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これに対し、インド軍は反攻を行い、カシミール地方以外のパキスタン領への侵攻も行なった。この戦争は国際社会の反発を呼び、9月20日には安全保障理事会決議211によって、停戦の実施が求められ、9月23日に停戦に至った。 |
これに対し、インド軍は反攻を行い、カシミール地方以外のパキスタン領への侵攻も行なった。この戦争は国際社会の反発を呼び、9月20日には安全保障理事会決議211によって、停戦の実施が求められ、9月23日に停戦に至った。 |
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国際連合インド・パキスタン監視団(UNIPOM)は決議211によって設立されたものであり、両国軍の停戦および戦前の位置へと撤退するのを監視することを任務としている。カシミール地方においては、従前のUNMOGIPが停戦・撤退監視を行なうが、それ以外の場所はUNMOGIPの分担地域外であり、新組織のUNIPOMが停戦・撤退監視を行なうこととなった。両国軍は1966年1月の[[タシュケント]]における合意により撤退を開始し、2月には撤退が完了した。UNIPOMの規模は最大 |
国際連合インド・パキスタン監視団(UNIPOM)は決議211によって設立されたものであり、両国軍の停戦および戦前の位置へと撤退するのを監視することを任務としている。カシミール地方においては、従前のUNMOGIPが停戦・撤退監視を行なうが、それ以外の場所はUNMOGIPの分担地域外であり、新組織のUNIPOMが停戦・撤退監視を行なうこととなった。両国軍は1966年1月の[[タシュケント]]における合意により撤退を開始し、2月25日には撤退が完了した。UNIPOMの規模は最大時で軍事要員96名が中心となり展開していたが、両軍の撤退により任務を終了し、1966年3月22日に解散した。 |
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== 外部リンク == |
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2009年8月8日 (土) 16:07時点における版
国際連合インド・パキスタン監視団 | |
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概要 | 平和維持活動 |
略称 | UNIPOM |
状況 | 活動終了 |
決議 | 安保理決議211 |
活動開始 | 1965年9月20日 |
活動終了 | 1966年3月22日 |
活動地域 | インド・パキスタン |
公式サイト | UNIPOM |
Portal:国際連合 |
国際連合インド・パキスタン監視団(こくさいれんごうインド・パキスタンかんしだん United Nations India-Pakistan Observation Mission,UNIPOM)はインド・パキスタンに展開した国際連合平和維持活動。第二次印パ戦争の停戦を目指す1965年9月20日の国際連合安全保障理事会決議211によって設立された。
概要
第一次印パ戦争の後も、カシミール地方の最終帰属は決定されず、停戦ラインに国際連合インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)の展開にも関わらず、インド・パキスタン両国の小規模な武力衝突は続いていた。1965年9月1日にパキスタン軍がカシミールのインド支配地域へ大規模な侵攻を開始し、第二次印パ戦争が勃発した。
これに対し、インド軍は反攻を行い、カシミール地方以外のパキスタン領への侵攻も行なった。この戦争は国際社会の反発を呼び、9月20日には安全保障理事会決議211によって、停戦の実施が求められ、9月23日に停戦に至った。
国際連合インド・パキスタン監視団(UNIPOM)は決議211によって設立されたものであり、両国軍の停戦および戦前の位置へと撤退するのを監視することを任務としている。カシミール地方においては、従前のUNMOGIPが停戦・撤退監視を行なうが、それ以外の場所はUNMOGIPの分担地域外であり、新組織のUNIPOMが停戦・撤退監視を行なうこととなった。両国軍は1966年1月のタシュケントにおける合意により撤退を開始し、2月25日には撤退が完了した。UNIPOMの規模は最大時で軍事要員96名が中心となり展開していたが、両軍の撤退により任務を終了し、1966年3月22日に解散した。