「今鏡」の版間の差分

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'''今鏡'''(いまかがみ)は、[[歴史物語]]。十巻。成立は[[平安時代]]末期であり、今鏡「序文」によれば、[[高倉天皇]]の嘉応年(1170年)とされるが、それ以降とする説もある。作者は[[藤原為経]]([[寂超]])とするのがほぼ定説になっている。ほかに、[[中山忠親]]、[[源通親]]説もある。いわゆる「[[四鏡]]」の成立順では二番目に位置する作品である。内容的には『大鏡』の延長線上に位置し、三番目に古い時代を扱う。なお、描く年代が四番目の『[[増鏡]]』との間には13年間の空白があり、[[藤原隆信]](寂超在俗の子)の著である歴史物語「[[弥世継]]」(いやよつぎ、現存しない)がその時代を扱っていたためとされる。
'''今鏡'''(いまかがみ)は、[[歴史物語]]。十巻。成立は[[平安時代]]末期であり、今鏡「序文」によれば、[[高倉天皇]]の[[嘉応]]2年(1170年)とされるが、それ以降とする説もある。作者は[[藤原為経]]([[寂超]])とするのがほぼ定説になっている。ほかに、[[中山忠親]]、[[源通親]]説もある。いわゆる「[[四鏡]]」の成立順では二番目に位置する作品である。内容的には『[[大鏡]]』の延長線上に位置し、三番目に古い時代を扱う。なお、描く年代が四番目の『[[増鏡]]』との間には13年間の空白があり、[[藤原隆信]](寂超在俗の子)の著である歴史物語「[[弥世継]]」(いやよつぎ、現存しない)がその時代を扱っていたためとされる。


== 題名 ==
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== 内容 ==
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大鏡の後を受けて[[後一条天皇]]の万寿年(1025年)から[[高倉天皇]]のまでの13代146年間の歴史を[[紀伝体]]で描いている。[[長谷寺]]参りの途中で[[大宅世継]]の孫である、150歳を超えた老婆から聞いた話を記したという形式。
大鏡の後を受けて[[後一条天皇]]の[[万寿]]2年(1025年)から[[高倉天皇]]のまでの13代146年間の歴史を[[紀伝体]]で描いている。[[長谷寺]]参りの途中で[[大宅世継]]の孫である、150歳を超えた老婆から聞いた話を記したという形式。


== 構成 ==
== 構成 ==

2008年4月4日 (金) 11:17時点における版

今鏡(いまかがみ)は、歴史物語。十巻。成立は平安時代末期であり、今鏡「序文」によれば、高倉天皇嘉応2年(1170年)とされるが、それ以降とする説もある。作者は藤原為経寂超)とするのがほぼ定説になっている。ほかに、中山忠親源通親説もある。いわゆる「四鏡」の成立順では二番目に位置する作品である。内容的には『大鏡』の延長線上に位置し、三番目に古い時代を扱う。なお、描く年代が四番目の『増鏡』との間には13年間の空白があり、藤原隆信(寂超在俗の子)の著である歴史物語「弥世継」(いやよつぎ、現存しない)がその時代を扱っていたためとされる。

題名

今鏡は「続世継」(しょくよつぎ)とも「小鏡」(こかがみ)とも呼ばれる。「続世継」は、大鏡の続きであるという意味で、「小鏡」とは、現在の歴史という意味である。「つくも髪の物語」ともいう。

内容

大鏡の後を受けて後一条天皇万寿2年(1025年)から高倉天皇のまでの13代146年間の歴史を紀伝体で描いている。長谷寺参りの途中で大宅世継の孫である、150歳を超えた老婆から聞いた話を記したという形式。

構成

はじめの三巻は帝紀、中の五巻は列伝、終わりの二巻は貴族社会の故実・逸話に割かれる。列伝のうち、巻四~六は藤原摂関家、巻七は村上源氏、巻八は親王である。

評価

王朝末期から中世への過渡期において政治的・社会的大きな変動があったにもかかわらず、政治への関心は薄く、儀式典礼や風流韻事など学問・芸能に重点を置く記述を貫いている。

注釈書

  • 『日本古典全書 今鏡』板橋倫行(校註)(朝日新聞社)
  • 『国史大系 今鏡・増鏡』黒板勝美(編)(吉川弘文館) ISBN 4642003231
  • 『今鏡全釈』海野泰男(訳注)(パルトス社)
  • 『講談社学術文庫 今鏡(上・中・下)』竹鼻績(訳注) ISBN 4061583271 ISBN 406158328X ISBN 4061583298

関連項目