「張耳」の版間の差分

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==魏滅亡後の苦難時代==
 
[[紀元前225年]]に魏が[[秦]]によって滅ぼされると、二人張耳と陳余は名を変えて[[陳]]のある村の門番となった。既に張耳と陳余二人の名は世に知られており、秦に狙われていたためである。そこで村役人に陳余が因縁をつけられ、袋叩きにされるという災難に遭うが、張耳が「陳余よ!わしらはこんなくだらんことで命を落とすべきではない!将来のために我慢すべきだ!」と慰めて支え合ったという。
 
[[紀元前209年]]に[[陳勝]]が蜂起すると、両人は直ちに馳せ参じた。陳勝は両人が名士ということで喜んで迎えた。その時、張耳は張楚王(陳勝)、現在、[[趙]]は混乱中ですので、直ちに攻めるべきですぞと進言した。傍らで陳余もわたしは若い頃、趙で兵法学を学んでおりましたので、[[兵法]]にも趙の地理にも詳しく、容易に落とすことが出来ましょうと言った。陳勝も頷き旧友の[[武臣]]に訊いたところ張耳・陳余殿の申される通りです。今は好機であり、お二人の力も得ればより間違いありませんと言ったため、陳勝は武臣を総大将に、張耳・陳余を副将に任命し、さらに監軍(戦目付)にこれも旧友の一人の[[邵騒]]を付け、趙討伐に出した。
 
その途中で[[范陽]](現在の[[北京市|北京]])を攻略した時に、地元の弁士・[[カイ通|蒯通]]が武臣の陣営にやって来て范陽の郡守は自分の旧知である。わたしに説得をお任せ願いたいと言ったので、武臣らは蒯通に全てを委ねた。説得は成功して趙の攻略が容易になり、その勢いのまま趙を制圧する。その後、張耳・陳余らは武臣に趙王即位を囁き、武臣は陳勝に奏上した。これを聞いた陳勝は激怒したが、宰相の房君・[[蔡賜]]に「ここで背かれでもしたら、大変なことになります」と宥められ、渋々即位を認めた。武臣の出世と共に、張耳は右丞相、邵騒は左丞相、陳余は上将軍へと出世した。
 
趙平定後、趙王・武臣は更に領地を広げるため配下の将軍を各地の攻略へ向かわせていたのだが、その中の元秦軍の[[李良]]将軍が、命じられた攻略が難しかったため、兵の増員を趙王へ願おうと趙都[[邯鄲]]へ戻っていた。その途中で武臣の姉の行列に出会い平伏したのだが、彼女は李良将軍だと解らず礼を失してしまった。これに激怒した李良とその部下達は武臣の姉ら一行を殺し、そのまま宮殿に乗り込んで武臣をはじめ左丞相の邵騒らを斬り殺した。
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