「スティパ・カプロニ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
from en:Stipa-Caproni 18:08, 13 December 2008 UTC. 1932年に初飛行したイタリアのダクテッドファン実験機。
 
19行目: 19行目:


== 設計 ==
== 設計 ==
スティパの基本的なアイデアは、プロペラ後流とエンジンの排気を先細りのダクトで圧縮するというもので、本的には[[ベルヌーイの定理]]の応用である。さらに、ダクトの断面を[[翼型]]に似たものにすることで、主翼に加えて胴体が揚力を生み出すこともできた。その設計は、近代的な[[ジェットエンジン]]に近いもので、実際、[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で[[1938年]]に特許を取得したスティパは、ドイツのロケット・ジェット技術(特に [[V1飛行爆弾|V-1 飛行爆弾]]のもの)は彼の発明を無許可で使用したものだと考えていた。
スティパの基本的なアイデアは、プロペラ後流とエンジンの排気を先細りのダクトで圧縮するというもので、本的には[[ベルヌーイの定理]]の応用である。さらに、ダクトの断面を[[翼型]]に似たものにすることで、主翼に加えて胴体が揚力を生み出すこともできた。その設計は、近代的な[[ジェットエンジン]]に近いもので、実際、[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で[[1938年]]に特許を取得したスティパは、ドイツのロケット・ジェット技術(特に [[V1飛行爆弾|V-1 飛行爆弾]]のもの)は彼の発明を無許可で使用したものだと考えていた。


== 試験とその後 ==
== 試験とその後 ==

2009年2月10日 (火) 10:18時点における版

スティパ・カプロニ

スティパ・カプロニイタリア語:Stipa-Caproni)は、1932年イタリアルイージ・スティパによって設計され、カプロニ社によって製造された実験機である。中空の樽型の胴体の中に、プロペラとエンジンを完全に取り込んだ形状をしたものだった。すなわち、胴体全体が一つのダクテッドファンになっていた。イタリア王立空軍はスティパ・カプロニの開発に興味を示さなかったが、その設計はジェットエンジンの開発への重要なステップになった。

設計

スティパの基本的なアイデアは、プロペラ後流とエンジンの排気を先細りのダクトで圧縮するというもので、本質的にはベルヌーイの定理の応用である。さらに、ダクトの断面を翼型に似たものにすることで、主翼に加えて胴体が揚力を生み出すこともできた。その設計は、近代的なジェットエンジンに近いもので、実際、ドイツアメリカ1938年に特許を取得したスティパは、ドイツのロケット・ジェット技術(特に V-1 飛行爆弾のもの)は彼の発明を無許可で使用したものだと考えていた。

試験とその後

1932年10月7日、カプロニのテストパイロットであるドメニコ・アントニーニは、スティパ・カプロニの試作機のテスト飛行を行った。次に機体はモンテチェーリオへ移送され、そこでイタリア空軍のさらなるテストが行われた。テストパイロットは口をそろえて、スティパ・カプロニはとても安定性が高い、別の言い方をすれば飛行進路を変えることが難しいと報告した。また、68km/h という非常に遅い着陸速度と、それに続く短い着陸滑走も、テストパイロットたちを驚かせた。

スティパ・カプロニの性能は一般的な飛行機を上回るものではなかったため、空軍は簡単なテスト飛行の後に、これ以上の開発をキャンセルすることを決定した。しかし、スティパ・カプロニから得られた経験は、モータージェット機のカプロニ・カンピニ N.1 の開発に重要な影響を与えた。

諸元

  • 長さ: 5.55 m
  • 翼幅: 14.28 m
  • 高さ: 3 m
  • 重量: 800 kg
  • エンジン: デハビランド ジプシー III
  • 出力: 120 hp
  • 最高速度: 131 km/h

参考文献

  • Thompson, Jonathan W. Italian Civil and Military Aircraft, 1930-1945, Aero Publishers, 1963

外部リンク