「島田橋」の版間の差分

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2008年10月19日 (日) 08:32時点における版

島田橋(坂戸市側)。大河ドラマロケ地である旨の看板が設置されている。

島田橋(しまだばし)は、埼玉県坂戸市島田と同県東松山市宮鼻の間に架かる、越辺川上の冠水橋である。

概要

この橋がある所は江戸時代当時は、川越・児玉往還日光脇往還が合流、分岐する所にあった。川越・児玉往還では石井宿(現・坂戸市)と高坂宿(現・東松山市)、日光脇往還では坂戸宿と高坂宿の間にあたる所である。しかし明治時代初期頃まではこの場所に橋は架けられず、島田の渡しといわれた渡し船による連絡であった。

明治初期頃に木製の橋が架けられ、越辺川両岸間の連絡が容易になったが、1920年にここより約600m上流に行った所に高坂橋(現在の国道407号の橋)が架かると、両岸間連絡の主流は高坂橋に取って代わった。

1958年(昭和33年)の台風22号(狩野川台風)で流失したという記録があり、現在の橋はその後に再建されたものとされている。

NHK大河ドラマの撮影でもこの橋が何回か登場し、これまで『翔ぶが如く』、『新撰組!』、『風林火山』のロケで使われている。この橋のたもとには、『風林火山 ロケ地』であったことを示す看板が立っている。

データ

  • 橋長:約77m
  • 幅員:2.6m
幅員制限1.8mという標識がある。橋の両入口に進入制限用のポールあり。
  • 川の水面から橋までの高さ:約3m (河水の平常時)
  • 形式:木橋(一部つなぎ用に鋼板が使われている以外はほぼ木製)
橋の路面は全面的に板張り
  • 1.5tという重量制限がある。

橋の周辺

  • 橋より北の東松山市側は、九十九川の向こうの宮鼻の中心集落まで建物があまり無く、んぼが広がっているが、南の坂戸市側はすぐ、橋のたもとまで島田の中心集落が展開している。
  • 南側(島田)の方には橋の脇の堤防の下に、地蔵菩薩観音菩薩水神など11基の石仏が祀られている。特に地蔵菩薩は1683年より鎮座しているという古いものである。
  • 株木用水堰・・・島田橋の300mほど上流にあり、ここから坂戸市の島田、赤尾、石井の水田地帯へ用水を引いている。そのため、この橋の下の河水は平常時にはやや少なめになっている。

隣の橋

高坂橋 - 島田橋 - 赤尾落合橋
(※なお、この橋より約700mほど下流にある赤尾落合橋も木製の冠水橋である)