「天下の台所」の版間の差分
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2008年1月31日 (木) 11:33時点における版
天下の台所(てんかのだいどころ)とは、江戸時代に全国物流の中心地であった大坂を指した異名。全国の生活物資の多くが一旦生産地より大坂に集められてこの地より再度全国の消費地に送られたからであると言われている。
公文書では、天保13年(1843年)に天保の改革による株仲間廃止論に異論を唱えた大坂町奉行阿部正蔵の意見書(「諸色取締方之儀ニ付奉伺候書付」)の中に「大坂表之義は諸国取引第一之場所」「世俗諸国之台所と相唱」という文面が見られ、当時既に「天下の台所」として広く知られていたことが裏付けられる。ただし、大阪市史料調査会主任調査員の野高宏之によると、これら江戸時代の文献に大坂を「諸国之台所」「日本の賄い所」と評する記述は存在するが、「天下之台所」と直接記述した文献は存在せず、幸田成友が『大阪市史 第二』等の叙述中で用いた用語が、一般に広まっていく過程で、江戸時代からあった言葉のように誤解されたものであることが判明している。