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'''ジェームス・J・コーベット'''('''James John Corbett'''、[[1866年]][[9月1日]] - [[1933年]][[2月18日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[カリフォルニア州]]出身の男性[[プロボクサー]]で、近代[[ボクシング]]の先駆者である。通称は'''闘う銀行員'''。 |
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* 1892年9月7日、5[[オンス]]グローブ使用の[[クインズベリー・ルール]]によって初めて行われた世界タイトルマッチで、王者[[ジョン・L・サリバン]]と戦い21回1分30秒KO勝ちでタイトル奪取した。 |
* 1892年9月7日、5[[オンス]]グローブ使用の[[クインズベリー・ルール]]によって初めて行われた世界タイトルマッチで、王者[[ジョン・L・サリバン]]と戦い21回1分30秒KO勝ちでタイトル奪取した。 |
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*: [[クインズベリー・ルール]]が定められる以前の[[ベアナックル]](素手)「ロンドン・プライズリング・ルールズ」時代の王者で、3年のブランクで浴びるように酒を飲み続けた結果太鼓腹となっていた34歳213[[ポンド (質量)|ポンド]](約96[[kg]])のサリバンのスタンド・アンド・ファイトスタイルと近代ボクシングのテクニックを駆使した27歳178ポンド(約80kg)の[[アウトボクシング]]スタイルのコーベットでは、今でこそ戦う前から結果は明らかなのだが、当時はまだ左の[[ジャブ]]や[[フットワーク]]を駆使し相手のパンチをよけるコーベットの戦法は馴染みが無く、'''ビッグ・ジョン'''と言われた豪腕サリバンは翻弄され続けた結果、ついにコーベットを捕まえることができずに21回に3度のダウンを奪われKOされてしまった。しかし当時の民衆はこのコーベットの戦法を「卑怯者の戦法」、「 |
*: [[クインズベリー・ルール]]が定められる以前の[[ベアナックル]](素手)「ロンドン・プライズリング・ルールズ」時代の王者で、3年のブランクで浴びるように酒を飲み続けた結果太鼓腹となっていた34歳213[[ポンド (質量)|ポンド]](約96[[キログラム|kg]])のサリバンのスタンド・アンド・ファイトスタイルと近代ボクシングのテクニックを駆使した27歳178ポンド(約80kg)の[[アウトボクシング]]スタイルのコーベットでは、今でこそ戦う前から結果は明らかなのだが、当時はまだ左の[[ジャブ]]や[[フットワーク]]を駆使し相手のパンチをよけるコーベットの戦法は馴染みが無く、'''ビッグ・ジョン'''と言われた豪腕サリバンは翻弄され続けた結果、ついにコーベットを捕まえることができずに21回に3度のダウンを奪われKOされてしまった。しかし当時の民衆はこのコーベットの戦法を「卑怯者の戦法」、「卑怯者」と罵り拒否反応を示した<ref>後にロバート・L・リプレイは、自らのコラムでコーベットを取り上げ、相手に傷一つ負わせた事さえない、紳士的なボクサー。と紹介した。</ref>。 |
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* 1897年3月17日、[[ボブ・フィッシモンズ]]に14回KO負けで世界王座陥落。 |
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* 第2代世界ヘビー級王座(1892年9月7日 - 1897年3月17日) |
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2009年1月28日 (水) 23:51時点における版
基本情報 | |
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本名 | ジェームス・ジョン・コーベット |
通称 | ジェントルマン・ジム |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1866年9月1日 |
出身地 |
アメリカ合衆国、カリフォルニア州 サンフランシスコ |
死没日 | 1933年2月18日(66歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 22 |
勝ち | 12 |
KO勝ち | 5 |
敗け | 4 |
引き分け | 4 |
ジェームス・J・コーベット(James John Corbett、1866年9月1日 - 1933年2月18日)は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州出身の男性プロボクサーで、近代ボクシングの先駆者である。通称は闘う銀行員。
来歴
- 1866年9月1日、カリフォルニア州サンフランシスコで生まれる。銀行員をしていたがボクサーに転向。
- 1892年9月7日、5オンスグローブ使用のクインズベリー・ルールによって初めて行われた世界タイトルマッチで、王者ジョン・L・サリバンと戦い21回1分30秒KO勝ちでタイトル奪取した。
- クインズベリー・ルールが定められる以前のベアナックル(素手)「ロンドン・プライズリング・ルールズ」時代の王者で、3年のブランクで浴びるように酒を飲み続けた結果太鼓腹となっていた34歳213ポンド(約96kg)のサリバンのスタンド・アンド・ファイトスタイルと近代ボクシングのテクニックを駆使した27歳178ポンド(約80kg)のアウトボクシングスタイルのコーベットでは、今でこそ戦う前から結果は明らかなのだが、当時はまだ左のジャブやフットワークを駆使し相手のパンチをよけるコーベットの戦法は馴染みが無く、ビッグ・ジョンと言われた豪腕サリバンは翻弄され続けた結果、ついにコーベットを捕まえることができずに21回に3度のダウンを奪われKOされてしまった。しかし当時の民衆はこのコーベットの戦法を「卑怯者の戦法」、「卑怯者」と罵り拒否反応を示した[1]。
- 1897年3月17日、ボブ・フィッシモンズに14回KO負けで世界王座陥落。
- 1933年2月18日死去。
戦績
- プロボクシング: 22戦 12勝 5KO 4敗 4引分け
獲得タイトル
- 第2代世界ヘビー級王座(1892年9月7日 - 1897年3月17日)
脚注
- ^ 後にロバート・L・リプレイは、自らのコラムでコーベットを取り上げ、相手に傷一つ負わせた事さえない、紳士的なボクサー。と紹介した。
関連項目
前王者 ジョン・L・サリバン |
第2代世界ヘビー級王者 1892年9月7日 - 1897年3月17日 |
次王者 ボブ・フィッシモンズ |