「ヨーロッパ世界」の版間の差分

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==概要==
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[[ゲルマン民族の大移動]]によって[[西ローマ帝国]]が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、[[ラテン人]]のローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人は[[キリスト教]]を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがて[[フランク王国]]に収斂されて行った。[[カール大帝]]が[[ローマ教皇]]によって[[西ローマ皇帝]]に戴冠すると、[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカトリック信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いて[[マジャル人]]、[[スラブ人]]もカトリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。
[[ゲルマン民族の大移動]]によって[[西ローマ帝国]]が滅亡すると、[[西ヨーロッパ]]をゲルマン民族が席捲した。その際、[[ラテン人]]の[[ローマ人]]との文化的融合が行われ、ゲルマン人は[[キリスト教]]を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがて[[フランク王国]]に収斂されて行った。[[カール大帝]]が[[ローマ教皇]]によって[[西ローマ皇帝]]に戴冠すると、[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカトリック信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いて[[マジャル人]]、[[スラブ人]]もカトリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。これに続き、[[ヴァイキング]]後に成立した[[北欧諸国]]のカトリック化によってほぼ現在のヨーロッパ世界が完成したと言える。


==関連項目==
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*[[フランク王国]]
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*[[カトリック教会]]([[西方教会]])
*[[カトリック教会]]([[西方教会]])
*[[東方教会]]
*[[イスラム世界]]


[[Category:世界史|よろつはせかい]]
[[Category:ヨーロッパ|せかい]]
[[Category:ヨーロッパ|せかい]]
[[Category:ヨーロッパ史|せかい]]
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2007年5月3日 (木) 12:59時点における版

ヨーロッパ世界(-せかい)とは、ヨーロッパにおいて、ゲルマン民族の大移動後、ゲルマン民族の習俗と古代ローマ文明、さらにキリスト教信仰が融合してできた歴史的世界観である。

古代ギリシア古代ローマ地中海世界の後に登場した世界である。

概要

ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国が滅亡すると、西ヨーロッパをゲルマン民族が席捲した。その際、ラテン人ローマ人との文化的融合が行われ、ゲルマン人はキリスト教を受容した。やがて各地にゲルマン人を主体とする王国が形成され、それはやがてフランク王国に収斂されて行った。カール大帝ローマ教皇によって西ローマ皇帝に戴冠すると、キリスト教カトリック)を信仰するゲルマン人にを主体とする世界が形成されていった。特にカトリック信仰は文明のバックボーンとなりゲルマン人に続いてマジャル人スラブ人もカトリック受容によってこの文明世界の構成員となっていくことになる。これに続き、ヴァイキング後に成立した北欧諸国のカトリック化によってほぼ現在のヨーロッパ世界が完成したと言える。

関連項目