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2009年5月20日 (水) 07:47時点における版

ママス&パパス(ママス アンド パパス、The Mamas & the Papas )は、1960年代のアメリカで活躍したフォークグループ、もしくはそのグループが作成したアルバムの題名。代表曲は『夢のカリフォルニア』。

略歴

1960年代初め、キャス・エリオットが所属していたフォークバンド「ビッグ・スリー」と、デニー・ドハーティが所属していたバンド「ハリファックス・スリー」のメンバーが合流し、「マグワンプス」が結成された。このバンドはアルバム発表も出来ないまま解散し、エリオットはカリフォルニア州でジャズ・シンガーとしての活動を始め、ドハーティはジョンとミッシェルのフィリップス夫妻が所属するフォークバンド「ニュージャーニーメン」に参加した。このニュージャーニーメンはやがてフォークロックへと姿勢を変換し、カリフォルニアに活動の場を動かした。そこで再びエリオットと合流し、1965年にママス&パパスは結成される。

そしてフィリップス夫妻によって書かれたデビューシングル『夢のカリフォルニア』が、いきなり全米4位の大ヒットとなった。次のシングル『マンデイ・マンデイ』は1位にまで昇り、ファーストアルバム『If You Can Believe Your Eye and Ears』もロングヒットを記録する。だが絶頂の最中に、ミシェル・フィリップスとデニー・ドハーティの不倫が発覚し、1966年ミシェルは夫のジョンに追い出される形でグループを脱退する。しかし適当な代役が見つからなかったため、ミシェルは結局すぐに復帰してジョンとよりを戻した。その後は、1966年発売のシングル『アイ・ソー・ハー・アゲイン』は全米5位、この曲を収録したセカンドアルバム『The Mamas & The Papas』も全米4位まで昇った。翌1967年にはモンタレー・ポップ・フェスティバルにも出演し、サードアルバム『Deliver』も全米2位に達するなど活動は好調だったが、ジョンとミシェルの夫婦仲は再び亀裂が生じ始めていた。そして1968年になるとグループは完全に崩壊し、各メンバーはそれぞれ個人的な活動を始めた。契約上制作しなければならなかった最後のアルバム『People Like Us』は、メンバーが各自で収録した曲をまとめて発売された。

関係者のその後

キャス・エリオットはソロ活動で大成功を収めたが、1974年のツアーの最中に心臓発作により死去。1980年代に入り、1960年代に活躍したバンドが次々に再結成する中、ママス&パパスも女性陣のメンバーを変更した上で再結成し、1994年には初来日も果たしている。娘のチャイナは、ブライアン・ウィルソンの2人娘カーニーとウェンディの3人でウィルソン・フィリップスを結成してヒットした。

2001年にはジョン・フィリップスが心臓疾患により死去し、デニー・ドハーティは2007年に腎不全により死去した。ミシェル・フィリップスは主に女優として活躍、『デリンジャー』(1973年)や『バレンチノ』(1976年)などの代表作がある。

メンバー