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'''山中 毅'''(やまなか つよし、[[1939年]][[1月18日]] - )は、[[石川県]][[輪島市]]生まれの[[競泳]]選手。
'''山中 毅'''(やまなか つよし、[[1939年]][[1月18日]] - )は、[[石川県]][[輪島市]]生まれの[[競泳]]選手。


[[石川県立輪島高等学校]]在学中の[[1956年]][[メルボルンオリンピック]]に出場。[[自由形]]400mと1500mの2種目では、[[オーストラリア]]の[[マレー・ローズ]]([[1939年]] - )に敗れて銀メダル。[[早稲田大学]]進学後の[[1960年]][[ローマオリンピック]]でも、自由形400mでローズにれ銀メダル。[[1964年]]の[[東京オリンピック]]とあわせて、3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。
[[石川県立輪島高等学校]]在学中の[[1956年]][[メルボルンオリンピック]]に出場。[[自由形]]400mと1500mの2種目では、[[オーストラリア]]の[[マレー・ローズ]]([[1939年]] - )に敗れて銀メダル。[[早稲田大学]]進学後の[[1960年]][[ローマオリンピック]]でも、自由形400mでローズにれ銀メダル。[[1964年]]の[[東京オリンピック]]とあわせて、3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。


早稲田大学卒業後、[[南カリフォルニア大学]]に留学。[[1961年]]には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。
早稲田大学卒業後、[[南カリフォルニア大学]]に留学。[[1961年]]には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。

2007年3月13日 (火) 13:05時点における版

オリンピック
競泳
1956 400m自由形
1956 1500m自由形
1960 400m自由形
1960 4×200mリレー

山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - )は、石川県輪島市生まれの競泳選手。

石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場。自由形400mと1500mの2種目では、オーストラリアマレー・ローズ1939年 - )に敗れて銀メダル。早稲田大学進学後の1960年ローマオリンピックでも、自由形400mでローズに敗れ銀メダル。1964年東京オリンピックとあわせて、3度のオリンピックで延べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めて、すべて入賞した。

早稲田大学卒業後、南カリフォルニア大学に留学。1961年には、2ヶ月間に自由形200mの世界新記録を3度更新するなど、同じ大学に留学してきたローズとともに南カリフォルニア大学の黄金時代を築いた。

1983年、「国際水泳殿堂」 (International Swimming Hall of Fame) に選出された。

山中の母親は海士で、出産の数日前まで海に潜っていた。そのため「山中は生まれる前から泳いでいる」の逸話が残っている。

1995年に行われた参議院議員選挙の比例区にさわやか新党から出馬している。