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'''ジョージ・バーンズ'''(George Burns |
'''ジョージ・バーンズ'''(George Burns、本名Nathan Birnbaum、[[1896年]][[1月20日]]-[[1996年]][[3月9日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク]]生まれの[[俳優]]、[[コメディアン]]。100歳まで生きた俳優の1人。 |
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アカデミー賞の助演男優賞を1度受賞。100歳まで生きた俳優の1人。 |
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== 経歴 == |
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7才の時に、街角で歌を聴かせるピーウィー・カルテットという一座に入り、芸人生活を始める。1923年、後に妻となる[[グレイシー・アレン]]と出会いコンビを結成。2人で舞台・ラジオ・映画・テレビなど幅広く活躍した。1950年からテレビで放送された「The George Burns & Gracie Allen Show」は9シーズン続いた人気番組で、[[エミー賞]]に何度もノミネートされている。妻グレイシーは心臓を患ったため1958年に引退し、64年死去した。<br> |
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結婚は2度で、2番目の妻とは死まで一緒だった。 |
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その後のジョージはたまにテレビに出演する程度の半引退状態だったが、1975年に[[ニール・サイモン]]の戯曲を映画化した「サンシャイン・ボーイズ」に出演。この作品で[[アカデミー助演男優賞]]を受賞し、以降は再び精力的に活動を始め、神様役を演じた「オー!ゴッド」シリーズなどで人気を得た。 |
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== 主な出演映画 == |
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*ラヂオは笑ふ ''The Big Broadcast'' (1932) |
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*恋と胃袋 ''We're Not Dressing'' (1934) |
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*踊る騎士(ナイト) ''A Damsel in Distress'' (1937) |
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*踊るホノルル ''Honolulu'' (1939) |
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*[[サンシャイン・ボーイズ]] ''The Sunshine Boys'' (1975) |
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*[[オー!ゴッド]] ''Oh, God!'' (1977) |
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*エイティーン・アゲイン/これで2度目の18歳 ''18 Again!'' (1988) |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2008年4月11日 (金) 18:20時点における版
ジョージ・バーンズ(George Burns、本名Nathan Birnbaum、1896年1月20日-1996年3月9日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの俳優、コメディアン。100歳まで生きた俳優の1人。
経歴
7才の時に、街角で歌を聴かせるピーウィー・カルテットという一座に入り、芸人生活を始める。1923年、後に妻となるグレイシー・アレンと出会いコンビを結成。2人で舞台・ラジオ・映画・テレビなど幅広く活躍した。1950年からテレビで放送された「The George Burns & Gracie Allen Show」は9シーズン続いた人気番組で、エミー賞に何度もノミネートされている。妻グレイシーは心臓を患ったため1958年に引退し、64年死去した。
その後のジョージはたまにテレビに出演する程度の半引退状態だったが、1975年にニール・サイモンの戯曲を映画化した「サンシャイン・ボーイズ」に出演。この作品でアカデミー助演男優賞を受賞し、以降は再び精力的に活動を始め、神様役を演じた「オー!ゴッド」シリーズなどで人気を得た。
主な出演映画
- ラヂオは笑ふ The Big Broadcast (1932)
- 恋と胃袋 We're Not Dressing (1934)
- 踊る騎士(ナイト) A Damsel in Distress (1937)
- 踊るホノルル Honolulu (1939)
- サンシャイン・ボーイズ The Sunshine Boys (1975)
- オー!ゴッド Oh, God! (1977)
- エイティーン・アゲイン/これで2度目の18歳 18 Again! (1988)
外部リンク
- George Burns - IMDb(英語)