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「ハイメ2世 (アラゴン王)」の版間の差分

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1285年、父王の死去を受けてシチリアの王位に即いた。さらに1291年に兄[[アルフォンソ3世 (アラゴン王)|アルフォンソ3世]]が死去するとアラゴン王位も継承した。その後シチリア奪還を目指す[[ナポリ王国|ナポリ]]王[[カルロ2世 (ナポリ王)|カルロ2世]]と争い、1296年に結んだ講和条約でハイメ2世はシチリア王位を放棄した。しかしシチリア人はその後継にハイメの弟[[フェデリーコ2世]]を選んだため、カルロ2世の望みは達成されなかった。
 
ハイメ2世は4度結婚している。最初の王妃は[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[サンチョ4世 (カスティーリャ王)|サンチョ4世]]の王女イサベルであったが、サンチョ4世の死後ハイメ2世はカスティーリャに対する政策を同盟から干渉に変更したため離婚した。[[1295年]]に結婚した2番目の王妃は対立していたナポリ王カルロ2世の王女[[ブランカ・デ・ナポレス|ブランカ]]で、間に嫡子[[アルフォンソ4世 (アラゴン王)|アルフォンソ]]やイサベル(ドイツ王[[フリードリヒ3世 (ドイツ王)|フリードリヒ3世]]([[オーストリア]]公フリードリヒ1世美王)妃)をもうけた。[[1315年]]には[[キプロス王国|キプロス]]王[[ユーグ3世 (キプロス王)|ユーグ3世]]の王女マリーと、[[1322年]]にはカタルーニャ貴族エリセンダ・デ・モンカダと結婚したが、子供は生まれなかった。
 
{{先代次代|[[ナポリとシチリアの君主一覧|シチリア王]]|1285年 - 1296年|[[ペドロ3世 (アラゴン王)|ピエトロ1世(大王)]]|[[フェデリーコ2世]]}}
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