「ヴィルヘルム・オストヴァルト」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1909年|ノーベル化学賞|触媒作用、化学平衡および反応速度に関する研究}}
{{thumbnail:end}}
'''フリードリヒ・ヴィルヘルム・オストヴァルト'''('''Friedrich Wilhelm Ostwald''', [[1853年]][[9月2日]] – [[1932年]][[4月3日]])は[[ドイツ]]の[[化学者]]。'''オストワルト'''とも呼ばれる。[[1909年]]、触媒作用・化学平衡・反応速度に関する業績が認められ、[[ノーベル化学賞]]を受賞した。▼
▲'''フリードリヒ・ヴィルヘルム・オストヴァルト'''('''Friedrich Wilhelm Ostwald''', [[1853年]][[9月2日]] – [[1932年]][[4月3日]])は[[ドイツ]]の[[化学者]]。オストワルトとも呼ばれる。[[1909年]]、触媒作用・化学平衡・反応速度に関する業績が認められ、[[ノーベル化学賞]]を受賞した。
== 略歴 ==
1853年、[[ロシア帝国|ロシア]]領の[[リガ]](現在は[[ラトビア]]領)で酒屋の主人の息子として生を受ける。
1875年に[[エストニア]]の[[タルトゥ大学]]を卒業した後、1875年から1887年までの間、[[リガ工業大学]]で教鞭をふるった。1887年から1906年まで、[[ライプツィヒ大学]]で教授を務めた。
化学でよく使われる[[モル]]という言葉の語源は、1900年ごろ、オストヴァルトが最初に用いたといわれている。オストヴァルトは、モルは[[理想気体]]と大きく関係していると考えた。しかし皮肉なことに、このモルの概念を思いついたことが直接、[[エルンスト・マッハ|マッハ]]らと[[原子論]]への反対を示す原因となった。
オストヴァルトは、化学者だけでなく、[[哲学者]]の一面も持ち合わせていた。また晩年には色彩に非常に興味をもち、[[
紙の寸法のA判の比 <math>1:\sqrt{2}</math> は、オストワルトが考案したものといわれている。
{{ノーベル化学賞受賞者 (1901年-1925年)}}
{{DEFAULTSORT:おすとうあると ういるへるむ}}
[[Category:ドイツの化学者
[[Category:ノーベル化学賞受賞者
[[Category:
[[Category:
[[Category:
[[Category:リガ]]
[[ar:فلهلم أوستفالت]]
|