「バイエルン級戦艦」の版間の差分
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|吃水||9.35 m |
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|機関||海軍式石炭・重油混焼水管缶+パーソンズ式 |
|機関||海軍式石炭・重油混焼水管缶14基+パーソンズ式直結タービン3基3軸推進<br />(ザクセン パーソンズ式直結タービン2基&ディーゼル機関1基計3軸推進) |
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|最大出力||35,000 [[馬力|hp]]<br />(ザクセン 40,000hp) |
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|兵装||SK L/45 38cm(45口径)砲連装4基<br />SK L/45 15cm(45口径)砲単装16基<br />SK L/45 8.8cm(45口径)砲単装8~10基<br />24インチ(60cm)[[魚雷発射管|水中魚雷発射管]]単装5門 |
|兵装||SK L/45 38cm(45口径)砲連装4基<br />SK L/45 15cm(45口径)砲単装16基<br />SK L/45 8.8cm(45口径)砲単装8~10基<br />24インチ(60cm)[[魚雷発射管|水中魚雷発射管]]単装5門 |
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|装甲||舷側:170mm~350mm(主要装甲部)<br />100mm(艦首尾部)<br />甲板 |
|装甲||舷側:170mm~350mm(主要装甲部)<br />80mm(最上甲板)<br />100mm(艦首尾部)<br />50mm(水密区画)<br />甲板:30mm(主甲板)<br />40mm(最上甲板)<br />30mm(中甲板)<br />砲塔:350mm(前盾垂直部)、200mm(前盾傾斜部)<br />250mm(側盾・後盾)<br />120mm(天蓋)<br />副砲ケースメイト:170mm<br />バーベット:350mm(前盾)、250mm(側盾・後盾)、50mm(船体内)<br />弾薬庫:250mm(最大)<br />司令塔:400mm(側面)<br />180mm~200mm(天蓋)<br />250mm(後盾) |
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'''バイエルン級戦艦''' ('''Bayern - Klasse''') は、[[ドイツ海軍]]の最初の[[超弩級戦艦]]。本艦は[[第一次世界大戦]]前に[[帝政ドイツ]]の艦隊法で整備された最後の艦級で1913年度2隻、1914年度2隻で計4隻の建造が承認された艦であった。 |
'''バイエルン級戦艦''' ('''Bayern - Klasse''') は、[[ドイツ海軍]]の最初の[[超弩級戦艦]]。本艦は[[第一次世界大戦]]前に[[帝政ドイツ]]の艦隊法で整備された最後の艦級で1913年度2隻、1914年度2隻で計4隻の建造が承認された艦であった。 |
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==設計== |
==設計== |
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本級の排水量は遂に3万トンを超える32,000トンにおよび、主砲は |
本級の排水量は遂に3万トンを超える32,000トンにおよび、主砲は「ヘルゴラント級」以来の30.5cm砲から一挙に38cm(15インチ)砲が採用された。これを確実な動作を約束する連装砲塔に収め、前後に2基を背負い式配置で計4基を装備、副砲は最上甲板下の舷側部分にケースメイト配置で左右8門ずつ装着された。本級はの火力は同時期に開発中であった[[イギリス海軍]]の15インチ砲装備の戦艦、もしくは[[フランス海軍]]の34cm砲10門戦艦に投射弾量で匹敵した。しかしながら本級の主砲は軽量の砲弾を使用したため、射程は大きいものの射程が伸びるにつれ威力で英仏に劣るものであった。また、戦時中の[[ドイツ]]は上質の重油の安定した供給を得ることができず、本級は石炭を主に使用する混焼缶を使用したため艦隊速力の低速に苦しめられた。 |
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=== 主砲塔配置 === |
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主砲塔の配置は、新設計の「SK L/45 38cm(45口径)砲」である。その性能は重量750kgの砲弾を最大仰角16度で20,400 mまで届かせることが出来るこの砲を前級と同じく連装砲塔に収めた。俯仰能力は仰角20度、俯角8度であるが、後述する設計途中の改装により最終的に最大仰角20度で23,200 mまで届かせることができた。 |
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旋回角度は船体首尾線方向を0度として左右150度の広い旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分2~2.5発である。 |
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これを1、2番主砲塔に収め、背負い式に2基、装甲司令塔を組み込んだ操舵艦橋と三段の見張り所を持つ三脚檣、第一煙突と第二煙突のうち、第二煙突の両脇に艦載艇揚収用のデリッククレーン、第二煙突と簡素な単脚後檣の間は探照灯台となっている。その背後に3番、4番主砲塔を後ろ向きに背負い式に配置した。前後方向に4門、左右方向に最大8門が指向できた。 |
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=== 副砲等 === |
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副砲は前級に引き続き「SK L/45 15cm(45口径)[[速射砲]]」を採用した。性能は重量45.3kgの砲弾を仰角19度で13, |
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500mまで届かせることが出来た。この砲を新設計のMPL C/13型単装砲架に装備し仰角19度・俯角8.5度で150度の射界を持っていた。この砲を6基をケースメイト配置で片舷8基を最上甲板の下に放射状に配置した。艦首方向に4門、左右方向に8門、艦尾方向に2門が指向出来た。 |
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その他に対水雷艇用に「SK L/45 8.8cm(45口径)速射砲」を単装砲架で8~10基を前後艦橋の両脇に4~5門を配置した。更に対艦攻撃用に60cm水中魚雷発射管を単装で5基を艦首に1門、左右舷側に2門ずつの計5門を装備した。 |
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== 艦体 == |
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防御方式は前級と同じく全体防御方式を採用しており、艦首尾部までの舷側全体にまで装甲が張られた。水線中央部の前後部砲塔間の最も厚い箇所が350mm、艦首尾部では100mmであった。水線下の狭い範囲に200mmから170mmにテーパーした装甲板が張られたが範囲は狭くかった。艦内の水密区画装甲は50mm装甲が艦底部まで垂直に貼られた。また、水線上部の中央舷側部にも180mmの装甲が張られており、ケースメイト式副砲部は170mmと重防御であった。主砲は最大350mm~250mmで天蓋部は120mm、バーベット部が甲板上に出ている箇所で前面350mm、背面250mmである。甲板部の水平防御は船首楼甲板:40mm、第一甲板:30mm、主防御甲板は傾斜部・平坦部ともに30mmである。艦底部は舷側バルジからのばされた二重底でありこの時代の水雷防御としてトップクラスの防御を持っていた。 |
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== 機関 == |
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本級の機関は海軍式石炭・重油混焼水管缶14基にパーソンズ式高・低圧直結タービン3基3軸推進で最大出力35,000hp、速力22ノットを発揮した。機関室配置は前級と同じく二つの縦隔壁で縦に三つに分かたれており、左舷軸・中央軸・右舷軸となっている。さらに一つの機関室はボイラー室4部屋と機械室2部屋の構成と成っているが、ボイラー室3部屋とボイラー室1部屋と機械室の間には水密隔壁で分断されており、前か後ろの部屋が浸水しても片方は生き残る工夫は後の「ビスマルク級」にも継承されている。機械室にはタービン機関や諸発電機が納められているのは他国と変わらないが、ドイツは高速タービンと低速タービンの構成を他国は並列に置くところを、ドイツは前後に配置したところに特色がある。これは機関室を隔壁で分けたためにスペースが左右に狭いためである。なお、ザクセンのみ機関は中央軸のみMAN社製ディーゼル機関により推進する予定であった。 |
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== 艦暦 == |
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バーデンは1912年末、残る艦は1913年に起工した。ザクセンとヴュルテンベルクは進水したものの第一次世界大戦の終了までに完成せず、1920年から21年に建造所で解体された。 |
バーデンは1912年末、残る艦は1913年に起工した。ザクセンとヴュルテンベルクは進水したものの第一次世界大戦の終了までに完成せず、1920年から21年に建造所で解体された。 |
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2008年11月16日 (日) 09:08時点における版
バイエルン級戦艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 戦艦 |
艦名 | 地方名 |
前級 | ケーニヒ級戦艦 |
次級 | ビスマルク級戦艦 |
性能諸元 | |
排水量 | 常備排水量 28,600 トン (ザクセン 28,800トン) 満載排水量 32,200 トン |
全長 | 180.0 m 179.4 m(水線長) |
全幅 | 30.0 m |
吃水 | 9.35 m |
機関 | 海軍式石炭・重油混焼水管缶14基+パーソンズ式直結タービン3基3軸推進 (ザクセン パーソンズ式直結タービン2基&ディーゼル機関1基計3軸推進) |
最大出力 | 35,000 hp (ザクセン 40,000hp) |
最大速力 | 22.0ノット (40.7 km/h) (ザクセン 20ノット) |
航続距離 | 5,000海里 / 12ノット時 (22 km/h) |
燃料 | 900 トン~3,400 トン(石炭) 200 トン~620 トン(重油) |
乗員 | 1,187 名~1,271 名 (旗艦時:司令部要員100名追加) |
兵装 | SK L/45 38cm(45口径)砲連装4基 SK L/45 15cm(45口径)砲単装16基 SK L/45 8.8cm(45口径)砲単装8~10基 24インチ(60cm)水中魚雷発射管単装5門 |
装甲 | 舷側:170mm~350mm(主要装甲部) 80mm(最上甲板) 100mm(艦首尾部) 50mm(水密区画) 甲板:30mm(主甲板) 40mm(最上甲板) 30mm(中甲板) 砲塔:350mm(前盾垂直部)、200mm(前盾傾斜部) 250mm(側盾・後盾) 120mm(天蓋) 副砲ケースメイト:170mm バーベット:350mm(前盾)、250mm(側盾・後盾)、50mm(船体内) 弾薬庫:250mm(最大) 司令塔:400mm(側面) 180mm~200mm(天蓋) 250mm(後盾) |
バイエルン級戦艦 (Bayern - Klasse) は、ドイツ海軍の最初の超弩級戦艦。本艦は第一次世界大戦前に帝政ドイツの艦隊法で整備された最後の艦級で1913年度2隻、1914年度2隻で計4隻の建造が承認された艦であった。
設計
本級の排水量は遂に3万トンを超える32,000トンにおよび、主砲は「ヘルゴラント級」以来の30.5cm砲から一挙に38cm(15インチ)砲が採用された。これを確実な動作を約束する連装砲塔に収め、前後に2基を背負い式配置で計4基を装備、副砲は最上甲板下の舷側部分にケースメイト配置で左右8門ずつ装着された。本級はの火力は同時期に開発中であったイギリス海軍の15インチ砲装備の戦艦、もしくはフランス海軍の34cm砲10門戦艦に投射弾量で匹敵した。しかしながら本級の主砲は軽量の砲弾を使用したため、射程は大きいものの射程が伸びるにつれ威力で英仏に劣るものであった。また、戦時中のドイツは上質の重油の安定した供給を得ることができず、本級は石炭を主に使用する混焼缶を使用したため艦隊速力の低速に苦しめられた。
主砲塔配置
主砲塔の配置は、新設計の「SK L/45 38cm(45口径)砲」である。その性能は重量750kgの砲弾を最大仰角16度で20,400 mまで届かせることが出来るこの砲を前級と同じく連装砲塔に収めた。俯仰能力は仰角20度、俯角8度であるが、後述する設計途中の改装により最終的に最大仰角20度で23,200 mまで届かせることができた。 旋回角度は船体首尾線方向を0度として左右150度の広い旋回角度を持つ、主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分2~2.5発である。 これを1、2番主砲塔に収め、背負い式に2基、装甲司令塔を組み込んだ操舵艦橋と三段の見張り所を持つ三脚檣、第一煙突と第二煙突のうち、第二煙突の両脇に艦載艇揚収用のデリッククレーン、第二煙突と簡素な単脚後檣の間は探照灯台となっている。その背後に3番、4番主砲塔を後ろ向きに背負い式に配置した。前後方向に4門、左右方向に最大8門が指向できた。
副砲等
副砲は前級に引き続き「SK L/45 15cm(45口径)速射砲」を採用した。性能は重量45.3kgの砲弾を仰角19度で13, 500mまで届かせることが出来た。この砲を新設計のMPL C/13型単装砲架に装備し仰角19度・俯角8.5度で150度の射界を持っていた。この砲を6基をケースメイト配置で片舷8基を最上甲板の下に放射状に配置した。艦首方向に4門、左右方向に8門、艦尾方向に2門が指向出来た。
その他に対水雷艇用に「SK L/45 8.8cm(45口径)速射砲」を単装砲架で8~10基を前後艦橋の両脇に4~5門を配置した。更に対艦攻撃用に60cm水中魚雷発射管を単装で5基を艦首に1門、左右舷側に2門ずつの計5門を装備した。
艦体
防御方式は前級と同じく全体防御方式を採用しており、艦首尾部までの舷側全体にまで装甲が張られた。水線中央部の前後部砲塔間の最も厚い箇所が350mm、艦首尾部では100mmであった。水線下の狭い範囲に200mmから170mmにテーパーした装甲板が張られたが範囲は狭くかった。艦内の水密区画装甲は50mm装甲が艦底部まで垂直に貼られた。また、水線上部の中央舷側部にも180mmの装甲が張られており、ケースメイト式副砲部は170mmと重防御であった。主砲は最大350mm~250mmで天蓋部は120mm、バーベット部が甲板上に出ている箇所で前面350mm、背面250mmである。甲板部の水平防御は船首楼甲板:40mm、第一甲板:30mm、主防御甲板は傾斜部・平坦部ともに30mmである。艦底部は舷側バルジからのばされた二重底でありこの時代の水雷防御としてトップクラスの防御を持っていた。
機関
本級の機関は海軍式石炭・重油混焼水管缶14基にパーソンズ式高・低圧直結タービン3基3軸推進で最大出力35,000hp、速力22ノットを発揮した。機関室配置は前級と同じく二つの縦隔壁で縦に三つに分かたれており、左舷軸・中央軸・右舷軸となっている。さらに一つの機関室はボイラー室4部屋と機械室2部屋の構成と成っているが、ボイラー室3部屋とボイラー室1部屋と機械室の間には水密隔壁で分断されており、前か後ろの部屋が浸水しても片方は生き残る工夫は後の「ビスマルク級」にも継承されている。機械室にはタービン機関や諸発電機が納められているのは他国と変わらないが、ドイツは高速タービンと低速タービンの構成を他国は並列に置くところを、ドイツは前後に配置したところに特色がある。これは機関室を隔壁で分けたためにスペースが左右に狭いためである。なお、ザクセンのみ機関は中央軸のみMAN社製ディーゼル機関により推進する予定であった。
艦暦
バーデンは1912年末、残る艦は1913年に起工した。ザクセンとヴュルテンベルクは進水したものの第一次世界大戦の終了までに完成せず、1920年から21年に建造所で解体された。
バイエルンとバーデンは1915年に進水し、ユトランド沖海戦には間に合わず実戦参加は僅かであった。バイエルンはアルビオン作戦中の1917年10月12日にリガ湾で触雷し破損した。バイエルンは大きく浸水し、19日後にようやくキールに帰還した。休戦が成立すると、バイエルンとバーデンはスカパ・フローに回航され、バイエルンは1919年6月21日に他の多くの艦と共に自沈した。バーデンは曳船によって浅瀬に着底され、沈没を免れた。その後1921年8月にイギリス海軍により標的艦として沈められた。
バイエルン級の基本設計は20年後にビスマルク級に引き継がれており、艦内構成、特に防御要領には顕著な類似性を確認できる。とはいえ、外見上、また性能要目上でのバイエルン級とビスマルク級の類似点は、連装主砲塔4基の配置と、3軸推進のみである。
同型艦
関連項目
外部リンク