「ガリア人」の版間の差分

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[[ローマ帝国]]の支配に組み込まれたガリア諸部族はローマへの[[同化]]が進み([[ガロ・ローマ文化]])、やがて[[ゲルマン人]]とも混血が進んで、後の[[フランク王国]]・[[フランス]]を形成していった。
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現代のフランス人([[白人]])は、ガリア人を自分たちの[[ルーツ]]・[[祖先]]として意識している。このため、[[アフリカ]]([[黒人]])・[[アラブ]]の移民系フランス人に対して、フランス出身の白人を「ゴーロワ(Gaulois)」つまり「ガリア人」と呼び分けることがある。また現在でも[[ギリシア語]]ではフランスを「ガリア(Γαλλία)」という。
現代のフランス人([[白人]])は、ガリア人を自分たちの[[ルーツ]]・[[祖先]]として意識している。このため、[[アフリカ]]([[黒人]])・[[アラブ]]の移民系フランス人に対して、フランス出身の白人を「ゴーロワ(Gaulois)」つまり「ガリア人」と呼び分けることがある。また現在でも[[ギリシア語]]ではフランスを「ガリア(Γαλλία)」という。


== おもなガリア部族 ==
== おもなガリア部族 ==

2008年1月13日 (日) 17:38時点における版

ガリア人ラテン語Gallī ガッリー/フランス語:Gaulois ゴーロワ)は、ケルト語派を話すいわゆる「ケルト人」のうち、「ガリア」地域に居住してガリア語あるいはゴール語を話した諸部族の人々を指す。古代ローマ人は、ローマ側による呼称「ガリア人(Gallī)」と「ケルト人(Celtae)」をおおむね同義として扱った。しかし、いわゆる「ケルト人」の中でも、小アジアに移住したケルト人「ガラティア人」やブリテン島の諸部族に対してガリア人は明らかに区別することができよう。

古代ローマとの確執

ガリア諸部族(ガリア人)は、長い期間にわたって互いに反目しあい、統一されることはなかった。紀元前58年ヘルウェティー族の西進を契機として、共和政ローマの武将ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア制圧の侵略戦争である「ガリア戦争」を開始した。これに対する諸部族の反応は、応戦・帰服と変転したが、紀元前54~52年頃にアルウェルニ族ウェルキンゲトリクス盟主として一致団結して大反乱を起こした。一時はカエサルを絶体絶命の窮地に追い詰めたが、やがてしびれを切らした諸部族は反目しあって敗走を始め、カエサルに敗れ去った。

ガロ=ローマンからフランスへ

ローマ帝国の支配に組み込まれたガリア諸部族はローマへの同化が進み(ガロ・ローマ文化)、やがてゲルマン人とも混血が進んで、後のフランク王国フランスを形成していった。

現代のフランス人(白人)は、ガリア人を自分たちのルーツ祖先として意識している。このため、アフリカ系黒人)・アラブ系の移民系フランス人に対して、フランス出身の白人を「ゴーロワ(Gaulois)」つまり「ガリア人」と呼び分けることがある。また現在でもギリシア語ではフランスを「ガリア(Γαλλία)」という。

おもなガリア部族

ガリアでは、ケルト系ゲルマン系が混住していたと考えられ、一口に「ガリア人」といってもどちらの系統なのか厳密に区別しかねる部族も少なくない。

著名なガリア人の人物

関連項目

参考文献

「ゴール語」の項は、「ガリア語」と「ゴール語」のちがい、ケルト諸語との関係に詳しい。