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また、ピストンズを指揮して、それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。ピストンズ時代は[[バッド・ボーイズ]]と言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。[[アイザイア・トーマス]]、[[ビル・レインビア]]、[[デニス・ロッドマン]]などのダーティー・ヒーローたちから尊敬を受けていた。 |
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[[2009年]][[5月9日]]に永眠した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/flash/KFullFlash20090509121.html ドリームチーム監督デーリー氏が死去] スポーツニッポン 2009年5月10日閲覧</ref>。{{没年齢|1930|6|20|2009|5|9}}。 |
2009年6月20日 (土) 17:16時点における版
チャック・デーリー(Chuck Daly, 1930年6月20日 - 2009年5月9日)は、ペンシルベニア州セントメアリーズ出身の元バスケットボールコーチ。
経歴
ボストンカレッジとペンシルベニア大学でコーチを務めたあと、NBAのデトロイト・ピストンズのヘッドコーチに就任。1989年と1990年に2年連続デトロイト・ピストンズを優勝へ導き、その指導力を買われて、1992年のバルセロナオリンピックでドリームチームの指揮を取っている。
また、ピストンズを指揮して、それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。ピストンズ時代はバッド・ボーイズと言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。アイザイア・トーマス、ビル・レインビア、デニス・ロッドマンなどのダーティー・ヒーローたちから尊敬を受けていた。
その後、ロサンゼルス・クリッパーズ、ニュージャージー・ネッツ、オーランド・マジックのヘッドコーチを歴任。それぞれのチームの成績を立て直し、多くのシーズンでプレイオフに進出させることに成功している。
合計で14シーズンの間、コーチを務め、638勝437の記録を残している。これらのコーチとしての功績により1994年5月9日にバスケットボール殿堂入りを果たしている。自身はNBAでの選手歴はないが、デトロイト・ピストンズは彼の功績をたたえ、背番号2をチャック・デイリーの永久欠番とした。
脚註
- ^ ドリームチーム監督デーリー氏が死去 スポーツニッポン 2009年5月10日閲覧
外部リンク