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'''小田切秀雄'''(おだぎり・ひでお、[[1916年]][[9月20日]] - [[2000年]][[5月24日]]) は日本の文芸評論家。[[東京都]]出身。[[法政大学]][[文学部]]国文科卒業。古典から現代作家までの幅広い評論を行った。[[マルクス主義]]芸術論による執筆が多い。[[1941年]]、『万葉の伝統』で注目されたが、[[1943年]]応召、[[1944年]]逮捕された。戦後、「[[近代文学]]」創刊に加わる。『人間と文学』『近代日本の作家たち』『[[二葉亭四迷]]』『私の見た昭和の思想と文学の五十年』など数多くの著作がある。
'''小田切秀雄'''(おだぎり・ひでお、[[1916年]][[9月20日]] - [[2000年]][[5月24日]]) は日本の[[文芸評論家]]。[[東京都]]出身。[[法政大学]][[文学部]]国文科卒業。古典から現代作家までの幅広い評論を行った。[[マルクス主義]]芸術論による執筆が多い。[[1941年]]、『万葉の伝統』で注目されたが、[[1943年]]応召、[[1944年]]逮捕された。戦後、「[[近代文学]]」創刊に加わる。『人間と文学』『近代日本の作家たち』『[[二葉亭四迷]]』『私の見た昭和の思想と文学の五十年』など数多くの著作がある。

2005年7月6日 (水) 06:18時点における版

小田切秀雄(おだぎり・ひでお、1916年9月20日 - 2000年5月24日) は日本の文芸評論家東京都出身。法政大学文学部国文科卒業。古典から現代作家までの幅広い評論を行った。マルクス主義芸術論による執筆が多い。1941年、『万葉の伝統』で注目されたが、1943年応召、1944年逮捕された。戦後、「近代文学」創刊に加わる。『人間と文学』『近代日本の作家たち』『二葉亭四迷』『私の見た昭和の思想と文学の五十年』など数多くの著作がある。