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*勝俣鎮夫「年季売」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5)
*勝俣鎮夫「年季売」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5)
*須麿千穎「年紀売」(『国史大辞典 11』(吉川弘文館、1990年) ISBN 978-4-642-00511-1)
*須麿千穎「年紀売」(『国史大辞典 11』(吉川弘文館、1990年) ISBN 978-4-642-00511-1)

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2009年3月11日 (水) 23:55時点における版

年期売(ねんきうり・年季売年紀売)とは、中世日本で行われた売買契約の1つ。土地などの対象物件を一定期間に限って売却して代価を受け取り、契約期間満了後には自動的に売主に権利が戻る契約である。

契約が満了すれば、契約書なども不要となって廃棄されるため遺存している物が少ないが、契約期間は10年もしくは20年が多く、30年・50年の例もある。契約期間中に対象物件から見込まれる収益が売却代金及び利息の合計と見合う形での代価によって取引が行われていたと考えられている[1]。また、契約期間中に買主に違約があった場合には売主は本銭返と同じように直ちに買戻しが認められた(本銭弁償文言)をはじめ、売主の課役負担や抵当物件の処理、入質の設定、罪科文言などの多くの条件が契約を記した証文中に記されていた。

古代の賃租にルーツを求める説もあるが、通説では鎌倉時代に発生したと考えられている。中世の土地売買には今日の売却に相当する永代売[2]、元金をもって買い戻す本銭返、そして年期売があったが、売主である本主の権限が最も色濃く残された年期売が農民層を中心として広く行われていたと考えられている。また、武士社会では恩給地の永代売が禁止されていたが、武士の経済状況の救済を目的として年期売を例外的に認めていた分国法も存在する。

なお、永仁の徳政令では年期売に関する規定はないが、建武政権室町幕府徳政令では年期売も対象とされていた。

脚注

  1. ^ また、特殊な例として年期売後に売主は物件自体は引き渡さずに、買主は売主から代価に見合う収益相当の支払を受けた例もある。
  2. ^ ただし、古代・中世日本においては近現代の法学的な意味での所有権の概念が希薄で、土地と本主は本来は不可分な関係であり本主(売主)は潜在的に買主に対して請戻を要求できる権限を持っていると考えられていた(本主権)と言われている。

参考文献