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ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的に[[テニス]]に専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[オーストラリア]]代表監督だった[[ハリー・ホップマン]]([[1906年]] - [[1985年]])に才能を認められ、ニューカムは[[1963年]]からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。[[1964年]]から[[1967年]]まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。[[1967年]]に、ニューカムは[[1967年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]と[[1967年全米テニス選手権|全米選手権]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会([[全豪オープン|全豪選手権]]、[[全仏オープン|全仏選手権]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米選手権]])の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。
ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的に[[テニス]]に専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・[[デビスカップ]]の[[オーストラリア]]代表監督だった[[ハリー・ホップマン]]([[1906年]] - [[1985年]])に才能を認められ、ニューカムは[[1963年]]からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。[[1964年]]から[[1967年]]まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。[[1967年]]に、ニューカムは[[1967年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]と[[1967年全米テニス選手権|全米選手権]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会([[全豪オープン|全豪選手権]]、[[全仏オープン|全仏選手権]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米選手権]])の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。


その翌年、[[1968年]]にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ[[全豪オープン]]、[[全仏オープン]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]に変更された。[[1968年]]以後のテニス記録は「オープン化時代」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。[[1970年ウィンブルドン選手権|1970年]]と[[1971年ウィンブルドン選手権|1971年]]、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。[[1973年]]には[[1973年全米オープンテニス|全米オープン]]で6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の[[1967年]]であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の[[全豪オープン]]では[[1973年全豪オープンテニス|1973年]]と[[1975年全豪オープンテニス|1975年]]の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、[[1974年]]に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。
その翌年、[[1968年]]にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ[[全豪オープン]]、[[全仏オープン]]、[[ウィンブルドン選手権]]、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]に変更された。[[1968年]]以後のテニス記録は「[[オープン化時代]]」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。[[1970年ウィンブルドン選手権|1970年]]と[[1971年ウィンブルドン選手権|1971年]]、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。[[1973年]]には[[1973年全米オープンテニス|全米オープン]]で6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の[[1967年]]であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の[[全豪オープン]]では[[1973年全豪オープンテニス|1973年]]と[[1975年全豪オープンテニス|1975年]]の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、[[1974年]]に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。


ジョン・ニューカムはダブルス選手としても優れ、同じ[[オーストラリア]]の[[トニー・ローチ]]とのペアで天下無敵の強さを発揮した。ニューカムはダブルスではすべての4大タイトルを獲得しているが(全豪5勝、全仏3勝、ウィンブルドン6勝、全米3勝=総計17勝)、そのうち12勝がローチとのコンビである。(ニューカム&ローチ組の4大大会ダブルス優勝:全豪4勝、全仏2勝、ウィンブルドン5勝、全米1勝=総計12勝)男子テニスの歴史を通じて、同一ペアですべての4大大会男子ダブルス・タイトルを獲得した組は6組だけであるが、ニューカム&ローチ組はその1つに数えられる。[[1986年]]、ニューカムはローチと一緒に[[国際テニス殿堂]]入りを果たした。
ジョン・ニューカムはダブルス選手としても優れ、同じ[[オーストラリア]]の[[トニー・ローチ]]とのペアで天下無敵の強さを発揮した。ニューカムはダブルスではすべての4大タイトルを獲得しているが(全豪5勝、全仏3勝、ウィンブルドン6勝、全米3勝=総計17勝)、そのうち12勝がローチとのコンビである。(ニューカム&ローチ組の4大大会ダブルス優勝:全豪4勝、全仏2勝、ウィンブルドン5勝、全米1勝=総計12勝)男子テニスの歴史を通じて、同一ペアですべての4大大会男子ダブルス・タイトルを獲得した組は6組だけであるが、ニューカム&ローチ組はその1つに数えられる。[[1986年]]、ニューカムはローチと一緒に[[国際テニス殿堂]]入りを果たした。
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* [[ボブ・ブライアン]]&[[マイク・ブライアン]] (ともに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[2003年全仏オープンテニス|2003年]] → [[2006年ウィンブルドン選手権|2006年]])
* [[ボブ・ブライアン]]&[[マイク・ブライアン]] (ともに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[2003年全仏オープンテニス|2003年]] → [[2006年ウィンブルドン選手権|2006年]])
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{ITHF|221|ジョン・ニューカム}}
* [http://www.tennisfame.com/famer.aspx?pgID=867&hof_id=221 国際テニス殿堂(英語)]
* {{Davis Cup|10002376|ジョン・ニューカム}}
* [http://www.daviscup.com/teams/player.asp?player=10002376 デビスカップ成績表]
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2009年7月5日 (日) 13:37時点における版

ジョン・ニューカムJohn Newcombe, 1944年5月23日 - )は、オーストラリアシドニー出身の男子テニス選手。1960年代から1970年代前半にかけて、オーストラリア・テニス界の黄金時代を築いた名選手のひとりである。フルネームは John David Newcombe (ジョン・デビッド・ニューカム)という。重いサービスとフォアハンド・ストローク、ボレーを中心に組み立てるプレー・スタイルで、芝生のウィンブルドン選手権を最も得意にした。4大大会でシングルス通算「7勝」(全豪オープン2勝、ウィンブルドン3勝、全米オープン2勝)を挙げたが、赤土のクレーコートが苦手で、全仏オープンではどうしても優勝できなかった選手の1人である。

ジョン・ニューカムは子供の頃から様々なスポーツに親しんだが、本格的にテニスに専念したのは17歳を過ぎてからだったという。当時の男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表監督だったハリー・ホップマン1906年 - 1985年)に才能を認められ、ニューカムは1963年からデビスカップのオーストラリア代表選手となった。1964年から1967年まで、ニューカムはオーストラリア・チームのデ杯4連覇に貢献した。1967年に、ニューカムはウィンブルドン選手権全米選手権4大大会2連勝を達成する。この当時、ニューカムはアマチュアのテニス選手であった。この年まで、テニス4大大会(全豪選手権全仏選手権ウィンブルドン選手権全米選手権)の出場資格はアマチュア選手に限定されていた。

その翌年、1968年にテニス史上最大の転換期が訪れ、4大大会の「オープン化」措置が実施された。これはプロテニス選手の4大大会出場を解禁する措置のことで、大会の名称もそれぞれ全豪オープン全仏オープンウィンブルドン選手権全米オープンに変更された。1968年以後のテニス記録は「オープン化時代」(Open Era)と呼ばれ、それ以前の時代とは明確に区別される。ニューカムはそれまでアマチュア選手であったが、この措置が実施された後プロ選手に転向した。1970年1971年、ニューカムはウィンブルドン選手権で大会2連覇を達成した。1973年には全米オープンで6年ぶり2度目の優勝を飾っている。ウィンブルドンと全米オープンにおいては、ニューカムの初優勝はアマチュア選手時代の1967年であったことから、これら2つの大会ではアマチュアとプロの両方の立場でタイトルを獲得する偉業を成し遂げた。地元の全豪オープンでは1973年1975年の2度優勝しているが、これらは「オープン化時代」以後にプロ選手として獲得したものである。プロ選手としてのニューカムは、シングルス32勝とダブルス41勝を記録し、1974年に男子プロテニスツアーで世界ランキング1位の座についた。

ジョン・ニューカムはダブルス選手としても優れ、同じオーストラリアトニー・ローチとのペアで天下無敵の強さを発揮した。ニューカムはダブルスではすべての4大タイトルを獲得しているが(全豪5勝、全仏3勝、ウィンブルドン6勝、全米3勝=総計17勝)、そのうち12勝がローチとのコンビである。(ニューカム&ローチ組の4大大会ダブルス優勝:全豪4勝、全仏2勝、ウィンブルドン5勝、全米1勝=総計12勝)男子テニスの歴史を通じて、同一ペアですべての4大大会男子ダブルス・タイトルを獲得した組は6組だけであるが、ニューカム&ローチ組はその1つに数えられる。1986年、ニューカムはローチと一緒に国際テニス殿堂入りを果たした。

4大大会優勝

  • 全豪オープン 男子シングルス:2勝(1973年・1975年)/男子ダブルス:5勝(1965年・1967年・1971年・1973年・1976年)
  • 全仏オープン 男子ダブルス:3勝(1967年・1969年・1973年) [全仏のみ、男子シングルス優勝なし]
  • ウィンブルドン 男子シングルス:3勝(1967年・1970年&1971年)/男子ダブルス:6勝(1965年・1966年・1968年-1970年・1974年) [男子シングルス2連覇・男子ダブルス3連覇を含む]
  • 全米オープン 男子シングルス:2勝(1967年、1973年)/男子ダブルス:3勝(1967年・1971年・1973年)/混合ダブルス:1勝(1964年)


大会 対戦相手 試合結果
1967年 ウィンブルドン選手権 ドイツの旗 ウィルヘルム・ブンゲルト 6-3, 6-1, 6-1
1967年 全米選手権 アメリカ合衆国の旗 クラーク・グレーブナー 6-4, 6-4, 8-6
1970年 ウィンブルドン選手権 オーストラリアの旗 ケン・ローズウォール 5-7, 6-3, 6-2, 3-6, 6-1
1971年 ウィンブルドン選手権 アメリカ合衆国の旗 スタン・スミス 6-3, 5-7, 2-6, 6-4, 6-4
1973年 全豪オープン ニュージーランドの旗 オニー・パルン 6-3, 6-7, 7-5, 6-1
1973年 全米オープン チェコの旗 ヤン・コデシュ 6-4, 1-6, 4-6, 6-2, 6-3
1975年 全豪オープン アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ 7-5, 3-6, 6-4, 7-6


テニス4大大会男子シングルス優勝記録
順位 回数 選手名
1位 24勝 セルビアの旗 ノバク・ジョコビッチ *
2位 22勝 スペインの旗 ラファエル・ナダル *
3位 20勝 スイスの旗 ロジャー・フェデラー
4位 14勝 アメリカ合衆国の旗 ピート・サンプラス
5位 12勝 オーストラリアの旗 ロイ・エマーソン
6位タイ 11勝 オーストラリアの旗 ロッド・レーバー | スウェーデンの旗 ビョルン・ボルグ
8位 10勝 アメリカ合衆国の旗 ビル・チルデン
9位タイ 8勝 フランスの旗 マックス・デキュジス | フランスの旗 アンリ・コシェ | イギリスの旗 フレッド・ペリー | オーストラリアの旗 ケン・ローズウォール | アメリカ合衆国の旗 ジミー・コナーズ | チェコスロバキアの旗 イワン・レンドル | アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ
*は現役選手

男子ダブルスの4冠達成ペア

外部リンク