「エルンスト・ヘフリガー」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[グラウビュンデン州]][[ダボス]]に生まれる。ヴィッティンゲンで教職課程に就いた後、[[チューリッヒ音楽院]](''Zürich(Zürich Konservatorium'')Konservatorium)で[[声楽]]と[[ヴァイオリン]]を学ぶ。その後は[[ジュネーヴ|ジュネーブ]]で[[フェルナンド・カプリ]]に、さらに[[ウィーン]]で[[ユリウス・パツァーク]]に師事する。
 
[[1952年]]から[[1974年]]まで[[ベルリン・ドイツ歌劇場・オペラ]]の首席[[リリック・テノール]]を務める。[[1971年]]にミュンヘン音楽高等音楽学校の声楽科教授に就任し、[[1988年]]まで教鞭を執った。さらにチューリッヒや[[アメリカ合衆国|米国]]でマスタークラスを主宰し、日本では[[草津国際音楽アカデミー&フェスティバル]]で長年に渡りマスタークラスで指導した。
 
明晰な発音ゆえに、[[オラトリオ]]歌手として、とりわけ[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の[[受難曲]]における福音記者役で著名であったが、それだけでなく(たとえば[[フリチャイ・フェレンツ|フェレンツ・フリッチャイ]]指揮の)[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]のオペラへの出演、また[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の[[歌曲]]の解釈でも有名だった。[[ヴィリー・ブルクハルト|ブルクハルト]]や[[オトマール・シェック|シェック]]、[[フランク・マルタン|マルタン]]、[[カール・オルフ|オルフ]]、[[ヴィルフリート・ヒラー|ヒラー]]らの作品のスイス初演をめる一方、歴史的な演奏様式の復興にも興味を示した音楽家の一人でもあった。
 
[[1992年]]から[[1994年]]までの間、[[山田耕筰]]や[[中田喜直]]らの日本歌曲を[[ドイツ語]]訳で歌った[[コンパクトディスク|CD]]を発表して、日本で大きな話題となった。また、[[細川俊夫]]や[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]らが和歌に曲付けした歌曲の録音も発表している。
* [http://www.universal-music.co.jp/classics/release/m_topics/umcl200609/ernst_haefliger.html ヘフリガー/ドイツ語で歌う日本の歌曲]
 
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[[Category:2007年没]]
 
[[da:Ernst Haefliger]]
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