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'''中島 春雄'''(なかじま はるお、[[1929年]][[1月1日]] - )は、[[日本]]の元[[俳優]]。[[山形県]][[酒田市]]出身。
'''中島 春雄'''(なかじま はるお、[[1929年]][[1月1日]] - )は、[[日本]]の元[[俳優]]。[[山形県]][[酒田市]]出身。通称、春坊


戦後、[[進駐軍]]の運転手を経て、映画俳優学校に入学。[[1949年]]の[[黒澤明]]監督作品『[[野良犬 (映画)|野良犬]]』で映画に初出演するが、編集で出演シーンを全てカットされてしまったため、幻のデビュー作となった。[[1950年]]、[[広瀬正一]]らと共に[[東宝]]に入社。
戦後、[[進駐軍]]の運転手を経て、映画俳優学校に入学。[[1949年]]の[[黒澤明]]監督作品『[[野良犬 (映画)|野良犬]]』で映画に初出演するが、編集で出演シーンを全てカットされてしまったため、幻のデビュー作となった。[[1950年]]、[[広瀬正一]]らと共に[[東宝]]に入社。
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*[[ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘]](1966年):ゴジラ
*[[ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘]](1966年):ゴジラ
*[[キングコングの逆襲]]([[1967年]]):[[キングコング]]、野次馬
*[[キングコングの逆襲]]([[1967年]]):[[キングコング]]、野次馬
*[[怪獣島の決戦 ゴジラの息子]](1967年):ゴジラ
*[[怪獣島の決戦 ゴジラの息子]](1967年):ゴジラ ※一部
*[[怪獣総進撃]]([[1968年]]):ゴジラ
*[[怪獣総進撃]]([[1968年]]):ゴジラ
*[[緯度0大作戦]]([[1969年]]):ライオン、グリホン、大ネズミ、コウモリ人間
*[[緯度0大作戦]]([[1969年]]):ライオン、グリホン、大ネズミ、コウモリ人間

2008年7月17日 (木) 08:21時点における版

中島 春雄(なかじま はるお、1929年1月1日 - )は、日本の元俳優山形県酒田市出身。通称、春坊。

戦後、進駐軍の運転手を経て、映画俳優学校に入学。1949年黒澤明監督作品『野良犬』で映画に初出演するが、編集で出演シーンを全てカットされてしまったため、幻のデビュー作となった。1950年広瀬正一らと共に東宝に入社。

ゴジラ』を始めとするゴジラシリーズでゴジラを演じたスーツアクターとして有名。また、ゴジラ以外の怪獣映画や、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』などの円谷プロのテレビ作品にも、主に怪獣役で出演した。

着ぐるみを着ての怪獣の演技があまりに多かったためか、素顔で出演する時は「捜索隊員」や「ガラス拭き」などといった、名前のない端役が多い。

太平洋の鷲』(1953年)での航空兵役で、日本で初めて身体に火をつけてのファイヤースタントを演じた。

地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』を最後にゴジラのスーツアクターを引退。その後、東宝のボウリング場で働いていた。

ゴジラ俳優としての知名度は世界的であり、主にアメリカのファン・イベントなどでの講演依頼は引きも切らず、近年、貯まった講演料で家を建てたそうである。

ハリウッドで怪獣映画を撮るときにゴジラで高名な氏を着ぐるみ役者として破格のギャラで呼ぶ事になっていた。本場で演技が出来ると氏も乗り気であったが、ゴジラの次回作が有ったために日本側の映画陣に請われて断念した。


出演作

映画

テレビ

外部リンク