「天文博物館五島プラネタリウム」の版間の差分

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'''天文博物館五島プラネタリウム'''(てんもんはくぶつかんごとうプラネタリウム)は、[[東京都]][[渋谷区]]の[[渋谷駅]]前、[[東急文化会館]]([[2003年]]解体)8階にあった天文[[博物館]]。館名の「五島」は開館当時の[[東京急行電鉄]]会長、[[五島慶太]]の姓にちなむ。[[2001年]]3月に閉館し、館の資料は渋谷区教育委員会が所管する「渋谷区五島プラネタリウム天文資料」に引き継がれた(投影機も同所に解体保存)。当時としては珍しい民間運営の[[プラネタリウム]]だった。
 
== 歴史 ==
東京で最初のプラネタリウムは、[[1938年]]に開館した[[東日天文館]](現在の東京都[[千代田区]][[有楽町]]に所在)であった。しかし[[1945年]]に[[空襲]]により焼失し、[[戦後]]しばらく東京近郊にプラネタリウム施設はなかった。
 
施設は[[1956年]][[11月24日]]付けで[[文部大臣]]の許可を受け、「[[財団法人]]天文博物館五島プラネタリウム」として発足した。機器には、[[西ドイツ]][[カール・ツァイス]]社製のプラネタリウム投影機IV型1号機をはじめ、[[ニコン|日本光学]]製のシーロスタット望遠鏡、木辺鏡を使った15cm反射望遠鏡など、当時の最高機器が集められ[[1957年]]4月1日に開館した。<!--参考文献は末尾に移動-->
 
== 特色 ==
施設は東急文化会館8階にあり、屋上から巨大なドームが突き出る姿は、このビルのシンボルであった。プラネタリウムの星が写る[[ドーム]]・[[スクリーン]]は、直径20mの平床式で、453席の座席は同心円状に配置された。中央の投影機は前述した通りで、1,000Wの[[タングステン]]球2個により6.5等星まで約8,900個の星を投影した。
 
さまざまな番組を作成する資料として、[[洋書]]も含めた書籍が多く収集され、独自の説明図等が数多く作成された。そして最大の特徴として、開館時より番組内容をチェックする機構として学芸委員会が組織されていたことがあげられる。学芸委員会の歴代メンバーは、[[野尻抱影]](作家)、鏑木政岐([[東京大学]][[名誉教授]])、宮路政司(元東京天文台長)、朝比奈貞一(元国立博物館)、[[藤田良雄]](元[[日本学士院]]院長)、広瀬英雄(元東京天文台長)、大崎正次(元[[東京都立九段高等学校]]教諭)、[[村山定男]](元国立科学博物館)、原恵([[青山学院大学]]名誉教授)、[[高瀬文志郎]](東京大学名誉教授)、日江井栄二郎(元[[明星大学]]学長)という学識経験者だった。
 
== 常設展示 ==
ロビーは、常設展示場になっていた。[[イギリス]]のフィリップス社製の[[天球儀]](直径約1m)、精巧な縮尺で作られた8台の歴史的な[[天体望遠鏡]]の模型、天体写真、四季の[[星座]][[ジオラマ]]、三球儀、[[人工衛星]]の模型などがあった。東急文化会館屋上には[[太陽]]観測用の望遠鏡(シーロスタット)があり、晴天日には展示室の最奥部で太陽面を観察することができた。
 
出口付近に売店があり、天文グッズのほか、[[日本天文学会]]の会報『天文月報』を入手することができた。この売店では関西系の[[東亜天文学会]]の会報『天界』の[[バックナンバー]]もあり、関東圏では手に入りにくかったことからアマチュア天文家には重宝がられた。
 
== 一般投影 ==
メインの[[プログラム|番組]]を「一般投影」と呼び、月毎に話題を変え、平日5回、土日祝日は6回の投影があった。閉館までの制作数は、524番組にも及び、すべて自主制作であった。番組内容は、季節の星空案内と天文の話題でまとめられ、約1時間を生解説で行った。天文の話題は、[[日食]]・[[月食]]や[[流星]]などの[[天文現象]]、[[位置天文学]]、[[恒星進化論|恒星進化]]、[[宇宙論]]、古天文学、[[宇宙開発|宇宙探査]]など多岐にわたっていた。天文学的な内容については、毎月開かれた学芸委員会で吟味されていた。
 
演出効果を上げるために、さまざまな映像資料を収集していた。[[1950年代]]から1970年代は東京天文台などから写真を、[[1980年代]]に入ると[[ボイジャー計画|ボイジャー探査機]]の映像を[[通信社]]経由で入手してテレビの次に早く使用したり、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]による映像も使い始めた。そして[[1990年代]]半ばには、[[インターネット]]を通じて入手した映像を使用するようになった。時には、[[五藤光学研究所]]とエヌ・ケー・エクサ社の協力で、全天周リアルタイムフルカラー[[コンピュータグラフィックス|CG]]投影システムの[[バーチャリウム]]で、[[太陽系]]旅行の演出をしたこともある。また、職員自身が日食・月食や[[彗星]]・流星などの映像を撮影し、番組に使用することもあった。
 
== 幼稚園アワー・学習番組 ==
平日と土曜日には幼児向けと小中高校生向けの学習投影が行われ、空席がある場合は一般客も参加することができた。幼児向けは、「[[七夕|たなばた]]アワー」、「[[月見|お月見]]アワー」、「[[クリスマス]]アワー」の3種類があった。小中高校生向けには、[[月]]の動き、太陽の動き(と季節変化)、星の動き、緯度変化と[[日周運動]]の変化、[[惑星]]の[[年周運動]]、[[座標#座標系|座標系]]の基礎など、利用する学校の希望を組み入れた独自の番組が実施されていた。
 
== 特別投影 ==
日曜日には親子向けの番組「親と子の天文教室(後のやさしい星空教室)」、土曜日の最終回は「星と音楽の夕べ」、高校生天文教室、基礎天文セミナー、星空最新ニュース、星空ファンタジーなど時代に合わせた特別投影も開催された。
 
== 特別な催し ==
七夕の集い、夏休み天体観察教室、お月見の集い、東急サンクスデー、[[しし座流星群]]を見よう会、クリスマスコンサートなどの催しのほか、毎月1回の頻度で屋上にて天体観望会が開かれた。
 
== 星の会 ==
「五島プラネタリウム星の会」は高校生以上の一般クラスと小中学生を対象したクラスがあり、毎月1回の例会が各々開催された。一般クラスでは、東京天文台や[[東京大学]]、[[京都大学]]などの[[天文学者]]を講師に迎えた講演を毎回聴くことが出来た。1月の例会では、国立科学博物館理化学部長の村山定男(後に同館最後の館長)による「今年の天文現象の解説」が恒例であった。小中学生を対象にしたクラスでは、解説員により天文現象や基礎的な天文の話題について、平易な内容で話を聴くことができた。例会の他、会員を対象に、1泊2日の恒例の観望会(夏または秋)や日食や彗星を観察にいくツアーも実施された。
 
星の会の運営は、野尻抱影を会長とする星の会委員による運営であったが、やがて五島プラネタリウムの運営に切り替えられた。月1回の例会の内容は、年に2回開催される星の会委員会にて決められていた。
 
== 掲示板 ==
1980年代、「最も早い天文情報は、ここのドーム横の掲示板に張り出されたニュースだ」と言われていた。[[1985年]][[10月8日]]夕方、[[人工衛星]]の落下直後に、[[光害]]の少ない所で[[ジャコビニ流星群]]が突発的に流れたというニュースは、同館の掲示板が一番早かった。[[天文学]]に興味をもつ市民・学生は、最新情報を入手するために同館を利用する者もいた。1990年代に入って[[パソコン通信]]による情報網が形成されたことが、館の存続のマイナス要因の一つでもあった。
 
== 閉館後の施設の活用 ==
イメージスタジオ・イチマルキュウ (109) により、デジタルエンターテインメント劇場「[[E-Field]]」が2001年8月10日にオープンした。『[[ガンダム新体験 グリーンダイバーズ]]』というオリジナル作品(約24分)の映像を1日10回、[[DLP]]プロジェクタで上映していた。現在では各地で徐々に増えつつある製作から上映までフルデジタルの映像作品の上映は日本国内でも早い時期で実験的な意味も含まれていた。
 
*『五島プラネタリウム44年のあゆみ』 2001年
 
== 関連項目 ==
* [[村山定男]]
* [[佐久間精一]]
* [[瀬名秀明]]
* [[草下英明]] - 元解説員。
* [[村松修]] - 元解説員。
* [[林原めぐみ]] - 当館を熱烈に支持、担当ラジオ番組でもしばしば言及した。閉館前の一時期、上映アナウンスも担当。
 
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