、その夜同日にクリックのメンバーであるスコット・ホール (レイザー・ラモン)負け破れしまう王座から陥落<ref name=sd/>。ダグラスはこの出来事で激怒し、会社を訴えると脅してライバル団体の[[ECW]]へと移籍した<ref name=sd/>。
 
すぐ後に、カール・ーレット(ジャン・ ピエール・ラフェット)を巻き込んだ別の事件が[[モントリオール]]の興行で起こった。ラフェットはモントリオールが地元であったために、当時の[[WWE王座|WWF世界王者]]ケビン・ナッシュとの対戦で勝つ[[プロレス#台本(ブック)|ブック]]を与えられた。しかし試合の直前になって、ラフェットはバックステージで、ナッシュを負けさせてはいけないというマイケルズの議論に取り込まれた<ref name="SLAM! Interview 2008">{{cite web|first=Jason|last=Clevett|title=Ouellet wants another run with WWE|url=http://slam.canoe.ca/Slam/Wrestling/2008/07/28/6288341.html|publisher=[[Canadian Online Explorer]]|work=Slam! Sports|date=2008-08-06|accessdate=2008-08-06}}</ref>。二人両者の試合は両者リングアウトで終わった<ref name=ouelett-slamsports>{{cite web|url=http://slam.canoe.ca/SlamWrestling/ouellet.html|title=Pierre Carl Ouellet Profile|publisher=[[Canadian Online Explorer]]|work=Slam! Sports|accessdate=2008-08-06}}</ref>。ラフェットはその後すぐ団体WWFを離れた。噂とは正反対に、[[ビンス・マクマホン]]はラフェットを解雇しなかった、とマイケルズは主張している<ref name=hbk-p206/>。
 
== カーテンコール ==
クリックについて語られることで最も多いのが "カーテンコール事件" である。[[1996年]]5月19日、[[マディソン・スクエア・ガーデン|MSG]]での興行で、ウォルトマンを除くクリックのメンバー全員が関わった<ref name=moon156>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=156}}</ref>。この事件当時、ホールとナッシュはWWFを離れてライバル団体の[[WCW]]に移籍しようとしていた<ref name=hbk-p226>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink = Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|pages=226–228}}</ref>。この日のメインイベントで、[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]のマイケルズは、[[ヒール (プロレス)|ヒール]]のナッシュ(悪役"ディーゼル"として)との[[デスマッチ#金網デスマッチ|ケージマッチ]]を戦った<ref name=moon156/>。試合が終わるとすぐに、リングに上がったホールはマイケルズを抱擁した。ここまでは、両者ともにベビーフェイスであったため問題がなかった。そらしかしその後、アンダーカードで悪役ヒールとして対戦試合をていたレヴェックが抱擁に加わった。結局最終的には敗れてマットに倒れていたナッシュも加わり、4人で観客に対し向け "[[カーテンコール]]" 行った<ref name=moon156/><ref name=hbk-p226/>。
 
彼らのカーテンコールの行動は、当時、ベビーフェイスとヒールの関係は現実のもので彼らはリングの外においても友人ではないという幻想を維持したいと考えていたWWF経営首脳陣を憤慨させた<ref name=moon157>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=157}}</ref>。さらにWWF経営陣は、この興行をカメラで撮影していたファンがいたことを予期していなかった。この撮影したテープは、翌年の[[1997年]]10月6日の[[WWE・ロウ|ロウ・イズ・ウォー]]で、マイケルズとヘルムスリーが、[[ビンス・マクマホン]]を怒らせる意図でストーリーライン上で使用された<ref name=toa-oct6-97>{{cite web|first=John|last=Petrie|title=Monday Night Raw: October 6, 1997|publisher=The Other Arena|url=http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archiveurl=http://web.archive.org/web/20030610164804/http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archivedate=2003-06-10|accessdate=2008-08-07}}</ref>。マイケルズは当時WWF王者で、団体のトップスターの1人であったために罰せられなかった<ref name=hbk-p226/>。ホールとナッシュはすぐにWCWに去ったため、残ったレヴェック1人だけに罰が下され、メインイベントのタイトルマッチを外されて前座の試合で[[ジョブ (プロレス)#ジョバー|ジョバー]]役を回されるようになった<ref name=time>{{cite video|title=It's Our Time|people=[[Triple H|Levesque, Paul]]; [[Chyna|Laurer, Joanie]]|date2=1999-11-23|medium=[[VHS]]|url=http://www.amazon.com/WWE-Its-Time-Beau-Billingslea/dp/B00002EPGA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=video&qid=1218479701&sr=1-1|accessdate=2008-08-11|publisher=[[World Wrestling Entertainment|World Wrestling Federation]]}}</ref>。しかし彼は、この5ヶ月後には[[WWE・インターコンチネンタル王座|WWF・IC王座]]を手に入れる。
クリックについて語られることで最も多いのが"カーテンコール事件"である。1996年5月19日、MSGでの興行で、ウォルトマンを除くクリックのメンバー全員が関わった<ref name=moon156>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=156}}</ref>。この事件当時、ホールとナッシュはWWFを離れてライバル団体のWCWに移ろうとしていた<ref name=hbk-p226>{{cite book|title=Heartbreak & Triumph: The Shawn Michaels Story|first=Shawn|last=Michaels|authorlink = Shawn Michaels|coauthors=Feigenbaum, Aaron|isbn=1-4165-2645-5|publisher=[[Simon & Schuster]]|origmonth=November|origyear=2006|pages=226–228}}</ref>。この日のメインイベントで、ベビーフェイスのマイケルズは、ナッシュ(悪役"ディーゼル"として)とのケージマッチを戦った<ref name=moon156/>。試合が終わるとすぐに、リングに上がったホールはマイケルズを抱擁した。ここまでは、両者ともにベビーフェイスであったため問題がなかった。そらその後、アンダーカードで悪役として対戦していたレヴェックが抱擁に加わった。結局は敗れてマットに倒れていたナッシュも加わり、4人で観客に対して"カーテンコール"をした<ref name=moon156/><ref name=hbk-p226/>。
 
彼がアンダーカードに回されたことは、WWFの将来に大きなインパクトを持つものに変わった。"MSG事件" の前、 レベスヴェックは1996年夏の[[キング・オブ・ザ・リング|KORトーナメント]]の決勝戦にブックされていたが、彼のボジションは[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン|スティーブ・オースチン]]に代わった。最終的にこのタイトルをオースチンが勝ち取り、この時に生まれた「オースチン伝 "Austin 3:16節」" というフレーズとともにオースチンの快進撃が始まり<ref name=hbk-p226/><ref name=moon157/>、最終的にWCWとのマンデー・ナイト・ウォーズでの勝利に与することとなった。
彼らのカーテンコールの行動は、当時、ベビーフェイスとヒールの関係は現実のもので彼らはリングの外においても友人ではないという幻想を維持したいと考えていたWWF経営陣を憤慨させた<ref name=moon157>{{cite book|title=Sex, Lies, and Headlocks: The Real Story of Vince McMahon and World Wrestling Entertainment|first=Shaun|last=Assael|coauthors=Mooneyham, Mike|publisher=[[Crown Publishing Group|Crown]]|date=2002|isbn=1400051436|page=157}}</ref>。さらにWWF経営陣は、この興行をカメラで撮影していたファンがいたことを予期していなかった。この撮影したテープは、翌年の1997年10月6日の[[WWE・ロウ|ロウ・イズ・ウォー]]で、マイケルズとヘルムスリーが、[[ビンス・マクマホン]]を怒らせる意図でストーリーライン上で使用された<ref name=toa-oct6-97>{{cite web|first=John|last=Petrie|title=Monday Night Raw: October 6, 1997|publisher=The Other Arena|url=http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archiveurl=http://web.archive.org/web/20030610164804/http://otherarena.com/htm/cgi-bin/history.cgi?1997/raw100697|archivedate=2003-06-10|accessdate=2008-08-07}}</ref>。マイケルズは当時WWF王者で、団体のトップスターの一人であったために、罰せられなかった<ref name=hbk-p226/>。ホールとナッシュはすぐにWCWに去ったため、残ったレヴェック一人だけに罰が下され、メインイベントのタイトルマッチを外されて前座の試合でジョバー役を回されるようになった<ref name=time>{{cite video|title=It's Our Time|people=[[Triple H|Levesque, Paul]]; [[Chyna|Laurer, Joanie]]|date2=1999-11-23|medium=[[VHS]]|url=http://www.amazon.com/WWE-Its-Time-Beau-Billingslea/dp/B00002EPGA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=video&qid=1218479701&sr=1-1|accessdate=2008-08-11|publisher=[[World Wrestling Entertainment|World Wrestling Federation]]}}</ref>。しかし彼は、この5ヶ月後にはWWF・IC王座を手に入れる。
 
== nWoとD-ジェネレーションX ==
彼がアンダーカードに回された罰は、WWFの将来に大きなインパクトを持つものに変わった。"MSG事件"の前、 レベスクは1996年夏の[[キング・オブ・ザ・リング|KORトーナメント]]の決勝戦にブックされていたが、彼のボジションは[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン|スティーブ・オースチン]]に代わった。最終的にこのタイトルをオースチンが勝ち取り、この時に生まれた「オースチン伝3章16節」というフレーズとともに、オースチンの快進撃が始まり<ref name=hbk-p226/><ref name=moon157/>、最終的にWCWとのマンデー・ナイト・ウォーズでの勝利に与することとなった。
 
==nWoとD-ジェネレーションX==
{{main|D-ジェネレーションX|nWo|l2=nWo}}
ホールとナッシュがWCWに移籍した後、2人は[[ハルク・ホーガン]]とともに[[ニュー・ワールド・オーダー|nWo]]を結成。遅れてウォルトマンもWCWに移籍し、やはりnWoに加入した。多くのファンはケビン・ナッシュがWCWでもブッキングで勢力を持ち、自分の価値を上げようとしているのではないかと疑惑を持った。その疑惑は、連勝中の[[ゴールドバーグ]]に勝利して[[WCW・世界ヘビー級王座|WCW王座]]を奪ったこと、さらにそして「[[フィンガーポーク・オブ・ドゥーム]]」の事件でさらに深まる。しかしナッシュ自身は、これらの事件に関わるほどブッキングの力は当時持っていなかったと主張している<ref>{{cite video|title=Shoot with Kevin Nash|url=http://www.rfvideo.com/index.asp?PageAction=VIEWPROD&ProdID=3342|people=[[Kevin Nash|Nash, Kevin]]|medium=[[DVD]]|accessdate=2008-08-18|publisher=[[Rob Feinstein|RF Video]]}}</ref>。
 
一方、レヴェックとマイケルズは、[[ジョーニー・ローラー|チャイナ]]、[[リック・ルード]]と共にWWFで[[D-ジェネレーションX]]を結成<ref name=time/>。後の[[1998年]]にショーン・ウォルトマンはWWFに復帰し、X-パックと名乗ってDXに加入した。
 
nWoの手のサイン '''"ウルフヘッド"''' は、もともとWWFのクリックのメンバー内で使われていたものを、ホールとナッシュがnWoに取り入れた<ref name=circus>{{cite book|title=Wrestling's One Ring Circus|first=Scott|last=Keith|isbn=080652619X|publisher=[[Citadel Press]]|origyear=2004|page=31}}</ref>。
 
==References==
{{DEFAULTSORT:くりつく}}
[[Category:プロレス]]
[[Category:プロレスラーのユニット]]
[[Category:WWE]]
[[Category:WCW]]
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