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2007年7月15日 (日) 22:39時点における版
山川菊栄(山川 菊榮、やまかわきくえ、1890年11月3日 - 1980年11月2日)は日本の評論家・婦人問題研究家である。
旧姓は青山。東京生れ。山川均の妻。日本の婦人運動に初めて科学を持ち込んだ。多くの評論集は、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。
経歴
- 1912年 女子英学塾(現:津田塾大学)卒業。
- 1915年 堺利彦・幸徳秋水らの金曜講演会、大杉栄らの平民講演会を通して社会主義を学ぶ。
- 1916年 社会主義運動家山川均と結婚。
- 1918年ころから始まった母性保護論争に参加、社会主義の立場から平塚らいてう・伊藤野枝らの運動を批判。女性論壇の第一人者となる。
- 1921年4月 日本で最初の社会主義婦人団体「赤瀾会」を結成、同年メーデーに初参加。
- 1947年 日本社会党に入党。同年労働省が新設され、9月1日同省婦人少年局の初代局長に就任。
- 1962年 田中寿美子らと婦人問題懇話会を設立。
- 1980年 死去
- 1981年 彼女の業績を記念して、山川菊栄賞設立。