「国鉄キハ40系気動車 (2代)」の版間の差分

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酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発の DT44 形・ TR227 形もしくは DT44A 形・ TR227A 形[[空気バネ]][[鉄道車両の台車|台車]]を、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルバネ式の DT22D 形・ TR51C 形を採用した<ref>ただし、台車に逆転器を搭載しなくなった分枕梁の軽量化をしている。</ref>。いずれも駆動方式は1軸駆動で、逆転機は変速機に内蔵するため、台車にはキハ65形・キハ66系の第2減速機と同一の GB122 形減速機が裝架されている。
酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形[[空気バネ]][[鉄道車両の台車|台車]]を、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルバネ式の [[国鉄DT21形台車|DT22D 形・TR51C形]]を採用した<ref>ただし、台車に逆転器を搭載しなくなった分枕梁の軽量化をしている。</ref>。いずれも駆動方式は1軸駆動で、逆転機は変速機に内蔵するため、台車にはキハ65形・キハ66系の第2減速機と同一のGB122形減速機が裝架されている。


酷寒地形・寒地形は枕バネを空気バネとしたが、これは寒冷地域でコイルバネの間に雪が詰まって固着・凍結し、バネが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化<ref>DT44 形が 5510 kg TR227 形が 4690 kg 、重量の増した DT44A 形でも 6240 kg TR227A 形で 5400 kg である。</ref>、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸バネは通常通りコイルバネであるが、ゴムで被覆したいわゆる「エリゴバネ」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式の DT44 形(動力台車)・ TR227 形(付随台車)形であったが、以降は制輪子交換を容易にするためにそれぞれ乾式円筒案内式の DT44A 形・ TR227A 形に変更された。枕バネ方式は保守面での制約などから、空気バネを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなくボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気バネを挿入するインダイレクト方式<ref>国鉄では[[国鉄165系電車|165系急行電車]]などに大量採用された DT32 TR69 系台車で採用された支持方式である。</ref>として基本構造を DT32 系と共通化しており、空気バネ、ボルスタアンカ、 LV4-1 形空気バネ自動高さ調整装置等は同系列と同一品を使用している。枕バネを横剛性の高いダイアフラム型空気バネとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、旧態依然とした [[国鉄DT21形台車|DT22 TR51]] 系コイルバネ台車を装着する一般的な急行形気動車を超える快適な乗り心地が実現された。また、制輪子自動スキマ調整器が付きブレーキシリンダストローク調整作業も省力化されている。
酷寒地形・寒地形は枕バネを空気バネとしたが、これは寒冷地域でコイルバネの間に雪が詰まって固着・凍結し、バネが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化<ref>DT44形が5510 kg、TR227形が4690kg 、重量の増した DT44A形でも6240kg、TR227A形で5400kg である。</ref>、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸バネは通常通りコイルバネであるが、ゴムで被覆したいわゆる「エリゴバネ」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式の DT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)形であったが、以降は制輪子交換を容易にするためにそれぞれ乾式円筒案内式の DT44A形・TR227A形に変更された。枕バネ方式は保守面での制約などから、空気バネを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなくボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気バネを挿入するインダイレクト方式<ref>国鉄では[[国鉄165系電車|165系急行電車]]などに大量採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式である。</ref>として基本構造を[[国鉄DT32形台車|DT32系]]と共通化しており、空気バネ、ボルスタアンカ、LV4-1形空気バネ自動高さ調整装置等は同系列と同一品を使用している。枕バネを横剛性の高いダイアフラム型空気バネとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、旧態依然とした DT22・TR51系コイルバネ台車を装着する一般的な急行形気動車を超える快適な乗り心地が実現された。また、制輪子自動スキマ調整器が付きブレーキシリンダストローク調整作業も省力化されている。


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2009年3月23日 (月) 12:31時点における版

キハ40系気動車(キハ40けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1977年から普通列車用に製造した一般形気動車のグループである。これは国鉄車両称号規程に規定された正式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形(2代)、キハ47形キハ48形の3形式及びこれらの改造により発生した派生形式を指す。

概要

1982年までに計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。2008年現在でもJR旅客鉄道各社に多数が在籍し、主に普通列車用として広く用いられている。

電車に近い車体構造の大型気動車で、客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られている。その一方で、それ以前の在来型気動車と比較してエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はほとんど向上していない。

客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2ヶ所に設置した片運転台のキハ47形に大別されるが、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いや、トイレの有無などによって番台区分されている。国鉄分割民営化後は、各社毎に使用線区の事情に応じた改造がきめ細かに実施され、派生形式や区分番台が多くなっている。なお、近年では事故や災害、地方路線の運用見直しや、より高性能な新型気動車への置き換えにより廃車や保留車が発生している。

キハ40系 新造時形式・番台別特徴一覧
運転台 客扉 形式 番台区分 仕向け地 枕ばね デッキ トイレ 両数 製造年 備考
片開き キハ40 100 酷寒 空気 150 50年度3次債務~56年度1次債務
500 94 50年度2次債務~56年度1次債務
2000 コイル 148 53年度1次債務~56年度1次債務
両開き キハ47 0 コイル 193 50年度3次債務~56年度1次債務
1000 134 52年度1次債務~56年度1次債務
500 空気 22 52年度1次債務~54年度2次債務
1500 21 52年度1次債務~54年度2次債務
片開き キハ48 0 暖・準寒 コイル 6 55年度1次債務~56年度本予算
1000 4 55年度1次債務~56年度本予算
300 酷寒 空気 4 56年度1次債務
1300 3 56年度1次債務
500 空気 59 53年度1次債務~56年度1次債務
1500 50 53年度1次債務~56年度1次債務
  • 酷寒地:北海道、寒地:東北・新潟

開発の経緯

1950年代中期に量産された、国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、1970年代に至って著しく老朽化が進行し、ことに接客設備面での劣悪さと台車設計の欠陥[1]が問題となった。一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策や整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1960年代に設計された量産形式を基本としつつ、随所を強化改良したマイナーチェンジ車を製造していた。本系列もその方針の下に全体に耐久性を高め、1950年代後半に製造されたキハ55系キハ20系の老朽化進行も視野に入れつつ、それらの代替用一般型車両として開発された。

諸元

1974年に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造はキハ66系を踏襲しているが、搭載エンジンについてのみ大出力型ではなく、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計・出力のものとしている。

また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房やラジエターをはじめ酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く、温暖地で寒地向けの番台が使用されるなど、地域によっては多くの部分が過剰装備となっている。

なお、本系列から北海道向け車両を別形式とせずに同一形式内での番台区分としたのも特徴である。

車体

構造・外観

全長21.3m(車体長20.8m)、幅2.9mという急行形気動車並の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して外板、屋根板、床板には車両用耐候性高張力鋼板(SPA)を用いており、耐久性を高めているが、板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると薄く、外板厚が2.3mmに対して国鉄気動車標準の1.6mm、屋根板厚は1.6mmに対して1.2mmとし、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化にも配慮している。落成時期の関係から製造当初は全車が朱色5号と呼ばれる明るい朱色一色、いわゆる「首都圏色」塗装で落成しており、従来の一般型気動車の標準塗装であったクリーム4号朱色4号の二色塗り分けの車両が存在しない最初の系列となった。

前頭部はキハ66系のものを踏襲したもので、踏切事故・衝突対策として高運転台化、運転室長さの350mm拡大、前面の外板を4.5mm厚に強化、床下前面にスカートを装着している。運転台窓にはパノラミックウィンドウを用い、前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50Wシールドビーム2灯が、尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40W2灯がそれぞれ装備され、貫通路上には列車種別表示器も設けられている。なお、これらの構成は設計年次が近いキユニ28形などの改造車も同様で、当時の標準設計であった。

側窓は酷寒地形を除き、外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。酷寒地形は小型の1段上昇窓で、FRP製窓枠による内窓を組み合わせた、いわゆる二重窓構造とし、冬季の保温を図っている。

設備

キハ40形700番台の車内(2005年3月)
タブレットキャッチャーと防護板(1990年)

キハ40形、キハ48形は車体両端2ヶ所に1m幅の片開き扉、キハ47形はやや車体中央寄り2ヶ所に1.3m幅の両開き扉を設けている。いずれもステップ付で半自動扉であるが、ドアエンジンは在来車の様な当初からの半自動式用ではなく、自動式用ドアエンジンの指令回路のみを変更して半自動動作に対応させており、人力での開閉はやや重い。キハ40・48形の寒地・酷寒地形は、いずれも客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。

運転台は機器配置・座席形状共人間工学に配慮した構造となっている。また、タブレットキャッチャーと防護板を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。

客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調でまとめられている。座席はドア寄りをロングシートとした他は固定クロスシート(ボックスシート)となった。クロスシートは58系気動車までの急行形車両と同等の1470mmの座席ピッチとし、一般型気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。

暖房はキハ22やキハ56と同じ温水暖房式であるが、機関廃熱および機関予熱器での軽油燃焼による熱を使用して床下の熱交換器で温風を作り車内に循環させる方式[2]を採用した。1両あたり2基搭載された熱交換器により暖房能力は公称30,000kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温風暖房に比して著しく強力な暖房能力を得た。これは機器搭載に床下スペースを必要とするという難点があるものの、温水を車体内に通す必要が無く、構造も単純であった[3]。加えて運転室内には自動車用温水暖房装置が併設されている。

このように基本的な居住性は電車に近づいていたが、冷房装置は製造当初設置されなかった。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると考えられたほか、当時の国鉄の方針では発電セット(電源装置)などの重装備を要する電気式の冷房が標準で、簡易なバス用機関直結式冷房装置の流用などが考慮されなかったためと推測される[4]。このことには乗客のみならずバスとの競合などから冷房付きの新型車を切望していた各鉄道管理局の担当者からも失望の声があがったといわれる。

トイレはFRPユニット組み立て式[5]で、キハ40形は出入り台側から、キハ47形、キハ48形は側面の客室側から出入りする方式とし、水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、製造当初は地方路線の汚物処理施設整備がほとんど進んでおらず、便所搭載車は全車が従来通りの垂れ流し式として竣工した。

主要機器

エンジン

DMF15HSA形エンジン 釧路運輸車両所にて

本系列は標準機関として従来のDMH17系エンジン[6]に代えてDMF15HSA形[7]を搭載する。このDMF15HSAは水平シリンダ形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃止している。

この機関は新系列大出力気動車の試作車であったキハ90形に搭載されていたDMF15HZA[8]をルーツとするもので、ガスケット吹き抜け対策や新しいPE-P形燃料噴射ポンプの採用などの改良がなされたキハ66系のDML30HSHを基本とし、これに加えてDMF15HS-Gの使用経験を反映させたものである。

なお、キハ66系ではDMF15系の12気筒版であるDML30HSHが採用されたが、地方線区向けの本系列においてDML30HSH[9]の採用は重量[10]・イニシャル・ランニングコスト共に増大するため現実的ではなく、6気筒のこちらを採用したものである。

液体変速機

変速・直結各1段を備える DW10 形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9をベースに開発されたもので、コンバータの構成は在来標準形のDF115・TC-2(3段6要素)に対して DW4 形・ DW9 形やDE10形用の DW6 形(2000番台[11])などと同じ中高速での引張力を確保するとともにエネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成、油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっている。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用の DW9 の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転比を検出してエンジンの吹き上げ、アイドル指令を出し、最適な回転比で切り替える半自動式とすることでショックのない変速を狙ったほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。

コンバータの構成の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系[12]の 2500 kg 弱に対して 2400 kg 弱と低く、車両重量の増大も相まって起動直後の特性で不利となり、「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。ただし、例えば 10 km/h ではキハ20系の約 1800 kg に対し約 2100 kg 、 50 km/h では約 600 kg に対し約 800 kg と逆転しており、本来は特急・急行形用として開発された変速機を流用したが故の、中高速域を重視した特性が現れている。

台車

DT22D形台車
ファイル:DT44形台車.jpg
DT44形台車
TR227A形台車

酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気バネ台車を、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルバネ式の DT22D 形・TR51C形を採用した[13]。いずれも駆動方式は1軸駆動で、逆転機は変速機に内蔵するため、台車にはキハ65形・キハ66系の第2減速機と同一のGB122形減速機が裝架されている。

酷寒地形・寒地形は枕バネを空気バネとしたが、これは寒冷地域でコイルバネの間に雪が詰まって固着・凍結し、バネが効かなくなる問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化[14]、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸バネは通常通りコイルバネであるが、ゴムで被覆したいわゆる「エリゴバネ」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式の DT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)形であったが、以降は制輪子交換を容易にするためにそれぞれ乾式円筒案内式の DT44A形・TR227A形に変更された。枕バネ方式は保守面での制約などから、空気バネを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなくボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気バネを挿入するインダイレクト方式[15]として基本構造をDT32系と共通化しており、空気バネ、ボルスタアンカ、LV4-1形空気バネ自動高さ調整装置等は同系列と同一品を使用している。枕バネを横剛性の高いダイアフラム型空気バネとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、旧態依然とした DT22・TR51系コイルバネ台車を装着する一般的な急行形気動車を超える快適な乗り心地が実現された。また、制輪子自動スキマ調整器が付きブレーキシリンダストローク調整作業も省力化されている。

ブレーキ

キハ66系と同じく12系以降の新型客車に使用されて実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」とした[16]。これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁(KU-1B)を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管(BP)の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1.4kg/cm2から1.8kg/cm2となってブレーキ制御範囲が拡大されたほか、U5A応荷重弁により荷重に応じブレーキシリンダ圧力が自動的に増減される。また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が著しく改善された。このほか、床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図っており、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能[17]である。

補器類

電気連結器

1977年前期に製作された車両と1977年末以降に製作された車両の正面の外観上の違い KE93形ジャンパ連結器を装備したキハ40 6307
1977年前期に製作された車両と1977年末以降に製作された車両の正面の外観上の違い
KE93形ジャンパ連結器を装備したキハ40 6307

昭和53年度本予算車以降は、増解結作業の省力化のためジャンパ連結器がKE53形2個からKE93形[18]へ変更され、連結面にジャンパ栓収め用の窪みがある。なお、当初は在来の気動車との併結を考慮して、KE94形[19]を使用したKE53形2本により連結し、窪みは鉄板で塞がれていた。

なお、昭和53年度2次債車はKE53形栓受2個装備ながら窪みが設けられているが、KE91形ジャンパ連結器[20]の準備工事である。放送回路はKE66形[21]と電磁ブレーキ制御線はKE67形[22]に割り当てられ、KE93形の有無にかかわらず全車共通であるが、KE93形の信号線中にもこれらが含まれるため、KE93形を本使用する際には非接続となる。

過重・低出力と不適切な運用

あらゆる面で刷新が行われた系列ではあったが、電車並みの丈夫な構造と追加装備は重量増加の原因となった。自重36tから37t[23]に対し、搭載機関の定格出力220PSはあまりに非力で、登場当時の識者からは「戦前のキハ42000形ガソリンカーにも劣る低性能車」とまで批判され、車重と変速機設定が災いし、勾配の程度にもよるが登坂時には全出力状態でも従来の気動車同様30km/hを下回る事も少なくない。また、電化区間へ乗り入れる場合電車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず、ダイヤ組成の障害にもなった。

発進時には、全負荷状態でもエンジンが轟音を立てるばかりでなかなか動き出さず、搭載されているDW10型変速機が在来の3段6要素な変速機よりも発進時に不利な特性なこともあり、液体変速機を長々と空転させた末に数拍おいて動き出す始末であった。また、中速域でも特に在来のDMH17系エンジンおよびTC2A・DF115A変速機搭載の車両と併結した際や、DMH17系搭載車の運転に慣れていた運転士が運転する場合には、1段3要素の変速機の特性を活かしきる前に例えば50km/h程度で直結に切り替えられてしまうと[24]、変速段で約800kgあった動輪周引張力が直結段では約500kgとなってしまうなど、性能を出し切れない場面が多く見られた。変速機の特性を生かすには、同系変速機を搭載するキハ181系やキハ66系などと同様、変速段を使用して65km/h付近まで5ノッチで引っ張る運転操作が求められたが、在来車の操作に慣れた現場には浸透しなかった。

過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系エンジンと異なり、DMF15HS系エンジンは全出力運転の時間制限がなかった。このため運行中は降坂、定速時以外ほぼ全出力で運転できてしまい、かえって相当時間に渡って過負荷を強いられることから、定格時燃料消費率が185g/PS/h[25]と、もともと燃費の良いエンジンではないこともあり、燃料消費率も悪化した[26]。DMH17系エンジンを1基搭載する車両の代替は一応可能であったものの、加減速の多い仕業や勾配路線には明らかに不向きであった。

また、古くから国鉄在来線では急勾配線区や冬季の排雪走行に適応する単行運転可能な気動車が不足していたが、強力車については余剰が予想されるキハ58系の格下げで対応するという方針であったため、キハ40系では勾配線区向けの形式は製作されなかった。しかしながらその後もキハ58系の需給調整は上手く行われず、依然として適当な代替車が不足し続け、キハ53形500番台改造投入やキハ54形新製など、2基エンジン搭載車導入や、古いキハ20系の1エンジン車が淘汰される中、2エンジン車であるキハ52形のみが2007年時点でも残存する一因となった[27]

これらの問題に対応し、JRに現在残存しているキハ40系の多くが300PS以上の高出力エンジンに換装、ないし過給器・燃料噴射系交換などによる既存エンジンの強化で性能改善を図っているが、自重過大という本系列の構造的な弱点を完全に克服するまでには至らなかった。

新製形式

キハ40形

本系列の主軸となる両運転台車であり、両運転台の直後2ヶ所に片開き扉を装備する。新製時は全車がトイレ付きであった。

100番台

北海道向けの酷寒地向として1977年上期より製造された、キハ40系では最初に就役したグループである。

車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、トイレ、空気バネ台車を装備する。床材は北海道向け従来形式のキハ22形などが用いた鋼板+木材板張りを廃し、1.2mm厚SPA鋼板と断熱材+リノリウム張りで構成されている。1982年までに150両 (101 - 250) が製造された。

1977年製の16両 (101 - 116) のみ、角型水タンクキセ、4人掛けクロスシート12組、客室の小窓の配置が両端、ペデスタル式台車 (DT44・TR227) などの特徴を持つ。

1978年以降に製造された 117 - 250 は設計が変更され、水タンクキセ、座席配置と窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になった。台車は乾式円筒案内式の軸箱を持つDT44A・TR227Aに変更された。

500番台

主に東北地方を対象とした寒地仕様車で、100番台より遅れて1977年末より製造された。デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気バネ台車を装備する。1982年までに94両 (501 - 594) が製造された。

初期に製作された 501 - 520 はペデスタル式の DT44 系台車を装備し、車内の化粧板は緑色系である。521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板はクリーム色系になった。台車は円筒案内式の DT44A 系に変更され、スカートの形状も変更された。

520以前の初期車両は淘汰が進み、2006年10月現在の在籍車は5両、うち稼動車は4両のみ。冷房化改造車も主として磐越西線運用に充てられている新津運輸区の502のみである。

2000番台

関東以西の温暖地を対象とした一般仕様車で、100・500番台より遅れて1979年に製造が開始された。窓は2段上昇式ユニット窓(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、車体よりやや引っ込んでいる)で、デッキは装備されていない。このため後述のキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。台車は金属バネの DT22D 形・ TR51C 形である。1982年までに148両 (2001 - 2148) が製造された。

このうち、1980年製の キハ40 2055 は1983年6月に起きた指宿枕崎線沿線の集中豪雨が原因の事故によって大破したため、同年7月付で廃車された。これは国鉄時代の本系列に生じた唯一の廃車である。

キハ47形

キハ47形 首都圏色
2005年6月撮影

1.3m 幅の両開き扉を車体中央寄り2ヶ所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトである。キハ40・48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地とトイレの有無により細かな番台区分がある。デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。客室窓は2段上昇式ユニット窓である。

0・1000番台

温暖地向け仕様車で、0番台車はキハ40形100番台車と相前後して1977年上期に製造が開始された。金属バネ台車装備。トイレ付きの0番台車は1983年までに193両 (1 - 193) が、その後1978年から製造が開始されたトイレなしの1000番台車は1982年までに134両 (1001 - 1134) が製造された。この温暖地向けキハ47形327両が本系列の最大グループである。

500・1500番台

キハ47-503 四国色
2007年10月撮影

新潟地区向け寒地仕様車で、空気バネ台車装備。1978年から1980年にかけてトイレ付きの500番台車22両 (501 - 522) とトイレなしの1500番台車21両 (1501 - 1521) が製造された。本来は寒地仕様だが、国鉄時代に越後線弥彦線の電化に伴い四国や山陽、九州など温暖地に転じたのち民営化を迎え、温暖地で運用されている例もある。

キハ48形

キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが片運転台車であり、トイレの有無により細かな番台区分がある。トイレは運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。

0・1000番台

500・1500番台と同一車体・デッキ仕切り付きで金属バネ台車装備とした準寒地向け仕様車で、1981年から1982年にかけて少数が製造され、美濃太田 (1 - 3・1001・1002) と敦賀 (4 - 6・1003・1004) に配置された。上段下降・下段上昇式ユニット窓車。トイレ付きの0番台車は6両、トイレなしの1000番台車は4両で製作を終了した。

300・1300番台

キハ40形100番台車同様の北海道向け酷寒地仕様車で、1982年にごく少数が製造された。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形に酷似する。空気バネ台車を装備。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくいこともあり、トイレ付きの300番台車は4両 (301 - 304) 、トイレなしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) の製造に留まった。

500・1500番台

キハ40形500番台車と同様の東北地方向け寒地仕様車で、1979年より製造が開始され、1982年まで増備が続いた。デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓車と空気バネ台車を装備している。トイレ付きの500番台は59両 (501 - 559) 、トイレなしの1500番台は50両 (1501 - 1550) が製造された。

改造車・派生形式

国鉄

車齢が若かったこともあり、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台の1例のみである。また、冷房改造についても、鹿児島地区での降灰対策のためバス用クーラーを使用した改造がキハ40形5両およびキハ47形10両に実施されたのみに止まっている。本系列に対する性能・接客両面での改良・改造が本格化するのは、国鉄分割民営化後のことである。

キハ40形1000番台

キハ40 1003。屋根上の水タンクは取り除かれている。

1986年に烏山線で使用されていたキハ40形2000番台のトイレを取り除いたもので、国鉄時代に本系列に対して行われた改番を伴う改造の唯一例である。外観上の変更点はほとんどないが、塗色が烏山線独自のローカルカラーに変更された。当初に7両(1001 - 1007)が改造され、国鉄分割民営化時には全車がJR東日本に承継されている。その後、JR東日本により1991年と1995年に各1両が追加改造され、計9両が本番台となった。

民営化後は、東北地区に転出した1両 (1006) を除き、1990年にワンマン運転対応改造と座席のロングシート化が実施された。これらは1000番台への改造前に冷房装置を搭載していた1008を除き、1995年から1996年にかけて冷房装置(AU34)を搭載した。

  • キハ40 2011 - 2017・2087・2139 → 1001 - 1009


JR北海道

北海道旅客鉄道(JR北海道)には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された。全車が酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置の事例はない。

ワンマン運転対応、エンジン換装、冷房装置搭載など線区の事情に応じた改造が行われており、それに伴う改番が行われた結果、引継時の番号を留めているのはキハ48形300番台の3両に過ぎない。

引き継がれた各車の共通の改造点(キハ400形・キハ480形を除く)としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設(一般放送回路との区別のため、赤色により識別)があげられる。

2000年7月14日に根室本線尺別駅で発生した脱線事故のため キハ40 750 が2000年7月19日付けで、また2005年6月24日には キハ40 764(キハ12 23「ぽっぽや号」)、2006年10月で長年休車であった キハ480-304 が老朽化と余剰を理由にそれぞれ廃車となっている。

キハ400形・キハ480形

キハ400-146(1996年3月、札幌駅

宗谷本線の高速化に向け急行「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車を置き換えるため、1988年にキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を急行列車用に改造したもの。それぞれ新形式のキハ400形キハ480形に改められ、両形式を総称してキハ400系ともいう。

エンジンをDMF13HZ(330PS/2000rpm)に、変速機を直結2段式の N-DW14B 形に交換して加速力の向上を図り、特急列車頻発でダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間に備えた。車内には洗面所を新設し、座席もキハ183系500番台と同等のリクライニングシートに交換された。[28]。また、電動式の冷房装置 (N-AU400) を屋根上に1基搭載、その電源となるディーゼル発電機はキハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置し、キハ400形自車とキハ480形へ電圧 220 V の三相交流を給電する方式とした。そのため、キハ480形は単独では冷房装置を使用することができない。キハ480形の種車のうち1両はトイレ付きの300番台車であるが、トイレは改造時に撤去されている。キハ480形には飲料水の自動販売機が設置されていた。

1997年には、老朽化したお座敷気動車を置き換えるためにキハ400形3両がお座敷気動車に再改造され、500番台に改番された。残った車両も2000年の宗谷本線高速化完成に伴う急行の特急格上げに伴って運用を外れ、学園都市線(札沼線)用の一般車(キハ40形330番台・キハ48形1330番台)に再改造された。キハ480形の1両 (304) のみは転用されず苗穂工場に留置され、そのまま2006年10月6日付で除籍された。

  • キハ40 141 - 149→キハ400-141 - 149
  • キハ48 304・1301 - 1303 → キハ480-304・1301 - 1303

キハ400形500番台

老朽化したお座敷気動車(キロ29・59形)を置き換えるために、1997年から1998年にかけてキハ400形3両をお座敷車に改造したものである。同時期に改造されたお座敷車の183系6000番台と異なり、一般車と併結して運用する事が可能である。この改造により宗谷本線急行用車両が不足となるため、補充としてキハ182形(0番台)3両がキハ400系併結用に改造された。

客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装も深い赤と黒のブロックパターンに改められた。室内は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ 30 cm の掘り炬燵構造として、乗客が足を伸ばしてくつろげる様にしている[29]。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。

  • キハ400-141・142・149 → 501 - 503

キハ40形700番台

キハ40 764 石北本線4662D(2005年1月9日、石北本線金華駅)
キハ40 809(2005年3月、函館本線森駅)
キハ40形700番台の車内(2+1人掛けに改造された車両、2005年12月)

1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。番号は竣工順に付番されており、原番号との関連性はない。但し、1次車 (101 - 116) が種車の車両だけは元番号に725を足した連番になっている。

また、17両が都市近郊輸送に対応するため、旧番号時代の1991~1992年に座席を2+1人掛けに改造している。番号は次のとおり。

  • キハ40 175・178 - 180・186 - 188・207 - 210・222・226 - 228・249・250 → 802 - 805・813 - 825

後に、エンジンの換装などにより300・350・400番台に改造されたものがある。ただし、789号は改番前の150号時代の1988年にキハ400形と同じ DMF13HZ [30] に換装しているが、特に区別されていない。 DMF15HSA 搭載車も機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はエアクリーナーが移設され、車体にあった機関用吸気口が塞がれている。

循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。

特殊な改造車としては、1999年に映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影用に改装を施した 764 がある。この車両は作品に登場するキハ12形に似せて側窓の上部を Hゴム支持としたいわゆる「バス窓」に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改め、ナンバーも「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)に書き換えていた。映画撮影の終了後も前照灯をシールドビーム2灯(俗に言う「鼻」化)に改め、ナンバーを本来の番号に書き換えた以外はそのままの姿で使われ、「ぽっぽや号」として観光目的の臨時列車にも充当された。

しかし、側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪くなっていたために、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。末期はブームが去ると共に集客率が低下したため「ぽっぽや」の任を解かれ、専ら保留車になっていた。廃車後は車体が2分割され、一方の先頭部はロケ地の幾寅駅前に保存されている。

キハ40形300番台

キハ40 301(2007年8月13日、函館本線札幌駅)

1996年に学園都市線(札沼線)の列車増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台に対して行ったもので、4両が改造された。

機関は N-DMF13HZB (330 PS / 2000 rpm ) に換装され、出力増強が図られた。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26) やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされ、客室とデッキの間の仕切り壁も撤去されている。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより、車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備している。

  • キハ40 702・728・773・782 → 301 - 304


キハ40形400番台

キハ40 401(2007年6月5日、札沼線)

1996年に札沼線石狩当別~新十津川間のワンマン化と老朽化したキハ53形500番台の置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものである。

機関はこれまでの改造車よりもさらに強力な N-DMF13HZD (450 PS / 2000 rpm) で、変速機を直結2段式の N-DW14C に換装し、冬季の列車遅延防止のため動力台車は2軸駆動とした。冷房装置は搭載していない。外観上は客用扉を萌黄色として区別している。

  • キハ40 769・770 → 401・402


キハ40形350番台

キハ40 357(2008年3月2日、日高本線鵡川駅にて)

愛称「優駿浪漫」。日高本線で使用されていたキハ130形の老朽化による置き換えのため、1998年から1999年にかけてキハ40形700番台10両を改造したものである。

キハ130形時代のダイヤを維持するため、機関を N-DMF13HZB (330 PS / 2000 rpm) に換装して出力を増強し、落ち葉などによる空転対策のため砂撒き装置を台車に装備している。学園都市線用の300番台とは異なり車内の改装は行っておらず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。

  • キハ40 710・713・717 - 719・728・731・743・753・794 → 351 - 360


キハ40形330番台・キハ48形1330番台

キハ40 336(2006年11月2日、函館本線線苗穂駅にて)

2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴って余剰となったキハ400形・キハ480形を学園都市線に転用するために再改造したものである。

通勤・通学用への転用に伴い座席はすべてロングシートとなった(711系電車の廃車発生品)。また客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。キハ400形については電源装置が床上の機器室内に設置していたことから、これを撤去して再び客室としている。電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、キハ40形・キハ48形とも、冷房装置がキハ40形300番台同様の機関直結式のN-AU26に交換された。従来、冷房用電源の関係でキハ480形はキハ400形とペアで使用されていたが、それぞれ単独での運用が可能となった。新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じている。キハ400形・キハ480時代の装備であった横引きカーテンのレール覆いや窓框の縁取りはそのまま残されている。

  • キハ400-143 - 148 → キハ40 331 - 336
  • キハ480-1301 - 1303 → キハ48 1331 - 1333


キハ40形1700番台

キハ40 1752(2007年8月12日、函館本線滝川駅

今後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命化改造を実施したものである。2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2008年4月現在延べ49両[31]が落成し、苫小牧運転所に19両、釧路運輸車両所に18両、函館運輸所に11両、旭川運転所に2両が配置されている。

改造内容としては、駆動用エンジンの N-DMF13HZI (243 kW (330 PS) / 2000 rpm) への換装及びそれに伴う液体変速機の直結3段式への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、扇風機のクールファンへの交換、ワンマン運転用機器の更新などである。屋根上の水タンクは撤去され、車内設置に変更された。[32]改造車の番号は原番号に 1000 が加えられている。

JR東日本

キハ40形五能線

東日本旅客鉄道(JR東日本)には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された。

東北地方など寒冷地での使用が多いため、冷房改造車は多くない。また民営化後の高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さい40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。

他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置(AU26J-A×2)の搭載、機関の換装(DMF14HZ, 360PS)を伴うリニューアルも継続的に実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキの撤去も実施された。尚、五能線などではキハ40形でデッキの仕切りがある車両とワンマン対応の仕切りが無い車両が混在する。

東北本線・八戸線・津軽線・大湊線(快速しもきた・その直通列車)で運用されている キハ40 516 - 518 と キハ48 539・556 - 559 はトイレが撤去され、器材室に変更されている。ドアには「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されている。

形式と番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレインへの改造にともなう8両のみであるが、ジョイフルトレイン(イベント用列車)への改造は多く、現在までに8タイプが登場している。

同社では余剰による淘汰が開始され、2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。2002年に廃車された キハ40 511 は会津鉄道に譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、現時点に於ける本系列唯一の譲渡例である。また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されている。

ジョイフルトレインへの改造

キロ40・48形
ふるさと

1995年、水戸支社において キハ48 534・548 及び キハ40 2138 をお座敷車に改造したもので、それぞれ キロ48 1・2 と キロ40 1 に改番され、編成としては「漫遊」と命名された。2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。

キロ48 1 には「華 (HANA) 」、キロ48 2 には「風 (FU) 」、キロ40 1 には「月 (GETSU) 」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。

本系列唯一のグリーン車であったが、2003年4月に普通車扱いに変更され、キハ40 2501 と キハ48 2501・2502 に改番された。

リゾートしらかみ「青池」編成
ファイル:Resort shirakami aoikeTR.jpg
リゾートしらかみ青池編成

1997年3月の秋田新幹線開業に伴い、1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジック・ビュートレイン」に代わる新しいリゾート列車として改造された列車である。2003年の姉妹車「ブナ」編成の登場に伴い、「青池」編成と命名された。

キハ48 533・540・1521・1543 を改造したもので、いずれも改造に伴う改番は行われておらず、原番のままとなっている。1・4号車の533と540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2・3号車の1521と1543は6人又は4人用の簡易個室車として、同時に冷房装置(AU26J-A×2)を搭載し、エンジンをDMF14HZ(300PS/2000rpm)に換装している。外観では、1・4号車の前頭部形状を変更した他全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるよう配慮している。塗装は白神山地の白、日本海の深青をイメージした塗り分けとしている。

臨時快速列車「リゾートしらかみ」(秋田 - 弘前・青森)に使用される。2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成となり、キハ48 1521は「くまげら」編成に転用された。

2010年秋以降にハイブリッドシステムを搭載した新型リゾートトレイン(4両編成)により、現行の「リゾートしらかみ」3編成のうち1編成が置き換えられる予定であることが発表された[33]

リゾートしらかみ「ブナ」編成
リゾートしらかみブナ編成

2002年12月の東北新幹線八戸延伸に伴って展開された「北東北ディスティネーションキャンペーン」に合わせて登場した増備車である。従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために「ブナ」(木偏に無と書く「橅」という表記で案内されている。以下カタカナで表記する)編成と命名された。従来の「青池」編成が4両編成であるのに対して3両で組成され、1・3号車を座席車、2号車を簡易個室とした。

改造はキハ40形3両を種車として実施されたが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所又は喫煙室を設置した。これにより形式をキハ48形に変更し、車番を改めた(キハ40 506・507・510 → キハ48 701・702・1701)。外観は「青池」編成の青に対し白神山地の深緑を車体色とし、前頭部の形状も「青池」編成とは異なるイメージのものとした。

本編成は、客用扉にドアチャイムを設置する。

リゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されている。

リゾートしらかみ「くまげら」編成
リゾートしらかみくまげら編成

2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて第3編成として投入されたのがこの「くまげら」編成である。内装と設備は「ブナ」編成と同一である。改造種車は両先頭車がキハ40形で、中間車は元「青池」編成の キハ48 1521 が転用されている(キハ40 515・520 → キハ48 703・704)。

外観はオレンジ色が基調となり、そこに「青池」編成と「ブナ」編成を意識した青・緑の帯を入れている。

2008年からリゾートしらかみの他、房総地区の臨時列車としても運行されている。

本編成も、客用扉にドアチャイムを設置する。

びゅうコースター風っこ
びゅうコースター風っこ(奥多摩号)

キハ48形をトロッコ気動車に改造した車両で、仙台支社が2000年から運用を開始した。

従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入れ換え作業や保安要員の配置など運行コストの問題を抱えていた。本編成はこれら貨車編成の置き換え用で、キハ48 547・1541 を種車として改造した。機関は DMF14HZ に換装している。

車体側面を大きく開口させ外気を存分に感じる事ができる様にすると共に、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚く事ができる。また開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。

車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。天井は骨組みを剥き出しにし、白熱灯を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。

きらきらみちのく
きらきらみちのく

きらきらみちのく」は、2002年12月の東北新幹線八戸延伸にあわせて登場したリゾート列車で、下北・津軽方面への観光輸送を目的としている。キハ48 1505・1506・1534を改造したものであるが、いずれも改番は実施されておらず、原番のままとなっている。

前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした鮮やかな赤を基調に窓下を白に塗り分けている。また機関をDMF14HZに換装し、冷房装置(AU26J-A×2)を屋根上に搭載した。

車内設備については、1・3号車 (1505・1506) に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシートは床を100mm かさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45°窓側に向けた状態で固定可能である。トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。また2号車 (1534) は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっている。前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映する事ができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。

現在は休日を中心に、はやて3号から接続する形で八戸駅大湊駅間が、はやて30号に接続する形で大湊駅~八戸駅間が運転されている。

うみねこ
うみねこ

「うみねこ」は、東北新幹線八戸延伸を機に八戸線の観光路線としての活性化を図るために導入された列車である。キハ48 555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式に改装して汚物処理装置を装備した程度で、冷房装置の搭載や機関の換装は行われず、車体にも手が加えられていない。尚、2006年5月3日2007年9月17日には津軽線の臨時快速「終着駅号」として運行された。

塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となった「ウミネコ」を描き、車端部は太平洋の日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたカラフルなものとしている。

みのり
みのり

「みのり」は、2008年10月から12月にかけて開催される「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」の一環として、郡山総合車両センターで改造製作された。 

2008年10月1日より「リゾートみのり」として陸羽東線および東北本線仙台小牛田間。土曜・休日および年末年始のみ)で運転を開始した。

愛称は一般公募により、陸羽東線のキーワードである「稲穂」=実りある収穫、「温泉」=実りあるひととき、「紅葉」=実りの秋、そして「実り多い旅にしてほしい」ということから「みのり」に決定した。

東京方先頭1号車から順にキハ48 550+キハ48 549+キハ48 546の普通車3両編成で、車両番号は改造前と変わっていない。

546は1980年7月、549・550は1981年2月、富士重工業製である。

JR東海

東海旅客鉄道(JR東海)には、キハ40形14両(500番台2両・2000番台12両)、キハ47形5両(0番台2両・1000番台3両)、キハ48形40両(0番台3両・500番台18両・1000番台2両・1500番台17両)の計59両が承継された。1988年に冷房装置の搭載を試作的に実施し、1990年度からは床下搭載型のAU27形とAU28形によって本格的に実施され、1991年度中に全車の改造を完了した。車体の塗色は1990年頃までは国鉄色である朱色であったが、1990年頃から随時白地に緑と橙のラインを入れたJR東海色に塗り替えられていった。現在は製造時の面影を残している車両はほとんど現存しない。

機関の換装については、1989年に同社のキハ85系で採用された米カミンズ社英国工場製のC-DMF14HZ(350PS/2000rpm)によって少数に実施された後しばらく途絶えていたが、1997年度から同じくカミンズ社製のC-DMF14HZB(350PS/2000rpm)によって本格的に実施され、1999年度までに完了した。なお、機関換装に伴って全車が後述の番号整理によって改番を実施している。

ワンマン運転対応については、1991年の東海交通事業城北線開業に伴ってキハ40 2057・2112に対して実施されたのが最初である。翌年には武豊線のワンマン化に伴ってキハ48形にも実施され、現在ではワンマン運転線区の拡大により全所属車の半数以上が改造されている。

2006年4月現在、美濃太田車両区にキハ40形7両・キハ47形5両・キハ48形26両が、伊勢車両区にキハ40形7両とキハ48形14両が所属している。

キハ40形5000番台

紀勢本線用のキハ40形2000番台のエンジンをカミンズ社製の C-DMF14HZ に換装し冷房装置を搭載したもので、1989年から1990年にかけて6両が改造された。冷房装置は C-AU711D を2基屋根上に搭載している。番号は原番に3000を加えたものとされたが、1999年度に後述の番号整理に伴って3000番台に再改番された。

  • キハ40 2030 - 2032・2058・2059・2129 → 5030 - 5032・5058・5059・5129 → 3001 - 3003・3005・3306・3010

キハ48形3500番台

1992年の武豊線への投入に伴い、東海道本線での運用のためキハ48形500番台の機関をC-DMF14HZに換装して出力増強を図ると共にワンマン運転設備を付加したもので、5両が改造された。番号は原番に3000を加えたものとされたが、後述の番号整理に伴って1999年に3800番台に再改番された。

なお、これらとペアを組むキハ48形1500番台5両(1523・1524・1528 - 1530)にもワンマン運転設備が付加されているが、機関換装は実施されなかった。

  • キハ48 526・529・531・532・541 → 3526・3529・3531・3532・3541 → 3809・3812・3814・3815・3816

機関換装と番号整理

キハ40形6300番台(2004年9月4日、美濃太田駅にて)
キハ47形5000番台(2004年9月4日、美濃太田駅にて)
キハ48形5800番台(2004年9月4日、美濃太田駅にて)

1997年度から再開された C-DMF14HZB への機関換装に伴って在籍する全形式の全車に対して実施されたもので、寒地装備、トイレ、ワンマン運転装備の有無、エンジンの形式により一定の基準によって分類された。

暖地向け車は5001(トイレなし車及びキハ40形は6001)から、寒地向け車は5501(トイレなし車は6501)からそれぞれ原番の順に通番整理され、機関換装と同時に改番を実施した。1999年には、以前の改造で機関換装を実施していた車に対しても再改番が実施されたが、C-DMF14HZ装備であったため3000番台に区別された。ワンマン運転対応装備車は300を加えてさらに区別された[34]

キハ40形
  • 3000番台:旧5000番台。C-DMF14HZ搭載。3001 - 3003・3005・3010の5両。このうち一部はJR西日本所属車と番号が重複している。
  • 3300番台:旧5000番台。3000番台のワンマン運転対応車。3306の1両のみ。
  • 5500番台:500番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(576・577 → 5501・5502)が改番されたが、後に5502の1両がワンマン運転設備を付加して再改番されたため、現存は5501の1両のみ。
  • 5800番台:1999年に5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。5802の1両のみ。
  • 6000番台:2000番台にC-DMF14HZBを搭載。6両(2057・2111 - 2113・2130・2131 → 6004・6007 - 6009・6011・6012)が改番されたが、全車にワンマン設備を付加して6300番台に再改番され、2000年度に消滅した。
  • 6300番台:1999年から2000年にかけて6000番台にワンマン運転設備を付加[35]し、再改番を実施したもの。6両全車がこの番台となった(6304・6307 - 6309・6311・6312)。
キハ47形
  • 5000番台:0番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(3・4 → 5001・5002)が改番された。
  • 6000番台:1000番台にC-DMF14HZBを搭載。トイレなし。3両(1027・1109・1110 → 6001 - 6003)が改番された。
キハ48形
  • 3800番台:旧3500番台。改番時点でワンマン対応改造済み。3809・3812・3814~3816の5両。
  • 5000番台:0番台にC-DMF14HZBを搭載。3両(1 - 3→5001 - 5003)が改番されたが、後に5002と5003の2両がワンマン運転設備を付加して再改番されたため、現存は5001の1両のみ。
  • 5300番台:5000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。2000年と2003年に1両ずつ(5302・5303)、計2両が登場している。
  • 5500番台:500番台にC-DMF14HZBを搭載。13両(509 - 514・524・525・527・528・530・542・543 → 5501 - 5508・5510・5511・5513・5517・5518)がこの番台となったが、後に8両がワンマン運転設備を付加して5800番台に再改番されている。
  • 5800番台:1999年から5500番台にワンマン運転を付加して再改番を実施したもの。5802 - 5807・5810・5817の8両。
  • 6000番台:1000番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(1・2→6001・6002)が改番されたが、後に6002の1両がワンマン運転設備を付加して再改番されたため、現存は6001の1両のみ。
  • 6300番台:2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。6302の1両のみ。
  • 6500番台:1500番台にC-DMF14HZBを搭載。17両(1515 - 1519・1523 - 1531・1536~1538 → 6501 - 6517)がこの番台となったが、後に14両がワンマン運転設備を付加して6800番台に再改番されている。
  • 6800番台:1999年から6500番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもので、6803 - 6816の14両に対して実施されたが、うち6806・6807・6811 - 6813の5両は6500番台への改番時点ですでにワンマン運転設備を装備していた(キハ48形3500番台の節を参照)。


JR西日本

西日本旅客鉄道(JR西日本)には、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の計257両が承継された。これはJR旅客鉄道会社の中で最大である。

形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、多くのローカル線を抱える事情から1989年度よりワンマン運転対応化改造が実施され、キハ40形の全車とキハ47形の大半に施行されている。また、1991年度からサブエンジン方式のAU34による冷房改造が、1995年度からエンジンをコマツディーゼル製SA6D125H-1H(換装工事実施中は旧エンジン車との併結との関係で出力を265PS/2000rpmに制限し、換装完了後順次330PSへ引き上げ[36])に、液体変速機を同じくコマツディーゼル製のKTF3335A-1A(変速2段・直結3段、自動式)へそれぞれ換装する工事[37]が実施されており、どちらも全車に対して施工が、2000年度をもって完了している。

1999年度からは、103系113系電車等の国鉄形電車と同様延命化工事の施工が開始されており、外観に変化を生じた車両が多くなっている。内装は従来と同様セミクロスシートである。主な改造内容としては、車体外板腐食部張替え(キハ47形にある戸袋窓は全て埋められている)や、側窓取替え、化粧板張替え、ドアの半自動装置の電気指令式への変更などである。また、広島支社配属の車両については側面中央上部にLED式の行先表示器の増設が行われており、これに伴って板式の行先票の使用を終了している。

近年では観光列車用に改造された車両も存在する。


キハ40形3000番台・キハ47形2000・2500・3000・3500番台

キハ40形3000番台3003 玉柏駅(2006年11月25日撮影)
キハ47形3016 鳥取駅(2007年9月12日撮影)

車内の座席をロングシートに交換したもので、キハ40形は3000番台に、キハ47形は0・1000番台は2000・3000番台に、500・1500番台は2500・3500番台に改番された。1991年から1992年にかけてキハ40形5両とキハ47形27両(2000番台16両、2500番台1両、3000番台9両、3500番台1両)に対して施工され、1996年度にキハ47形21両(2000番台7両、2500番台2両、3000番台11両、3500台1両)が追加で改造されたが、こちらはボックスシートを一部残しており仕様が異なる。

キハ40形は岡山地区に、キハ47形は広島・米子・山口地区にそれぞれ配置され、いずれもラッシュ時の輸送力列車に運用されている。

  • キハ40 2009・2010・2116・2117・2028 → 3001 - 3005
  • キハ47 12・17・23・26・48・67・86・97・98・108・147・154・155・161・162・164・166・168・181・186・192・193・506 - 508・1001・1003・1006・1018・1020・1021・1023・1034・1063・1067・1095・1096・1111・1114 - 1116・1123・1124・1506・1508 → 2001 - 2023・2501 - 2503・3001 - 3020・3501・3502


キハ41形

キハ41形2000番台増設側運転台(向かって左後方は増設トイレ)

1999年の播但線電化に際してキハ47形1000番台に運転台を増設して両運転台化したものである。非電化で残る同線寺前~和田山の単行運転用に5両が鷹取工場で改造された。全車が豊岡鉄道部に配置され、播但線内で単行もしくは2両連結で運用されている。

増設運転台は種車の構体をそのまま利用した切妻タイプで、既設運転台と全く形状が異なる特徴的なものとなっている。増設運転台直後にトイレと水タンクを増設しており、全車が2000番台に付番されている。

  • キハ47 1009・1010・1024・1039・1105 → キハ41 2001 - 2005


キハ47形7000番台

2005年から観光列車用にキハ47形の内装・外観を改装した車両である。トイレ付車とトイレなし車で2両編成を組み、1両は指定席車として運用されるが、種車と異なりトイレの有無による番台区分はされておらず、通番が付与されている。

瀬戸内マリンビュー
キハ47 7002 広島駅(2005年10月10日撮影)
2005年10月1日から呉線広島 - 三原間において観光列車「瀬戸内マリンビュー」が運行されるのに伴い、キハ47形2000・3000番台を改造したものである。前面は表示装置や貫通扉が埋め込まれ、船を意識したオールライフブイLifebuoy)が飾られている。側面は運転室側の乗降扉が埋められ、海側の窓配置は大幅に変わった。ステップもかさ上げされている。指定席車となったキハ47 7001には山側の腰掛に海側を向いてソファーシートが採用されるなど、客室仕様も大幅に変更されている。一方、自由席車は乗降扉が一箇所となったほかは基本的に従来どおりである。リニューアル工事も含めた改造費用は8,000万円で、呉線(瀬戸内さざなみ線)沿線の4自治体三原市竹原市東広島市呉市)が全額を負担している。
  • キハ47 2011・3002 → キハ47 7001・7002


みすゞ潮彩
キハ47 7003+7004 下関駅(2007年8月4日撮影)
2007年7月1日から山陰本線新下関 - 仙崎間において観光列車「みすゞ潮彩」が運行されるのに伴い、キハ47形0・1000番台を改造したものである。側面は指定席車は運転室側の乗降扉が埋められ、海側の窓配置は大幅に変わった。ただし、自由席車は海側・山側とも従来どおりである。内装は、指定席車は全席海側を向いた座席が採用され、客室仕様も大幅に変更されている。いっぽう自由席車は、一般的なキハ47形のリニューアル車の内装とほぼ同じだが、トイレが洋式に改造されている。改造費用は8,000万円で、山陰本線沿線の自治体である下関市長門市が負担した。車番は「瀬戸内マリンビュー」の続番となっているが、こちらは前面の貫通扉が存置され一般車との連結も可能である。
  • キハ47 1107・46 → キハ47 7003・7004


JR四国

四国旅客鉄道(JR四国)には、キハ40形(2000番台)11両とキハ47形42両(0番台19両・500番台5両・1000番台13両・1500番台5両)の計53両が承継された。JR四国においては形式と番号の変更を伴う改造は実施されておらず、機関換装も実施されていないが、1988年に全車に対して冷房装置の設置(FTUR-300を2基屋根上に搭載)を、1989年にキハ40形全車に対してワンマン運転対応設備の設置とトイレの撤去をそれぞれ行っている。それに伴い旧トイレ部分への窓の新設と屋上水タンクの撤去が実施されている。2008年2月から、徳島運転所配置のキハ47形2両が国鉄色に塗装変更されている。


JR九州

JR九州キハ47形(一般仕様車)

九州旅客鉄道(JR九州)には、キハ40形36両(すべて2000番台)とキハ47形106両(0番台61両・500番台2両・1000番台41両・1500番台2両)の計142両が承継された。1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両が廃車され、2006年4月現在140両が在籍する。

本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であり、民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。国鉄時代はバス用の装置を転用したのに対し、民営化後はサブエンジン方式のAU600Kにより行われた。また、近年は全車について屋根上の通風器が撤去されている。

ワンマン改造については、大多数について施行済みであるが、方式には線区の事情に応じて数種の方式がある。また機関出力向上についても1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式又は新番台区分が起こされている。詳細については後述する。

キハ140形・キハ147形

JR九州キハ140形キハ140 2041
JR九州キハ147形
JR九州キハ147形キハ147 61 車内
キハ140形キハ140 2040 (左は運転席、右は助士席) キハ140形キハ140 2040 (左は運転席、右は助士席)
キハ140形キハ140 2040
(左は運転席、右は助士席)

篠栗線等のスピードアップ用に機関を換装して出力増強を図ったものである。改造は1990年から1993年にかけてキハ40形9両とキハ47形30両(0番台17両・1000番台13両)に対して実施され、それぞれ形式がキハ140形とキハ147形に改められた。ただし、番号は原番のままである。

1990年に改造を実施したキハ47形5両には新潟鐵工所製のDMF13HZA(360PS/2000rpm)と神鋼造機製のDMF14HZ(360PS/2000rpm)を試用したが、キハ140形と1991年以降のキハ147形はコマツ製のSA6D125-HD1(360PS/2000rpm)が搭載された。

キハ40 2039 - 2041・2061・2062・2067・2125・2127 → キハ140(同番)
キハ47 49・50・53・54・58・59・61・90・91・104 - 107・182 - 185・1030・1032・1033・1043 - 1045・1055・1057・1058・1068・1069・1081・1125 → キハ147(同番)

変速機などについても出力増強に応じた変更が施されているが、台車は従来通り1軸駆動のままであり、急勾配区間では軸重に対して大出力が勝ち過ぎて、空転を起こしやすい傾向があるといわれる。

2004年には、特急「はやとの風」および観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するための車両が本グループから改造されている。詳細は後述する。

キハ40形7000番台・キハ47形5000・6000番台

キハ40形7000番台

機関の改造により1997年に出力増強を図った車を改番したものである。改造はキハ40形2両とキハ47形0番台4両、1000番台4両の計10両に施工され、番号は原番に5000を加えたものとされた。なお、キハ40 7056は1992年に改造を実施していたものの未改番であったが、この機会に改番が実施されたものである。

機関換装によらず、従来から搭載していた DMF15HSAを電子制御式燃料噴射装置による燃料直噴式への改造、過給器の交換などの改良によって出力を300PS/2000rpmへ向上した。それに伴い機関形式はDMF15HSA-Pに変更されている。

近年は、さらに機関をコマツディーゼル製のものに換装・改番した車両が登場している。

  • キハ40 2052・2056 → 7052・7056
  • キハ47 51・57・77・126・1046・1050・1097・1098 → 5051・5057・5077・5126・6046・6050・6097・6098


キハ40形8000番台・キハ47形8000・9000番台

キハ40形8000番台
キハ40形8000番台キハ47 8087 車内

1999年から機関をコマツディーゼル製SA6D125H-1AまたはSA6D125HE-1(300PS/2000rpm)に交換したものである。2006年4月現在、改造はキハ40形10両とキハ47形0番台14両、500番台1両、1000番台10両、1500番台1両の計36両に施工され、番号はキハ40形に6000を、キハ47形に8000をそれぞれ原番に加えている。2005年に登場した、キハ47形に寒地向けの500番台、1500番台を種車とした8500番台・9500番台については、同年度中に後述の3500番台・4500番台に再改造され、消滅した。

2004年には「いさぶろう」・「しんぺい」用の、2006年には「はやとの風」用の増備車がそれぞれ追加で改造され、本グループに編入されている。詳細は後述する。

また最近では8000番台は機関交換と同時にトイレ用の水タンクを小型化して車内に設置し、不要となった屋根上のタンクを撤去し同時にトイレの窓も埋められている車両が登場した。

  • キハ40 2038・2050・2051・7056・2069・2097・2099 - 2104・2126・2128 → 8038・8050・8051・8056・8069・8097・8099 - 8104・8126・8128
  • キハ47 5051・52・55・56・60・62・5077・87・88・92・119・120・121・123・124・129・135・157・159・509・1031・1042・1048・1051・1072・1073・1075・1077・1082・1084・6097・6098・1126・1509 → 8051・8052・8055・8056・8060・8062・8077・8087・8088・8092(はやとの風仕様)・8119・8120・8121・8123・8124・8129・8135・8157・8159・8509・9031・9042・9048・9051・9072・9073・9075・9077・9082(いさぶろう・しんぺい仕様)・9084・9097・9098・9126・9509


キハ47形3500・4500番台

キハ47形の走行用機関をコマツディーゼル製のものに交換し、出力増強を図ったグループ(8000番台・9000番台)のうち、台車の2軸駆動化(従来は1軸駆動)を施工したものである。2005年に500番台・1500番台の改造により登場した8500番台・9500番台各1両を再改造した。番号は原番マイナス5000であるが、原原番に対してはプラス3000である。

  • キハ47 8509・9509 → 3509・4509

特急「はやとの風」用改造車

はやとの風

2004年の九州新幹線開業に伴い新設された観光特急「はやとの風」に使用するため、キハ140 2066とキハ147 1045の2両が車体内外の改装を受けた。車体中央部に展望スペースを設けてその部分の窓を床面から屋根にまで達する大きなものに取り替えた他、座席を回転式リクライニングシートに交換、内装には難燃性の木材を使用したものとしている。塗装はロイヤルブラック1色とされ、各所にロゴをちりばめている。

2006年には追加でキハ47 8092が改造され、キハ147 1045を方向転換して2両編成を組むようになった。これにより、キハ140 2066は多客時の増結用となった。なお、キハ47 8092の内装は、従来から在籍する車両に比べ、明るい印象のものに変更されている。

本系列で唯一の特急用車両であるが、台車は従来の金属バネ台車のままで、最高速度も従来と変わらず95km/hである。

「いさぶろう」・「しんぺい」用改造車

「いさぶろう」・「しんぺい」(2004年11月24日、人吉駅にて)

九州新幹線開業に伴い、特急「はやとの風」に接続して肥薩線で運転される観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するため、キハ140 2125にも同様の改造を実施している。こちらの外板塗色は九州新幹線の800系つばめ」にも使用している古代漆色(深赤)で、座席は木製ベンチ風のボックスシートとしている。また、車体中央部に展望スペースが設けられて窓の拡大が行われているのは「はやとの風」用車両と同じであり、尾灯の脇に前照灯を増設しているのが外観の相違点として目立つ。その後10月には多客時の増結用としてキハ47 9082が追加で改造されているが、こちらは窓の拡大がなされていない。

運行路線

JR北海道

電化区間の総延長割合が低く、輸送量の少ない区間が多数存在する同社では、多くの区間で本系列を普通列車の主力として使用する。キハ54形など他形式を常用する区間でも臨時の運用に本系列を用いる例や、電化区間でありながら恒常的に使用される室蘭本線のような事例もある。ワンマン運転・2両以下の短編成対応など実輸送量に見合った運用ができる電車形式を保有しない同社の現状に鑑み、既に多数を保有する気動車を電化の有無にかかわらず共通運用することで運用コストの最適化を図るものである。

同社管内では、以下の線区で定期運用がある。

JR東日本

八戸運輸区

秋田車両センター

小牛田運輸区

会津若松運輸区

新津運輸区

宇都宮運転所

JR東海

JR西日本

JR四国

JR九州

キハ47 8076。2008年4月18日より香椎線で運行を始めた塗色変更車。(手前)

脚注

  1. ^ 車体断面が狭く座席の設計に難があったが、台車の心皿荷重上限が小さく、座席の交換は重量増となるため、またロングシート化などの格下げ改造も定員増=荷重増となるため、いずれも困難で、交換用台車の新製などの改造予算確保よりも新車製造予算の確保が優先されたため、無煙化が一段落つきキハ10系の老朽化や陳腐化が深刻になった1970年代後半まで抜本的な対策を講じられることもないまま、そのまま放置されていた。
  2. ^ 機関の冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を循環させて暖める。なお、気温が低い時や下り勾配や停車時など機関の廃熱だけでは冷却水温度が上がらない場合には、機関始動用の機関予熱器を使用して補助的に加熱する。
  3. ^ その後の新型気動車ではエンジンの直噴化等で熱効率が上昇して機関の発熱が著しく減少したため、温水式暖房を採用する場合、熱源となる機関発熱が減少する下り勾配などで暖房能力が低下する、あるいは寒冷地では根本的に暖房能力が不足する、という問題が発生した。そのため、それらは変速機内装のコンバータブレーキの使用によって温度が上昇した変速機油を補助熱源とすることで下り勾配での暖房能力の不足を補う(直噴機関搭載で始動に不要として機関予熱器を省略したJR東日本キハ100・110系など)、厳寒時の始動用に搭載されている機関予熱器を暖房熱源として常用する(JR北海道キハ150形など。ちなみにキハ150形の機関予熱器はそれ単体で本系列の暖房用熱交換器の公称能力(空気と水の温度差50度の時の能力)と同じ30,000kcal/hの発熱能力を備えている)といった対策を講じている。これらは共に自動車用温水暖房を採用しているが、他社では機関の動作状態に影響されず、しかも構造簡易で確実な動作が得られる軽油燃焼暖房へ回帰した例も多い。
  4. ^ そもそも非力なDMF15HSAでは走行用だけでも出力不足で、直接駆動方式のバス用冷房装置は使用が困難という事情もあった。
  5. ^ 初期製造車はFRPユニットではなく、化粧板を使用する通常構造であった。
  6. ^ 連続定格出力150 - 180PS。ただし、本系列製造開始時点では事実上連続定格出力180PSのDMH17C・H系に収斂していた。
  7. ^ 連続定格出力220PS/1600rpm、連続定格出力時燃料消費率185g/PS/h、最大出力250PS/2000rpm。
  8. ^ インタークーラー追加で連続定格出力300PS/1600rpm、最大出力355PS/2000rpmを発揮したが、同時開発でより大出力のDML30HS系(連続定格500PS/1600rpm、最大出力590PS/2000rpm。直列6気筒の DMF15HSAを倍の水平対向12気筒に組み替えたもので、シリンダの各部設計が共通の姉妹機種)がキハ181系キハ65形、キハ66系などに走行用機関として正式採用されたため、こちらはインタークーラーを外して180PS/1500rpmとし、12系14系客車、キハ181系に発電用のDMF15HS-Gとして搭載された。
  9. ^ DML30HS系エンジンは本来計画された定格出力では充分な信頼性を確保できなかったため、搭載各車について事実上のデチューンが実施されており、このキハ66系に搭載されたDML30HSHでも、信頼性確保を目的として連続定格出力が500PS/1,600rpmでは実用的には使用できないことが判明したため定格出力を440PS/1600rpmに適正化して使用していた。また、DML30HS系は高出力であるものの旧態依然とした副燃焼室式の大トルク中速機関であり、直噴式の高速機関が一般化した現代のエンジンと比べると燃費が悪く発熱も過大であるため大容量ラジエータの搭載が必須となり、例えば夏期にオーバーヒートが頻発したキハ181系中間車では屋根上の自然通風式冷却器に加え床下に強制送風式補助冷却器の追加をし、キハ66系でも屋根上に強制通風式ラジエターを搭載することで冷却能力に余裕を持たせていた。
  10. ^ キハ66系では冷房用電源のないキハ66でも重量が約40tで積車時の軸重が13tを大きく超過しており、丙線以下への入線は困難であった。
  11. ^ DW6形は日立製の変速機番号1000番台が1段4要素、川崎重工製の変速機番号2000番台が1段3要素
  12. ^ DMH17C(定格出力180PS)搭載車。変速機として DF115A ないし TC2A を搭載。
  13. ^ ただし、台車に逆転器を搭載しなくなった分枕梁の軽量化をしている。
  14. ^ DT44形が5510 kg、TR227形が4690kg 、重量の増した DT44A形でも6240kg、TR227A形で5400kg である。
  15. ^ 国鉄では165系急行電車などに大量採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式である。
  16. ^ C:3圧式制御弁付 L:応荷重装置付 E:電磁弁付をそれぞれ示す。
  17. ^ ただしDA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。
  18. ^ キハ183系などに使用されている接点数61ピンの気動車用多心ジャンパ連結器。なお、昭和53年度2次債車までは60ピンである。
  19. ^ KE93形をKE53形2個に変換するアダプタ。
  20. ^ 381系電車やキハ66系の車間に使用される、接点数90ピン。
  21. ^ 在来の気動車と同様、片栓ジャンパ線を連結面を外から見て左側(運転台の助手席側)に、栓受けを右側に装備する。
  22. ^ ジャンパ栓受は連結器の胴受の下に設置されている。
  23. ^ 断熱材補強など酷寒地対策を施した車両は約40tにも達する。
  24. ^ TC2A・DF115A変速機は、通常、45km/hで変速-直結の切替を行なう。
  25. ^ DMH17系エンジンで190g/PS/h、キハ110系のDMF14HZAで154g/PS/h
  26. ^ JR東海の環境報告書2006にエンジン換装前後の燃費について記載されているが、換装前の71%に改善されている。
  27. ^ JR西日本が大糸線のキハ52をキハ40に置き換える計画を立て、線内で走行試験を行ったが、出力不足で計画は中止されたという事例がある。
  28. ^ 窓配置はそのままとされたため、窓配置と座席の間隔はほぼ不一致であった。
  29. ^ 床面をフラットにすることも可能である。
  30. ^ 変速機は N-DW14B へ換装された。
  31. ^ このうちの1両である1795が函館運転所構内の接触事故で2007年3月7日に廃車になっている。
  32. ^ 水タンクの車内搭載化改造は一部在来700番台車にも施工されている。
  33. ^ JR東日本プレスリリース
  34. ^ 一部に機関換装時点でワンマン設備を装備していたものの再改番を含む。
  35. ^ 2両は6000番台改番時点で改造済み。
  36. ^ 岡山電車区気動車センター所属のキハ40形3000番台は、2008年10月現在も265PSのまま使用されている。
  37. ^ ただし、台車が元のままで1軸駆動であり、急勾配区間では軸重に対して大出力が勝ち過ぎて、空転を起こしやすい傾向があるといわれる。そのため、台車強度の関係から出力を本来の355PS から330PSに落としている。また、液体変速機はキハ40系の最高速度が95km/hの為、105km/h以上で使用可能な直結3段目は使用されず、実質的には変速2段・直結2段である。

参考文献

  • 旧北海道鉄道学園『キハ40系ディーゼル動車』(交友社
  • 藤田吾郎「全国統一タイプ最後の系列 キハ40系一族」 交友社『鉄道ファン』2004年12月号 No.524 p70~p101
  • 綾部匠馬「JR九州のキハ40系に、トイレタンク撤去車登場」 交友社『鉄道ファン』2005年9月号 No.533 p178 POST欄
  • 岩谷淳平「北陸のローカル事情 平成17年度総括」 交友社『鉄道ファン』2006年7月号 No.543 p156~161 REPORT欄

関連項目