「ノート:北村紗衣」の版間の差分

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→‎オープンレターに関する動向について: どこにコメントを置けばいいのか分からなかったので、一番下に置いておきます。
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:::{{Quotation|あるいは、[[プレスリリース]]や個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。<中略>下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。<中略>本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、[[Wikipedia:外部リンク|外部リンクの選び方]]の観点から、[[Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#外部リンク|外部リンク]]や[[Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#参考文献|参考文献]]にリストしても構いません。|[[WP:BLPSELFPUB]]}}
:::{{Quotation|あるいは、[[プレスリリース]]や個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。<中略>下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。<中略>本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、[[Wikipedia:外部リンク|外部リンクの選び方]]の観点から、[[Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#外部リンク|外部リンク]]や[[Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#参考文献|参考文献]]にリストしても構いません。|[[WP:BLPSELFPUB]]}}
:::と書かれており、存命人物の記事本人の情報発信を出典に用いることができます。「記載しない」ということが難しいのであれば、上記方針に基づいて記事主題の人物のブログなどを用いて、現実との差を埋めることが可能です。--[[利用者:Assemblykinematics|Assemblykinematics]]([[利用者‐会話:Assemblykinematics|会話]]) 2022年2月9日 (水) 21:35 (UTC)
:::と書かれており、存命人物の記事本人の情報発信を出典に用いることができます。「記載しない」ということが難しいのであれば、上記方針に基づいて記事主題の人物のブログなどを用いて、現実との差を埋めることが可能です。--[[利用者:Assemblykinematics|Assemblykinematics]]([[利用者‐会話:Assemblykinematics|会話]]) 2022年2月9日 (水) 21:35 (UTC)

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{{コ|議論の流れについて}} なにか議論が混雑しているので改めて書きますが、わたしが現時点での加筆反対に用いているのは「信頼できる大手メディアに報じられていないこと」「あるのは意見だけであること」で、これは見て分かるからシンプルなんですよ。だから、新たな情報源があれば態度が変わるかもしれません。現時点で情報源として一番強いのは、信頼できる大手メディアの事実報道なのだろうと考えています。

しかし、加筆賛成側がやっているのは新たな情報源を出す行動ではない。今ある情報(アゴラや論座やAERAなど)が「信頼できる大手メディアの」「(意見ではなく)事実報道である」ように見せようとしている。だからどんどん議論が複雑化していく。でも、こういう流れは不毛なんですよ。どれだけ言葉を尽くしても、アゴラや論座やAERAに掲載されている個人の意見が、信頼できる大手メディア(一流の報道機関)の事実報道に取って代わるわけがない。だからこそわたしは「朝日新聞系列で意見があるのに、なぜ母体の朝日新聞では報じてないのか」と具体名を出して質問したのです。これには「もっと良い情報源のことか」だとか、うまく答えている形跡がない。それでまた、複雑化した議論に戻ろうとする。こういう流れは、事実の報道がないという現実を無視しようと論陣を張っているようにしか見えません。やってほしいことはこういうことじゃないんですよ。このオープンレターの事柄が記事主題本人にとって「''有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの''」であることが一目で分かるような情報源を出してほしいんです。できませんか? もしできないなら、そういう情報源が出てくるまで待ちませんか? これで「待つことができない」のであれば、わたしが意見を変えることもないでしょう。--[[利用者:Aoioui|<span style="color:Black; font-family: Trebuchet MS, Helvetica, sans-serif;">Aoio</span>]][[利用者‐会話:Aoioui|<span style="color:CornflowerBlue; font-family: Trebuchet MS, Helvetica, sans-serif;">ui.</span>]] 2022年2月10日 (木) 17:06 (UTC)


== セクションタイトルについて ==
== セクションタイトルについて ==

2022年2月10日 (木) 17:06時点における版

このページは一度削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/北村紗衣」をご覧ください。

特筆性template

特筆性templateを付加しました。単なる若手の大学教員だけのように思えます。シェークスピアの研究他で著名な実績を上げられた方なのでしょうか。電子書房を立ち上げたことをどれくらい評価すべきなのでしょうか。ご意見をいただければ幸いです。--Chiba ryo会話2015年10月13日 (火) 21:42 (UTC)[返信]

現状、著作の検索結果、単独記事にするには厳しいでしょう。削除依頼送りもやむなし。--hyolee2/H.L.LEE 2015年10月13日 (火) 23:52 (UTC)[返信]
コメント 単なる投稿論文ではなくいわゆる招待論文扱いの著述活動がありますし、学術集会にて単なる一参加者ではなく招待特別発表としてシェイクスピアを論じている実績があることから、特筆性はあると判断いたしました。現在まだ方針にもガイドラインにもなっておりませんが、あえて「特筆性 (人物)の学者・教授の基準」を用いて説明するならば「独立した情報源からその専門分野の重要な専門家であると目されていること」あるいは「同じ専門分野の独立した学者から重要人物であると目されていること」に該当すると考えます。たとえば、学術雑誌に単なる投稿論文が一本載っただけ、あるいは、学術集会に一参加者として一回出席しただけ、といった場合は特筆性があることを証明するに不十分だと思います。しかし、北村博士の場合は、単なる投稿論文ではなく、いわゆる招待論文的扱いの著述活動があります。学術集会の主催者側からの招待に基づく特別発表としてシェイクスピアを論じていることから、「その専門分野の重要な専門家であると目されている」と看做し、特筆性があると判断しました。仮に、シェイクスピア研究者として重要性があると目されていないならば、そもそも学術集会の主催者側から特別発表を行うよう招待されることなどは起こりえないでしょう。なお、私が執筆した初版にはそれらの点についての言及は全くなく、皆様に疑問を抱かせてしまったとするならば私の落ち度だと思います。失礼いたしました。--クールネック会話2015年10月14日 (水) 06:48 (UTC)[返信]
コメント 本人でございます。以前Wikipedia:削除依頼/柿並良佑にて私の先輩である柿並さんの記事が、かなりの業績があるにもかかわらず「単著なし」ということで削除されたのを見ると、自分の特筆性には疑問があります。招待発表は出版の業界団体での発表で、若手に最新の研究結果を聞くような企画ですので「その専門分野の重要な専門家」として呼ばれたわけではありません。ユリイカは招待論文ですが、今まで『現代思想』等でかなり招待論文の実績がある研究者も「特筆性なし」とされていることを考えると(研究者には芸能人等に比べてやや厳しい基準が適用されていると思います)、現状の基準で自分の記事が立つのはどうかと思います。ただしこういうことはあまり本人が積極的に関わるようなことでもないと思いますので、自分で削除依頼を出したり投票したりするのは差し控えます。 さえぼー会話2015年10月25日 (日) 06:50 (UTC)[返信]
報告 クールネックさんには申し訳ありませんが、今のところ特筆性の証明が十分であるという合意には至らない見込みです。Wikipedia:削除依頼/北村紗衣を提出いたしました。--Damena会話2015年10月25日 (日) 07:11 (UTC)[返信]
数多の論文を発表され、大変優秀で闊達な若手研究者であることは記事を拝見し分かりましたが、結局、多数の論文より、一冊のベストセラーなり、大学生にとっても標準的なテキストブックであったが、特筆性を示すものであろうかと思います。この加筆は結局特筆性がないという証左でありましょう。削除依頼が提出されたようですので、そちらでの他執筆者さんの議論を見守りたいと思います。--Chiba ryo会話2015年10月26日 (月) 23:10 (UTC)[返信]
私の特筆性とは全く関係ないのですが、現行では学者の特筆性は「一冊のベストセラーなり、大学生にとっても標準的なテキストブック」などでははかられておりません。学者はベストセラーを書くような仕事ではありませんし、現行では人文系の学者は単著の有無等が基準とされているようです(これはこれでいくぶん問題のある基準と思いますが)。なおテキストブックでしたら私も分担執筆したことがありますのでたいして特筆性の証明になるとは思えないところもあります。 さえぼー会話2015年10月28日 (水) 12:05 (UTC)[返信]

画像について

この編集で追加された画像を除去しました。ウィキペディアはポートレート集ではないので、単に当該人物が映っている画像を複数掲載する必要性はなく、記事対象ではない人物までもが写り込んでいる画像を、いわゆる集合写真からトリミングして掲載する意味も必要性もないと思われます。まして「エディタソンの状況の分かる画像」ではありません。--海獺会話2019年10月21日 (月) 22:18 (UTC)[返信]

オープンレターに関する動向について

ありがとうございます 小節を再度整理していただいたこと、感謝申し上げます。確かに2月7日(UTC)の下書きを別に分けるのは微妙な対応でした。また、誰の意見かをセクションタイトルにしたのは良いやり方だと感心した次第です。--Assemblykinematics会話2022年2月9日 (水) 15:48 (UTC)[返信]

記述の除去について

私が加筆した部分について「訴訟リスクがある」とのことから差し戻しが行われておりました。議論はノートでとのことでしたので提起させていただきます。
訴訟リスクがあるというのが具体的に何を指しているのでしょうか。wikipediaの方針等で示していただければ幸いです。以下は私の意見です。

私はWP:NPOVWP:RSWP:V等に基づいて執筆を行いました。仮に「オープンレターに言及すること自体が北村氏から訴訟されるリスクになる」ということであればそれはWP:CENSORに抵触しないでしょうか。 あり得るとすればWP:LIBELですが、こちらは正式な方針ではない上、オープンレターについて言及した記事を元にwikipediaを執筆するのは(少なくとも私が一度加筆した内容では)名誉棄損等にあたるとは考えられません。--圧倒的認識会話2022年1月27日 (木) 08:11 (UTC)[返信]

訴訟リスク以前にそもそも今記載すべき内容なんでしょうか。ブログサイトではなく報道機関で報じられてから記載しても遅くはないと思いますが。揉め事の速報をしたいのなら他にいくらでも場所はあると思いますよ。--削り節会話2022年1月27日 (木) 09:47 (UTC)[返信]
WP:NPOVWP:RSWP:Vに従っているかどうかが、重要な点だと思います。既にオープンレターに関する動向から数日経っており、信頼できる情報源がありましたので記載した次第です。当然、WP:NOTNEWSについては理解していますので、例えば「2月に入ってから再度提案してみてはどうか」といったご意見でしたら承ります。
過去の編集履歴を見ていただければわかる通り、私は揉め事の速報を目的とした利用者ではありません。--圧倒的認識会話2022年1月27日 (木) 11:30 (UTC)[返信]
コメント 主題の人物の活動において、オープンレターに関する事象が原因でなんらかの活動の変化が認められる場合、「Wikipedia:存命人物の伝記」「削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」に基づいた範囲で記載は可能だと考えます(その点で、「訴訟リスクがある」という差し戻し理由には私も首を傾げるところです)。しかし、今件では「削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」にある「著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴・裁判歴・個人的情報など」についてよく検討すべきとも考えられます。また、出典として挙げられたアゴラですが、この出典を運営する会社の代表でかつ主執筆者である池田信夫氏はTwitterなどでオープンレターについて批判的な立場で活発に論じており、このメディアを(特にこの件に関して)中立的なメディアとして信頼して引用して良いか疑問が残ります。では記事「呉座勇一」にオープンレターの元になった事象の記述があることは問題ないかということですが、こちらは『鎌倉殿の13人』での時代考証担当降板など明らかな活動への影響が出ており、また十分に第三者と考えられる媒体での言及もあることから、「Wikipedia:存命人物の伝記」「削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」の範囲で記述は可能だと考えます(今これを書いてる時点ではざっくり除去されてますが)。--しんぎんぐきゃっと会話2022年1月27日 (木) 12:02 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。加筆修正案を作成させていただきましたのでお時間ありましたら確認していただければ幸いです。
案では池田信夫がそもそもオープンレターに対して否定的だった、という趣旨の記述もしております。--圧倒的認識会話2022年1月27日 (木) 13:22 (UTC)[返信]
あなたが「揉め事の速報を目的とした利用者」であるとは言っていません。あなたがやっていることが「揉め事の速報」でしかないと言っているのです。過去の編集履歴は関係ありません。過去が正しい(本当に正しいかは別にして)というのは現在やっていることが正しいということの裏付けにはなりません。--削り節会話2022年1月29日 (土) 06:33 (UTC)[返信]
  • コメント しんぎんぐきゃっとさんの意見に概ね同意します。現状、ネットメディアのアゴラ1媒体のみしか報じていなく、さらにこのアゴラはこの件に関して批判的な立場からの論調の記事を継続的に出しているようです。このような偏りがあり、かつ貧弱な情報源しか存在しない状況では、中立的に記述するにも無理があるでしょう。また、こういった本業と関係がないプライベートな事柄で誹謗中傷なども関係している問題では、Wikipedia:信頼できる情報源#存命人物の伝記Wikipedia:存命人物の伝記などの方針に照らして、少なくとも信頼できる情報源が複数報じることが確認出来なければ掲載できないものと理解しています。最後に、個人的な見解を述べさせていただくと、当該人物と関係のある方、よく知っている方(本人物がウィキペディアンであるゆえそういう方は多数おられるでしょう)、そうした方の間ではいかにも重大で、世間を揺るがすような事柄のように感じられている、あるいは語られているかもしれませんが、客観的事実を見れば全くそうではありません。現時点で報じているのは独立系ネットメディア一媒体(アゴラ)のみで、大手メディアで報じているところは皆無です。もし、この事柄に対してあまりに情熱を持っているがゆえに、冷静にそうした事も判断できなくなっているのであれば、もはや中立になることは難しいと思われるので、この件に関しての執筆は避けていただく他ないでしょう。--モーチー会話2022年1月27日 (木) 19:45 (UTC)[返信]
コメント 記述の除去理由について どこに書こうか迷いましたが、この位置に書かせていただきます。現在自分が改稿しようとしている人物記事で最近Wikipediaを訴えるという情報があったこと、方針存命人物の伝記」が財団の訴訟リスクを踏まえて書かれていると認識していたことから、「訴訟リスクが高い」と表現させていただきました。ニュアンスとしては「訴える!」と言われるリスクが高いといった感じで、ノートで詳しく書けばよいと思いましたが、不正確で言葉足らずな表現でした。また、説明が遅れましたこと、合わせてお詫び申し上げます。なお前述の例は実際に訴えてはいないようですが、訴えるという意見表明がなされたことにかなり動揺していたことをご理解いただけると幸いです。
なお、 記述を除去した編集では要約欄に「現状では」と書かせていただきましたが、一つの意味として「現状の書き方、記載内容では」という意味合いがあります。Wikipedia:存命人物の伝記には「記事は「正確な」ものでなければいけません。」とありますが、2022年1月25日15:27:41(UTC)時点の版では、オープンレターを発信した主体が不明瞭であり、北村先生だけに責任があるように受け止められない形でした。オープンレターの中心人物は複数おり、北村先生も連名者として責任はあるとは思いますが、批判を浴びる原因となった運営や対応をした方は別にいらっしゃるようです。また、「批判」という節タイトルで書きこまれていましたが、「論争」や「騒動」といった感じの節タイトルでも良いはずで、「批判」というタイトルはネガティブイメージが強調される形と考えられます。また、呉座先生に対する二次加害も懸念されました。
加えて、しんぎんぐきゃっと様やモーチー様が指摘されていらっしゃるような出典の問題がありましたし、現在進行形で事態が動いていて情報が錯綜している状況では、中立的な観点を確保し、状況を正確に誤解なく記述するには出典が不足しているのではないかとも考えました。特にWikipedia:存命人物の伝記はネガティブな情報が「有名」であることや「重要」であることを要求しており、現状では本記事「北村紗衣」に記載するためにはそれを満たす出典はまだないと考えた次第です。
なお、「検証可能性」や「信頼できる情報源」、「存命人物の伝記」、「中立的な観点」の観点から問題のない記述ができる出典が出揃えば、方針・ガイドラインに配慮して記載してよいと考えます。ただ、それは日文研との訴訟が終わり、冷静かつ客観的に事態が分析されてからのことであり、もうしばらく先ではないかと思います。また、呉座先生や北村先生ともに精神的な負担がかかっているようですが、今回の自分の対処がお二方に悪影響を及ぼしていたとしたら心苦しい限りであり、お詫び申し上げたい次第です。--Assemblykinematics会話2022年1月27日 (木) 19:57 (UTC)[返信]

加筆修正案1(2022年1月27日(UTC)時点の案)

コメント 小節を区分けさせていただきました。以下では2022年1月27日13:14:12(UTC)時点の下書きについて議論が行われています。--Assemblykinematics会話2022年2月8日 (火) 22:31 (UTC)[返信]

提案 加筆修正案を作成いたしました。ご意見ありましたら当ノートでご指摘いただければ幸いです。 下書きリンク--圧倒的認識会話2022年1月27日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

  • 有識者からの指摘という形式でまとめているのはうまいと思います。ただ、この形式をとると「なぜこのメンツなのか」という疑問が延々とついて回るというデメリットはあります。ですが、代案も思いつきそうにありませんので、私はこの書き方でいいと思います。欲を言えば、「~オープンレター上に追記したが」の後に出典が一つあればいいと思います。(マストではない)--Halowand会話2022年1月27日 (木) 16:03 (UTC)[返信]
概ねHalowandさんと同意見です。私から気になる点は①「オープンレター」というのが、事情を知らない人には何のことかよく分からない。②細かいことですが、「北村紗衣」を主語にするのはややくどいので主語は「北村」で良い。……という2点です。①については、もう少し補足が欲しいところです。Twitterの一次資料出典はあまり良くありませんが、有識者(関係者)からの指摘という形式で収まってはいるので、とりあえず中立的な記述としての及第点ではあると思います。ここに「誰々はこう言ってる」のような記述が大量に加えられるような事態になれば、また別に対策を考える必要はあると思います。--しんぎんぐきゃっと会話2022年1月27日 (木) 18:13 (UTC)[返信]
追記。京都新聞の記事以外は関係者によるもので、京都新聞のソースも呉座氏がSNSで不適切な発言を繰り返し懲戒処分された、ということを書いた記事であって北村氏の名前は出てきてません。その点で、現時点ではこの主題では第三者言及の確保は困難だと言えます。私の意見として存命人物についての記述は「Wikipedia:存命人物の伝記」「削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」に基づいた範囲で記載は可能、つまり範囲外では記載は不可とする考えに変わりはありません。はっきりとした第三者言及があるまでは記載に消極的立場であることを言明しておきます。--しんぎんぐきゃっと会話2022年1月27日 (木) 18:28 (UTC)[返信]
コメント しんぎんぐきゃっと様が書かれているように北村先生と騒動は新聞報道レベルで紐づけされていませんし、上で述べたようにオープンレターの件が有名で記事主題の人物にとって重要とみなすに値する信頼できる情報源は今のところ見当たりません。なお、オープンレターについて記すなら記事「呉座勇一」が先ではないでしょうか?関係者の名前を挙げることなく、オープンレターにも問題があったことを記すことは可能に思えます。ただ、騒動全体を除去するべきという意見もあるようなので、騒動が記載されるならばという前提ではあります。--Assemblykinematics会話2022年1月27日 (木) 19:57 (UTC)[返信]
報告下書き案に関して、主に出典面で若干の修正を行いました。--圧倒的認識会話2022年1月28日 (金) 11:22 (UTC)[返信]

Aoioui.さんの意見1

  • 下書き(版番87750771)を見ましたが、よろしくないと思います。出典について逐一述べると、Wikipedia:存命人物の伝記に否定的な記述をするという前提に立てば、「論座」の出典では足りないでしょう(そもそも主題は「呉座勇一」です)。アゴラについては上に述べられている通り中立的なメディアかどうかは疑問があります。オープンレターそのものが出典に使われていますが、これは一次資料です。Twitterについても一次資料でしょう。「存命人物の伝記において、もし間違っていたら中傷となりうる断定・決めつけは情報源の裏づけが必要です。[……]自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありませんWP:BLPSOURCES)」「個人のウェブサイトやブログは、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません。WP:V#SP)」「一次資料のみに依拠した大きな段落を作る場合にも慎重になってください。[……]存命人物について一次資料を使うときには、より慎重になってください。WP:PSTS)」などを考慮すれば、否定的な文脈でTwitterの一次資料を使うなど、極めて危険としか思えません。信頼性の高い大手メディアが報じるのを待つことはできませんか。--Aoioui. 2022年1月28日 (金) 18:14 (UTC)[返信]
    論座が出典として望ましくない、という主張に関してはWP:RSを読んでも疑問が残ります。また、該当記事の著者である與那覇潤氏は著名な歴史学者としてWP:NOTEを満たしているのはもちろんのこと評論家としても活動されており、仮に論座が2次資料として適切でなくともWP:BLOGSが適用される可能性があります。
    アゴラが中立的なメディアかどうか判断が難しいという点には私も同意しているため、アゴラ運営者の池田信夫氏がオープンレターに対して否定的であることも併記した次第です。より分かりやすくするために肩書を経済学者からアゴラ運営者に修正しようと思います。
    「オープンレターそのものが出典に使われていますが、これは一次資料です。」というご指摘に関しては、WP:V#OSがオープンレター公式サイトにも適用されると考えます。無断で名前を使われたと訴えた評論家の古谷経衡氏、作家の高野秀行に関してもWP:TWITTERが適用されるのではないでしょうか。
    中立的性WP:NPOVの点でオープンレターに対して肯定的評価をしていた有識者の意見を併記するのも一手かと思います。
    当然、上記は現状での加筆修正提案ですので信頼性の高い大手メディアが報じた場合はその記事の記載内容が優先されるべきかと思います。--圧倒的認識会話2022年2月1日 (火) 13:42 (UTC)[返信]
      • 圧倒的認識さんは、信頼性の高い大手メディアが報じるのを待つことはできないということなんですね。わたしが大手メディアの報道が必要だと思うのは、それが存命人物の伝記というデリケートな案件においては中核となるものだからです。論座は一著者の視点を提供している。これは同意していただけると思います。つまり明らかに中立ではない。アゴラと同じなんですよ。こういう情報は、まず中立な報道があって、それを核に据えた上で、「この件に関してはこういう意見もある」という補助的な使い方なら、まだ理解はできます(使っていいと太鼓判を押しているわけではない)。しかし、現状は核となるものがなく、その補助的な出典しかない。しかも否定的言及である。これが存命人物の伝記においては致命的だというんです。これがアゴラだけでなく論座の使用も不可であるとわたしが主張する理由です。
      • オープンレターそのものも同じです。大手メディアによる中立的な報道を核に据えるならば、使えるかもしれませんが、現状はそれがないので無理という意味です。WP:BLOGSについては勘違いをなさっていると思います。別に論座が自主公表された情報源であると主張しているわけではありません。WP:TWITTERについてはもっと勘違いをなさっていると思います。これは、「それらの情報源自身に関する記事においての自主公表された情報源」に関する方針なので、他者がTwitter上でする発言の使用可能性を謳ったものではありません。他者のTwitterでの言及こそ、WP:BLOGSなのです(だから使えますよという意味ではない)。--Aoioui. 2022年2月1日 (火) 15:32 (UTC)[返信]
Twitterなどで度々「オープンレターに関する動向」について言及していた東浩紀氏が、朝日新聞出版「AERA」の巻頭エッセイで本件に言及しています。エッセイでは呉座氏の北村氏への中傷、オープンレターの公開、呉座氏の所属先への訴訟、北村氏への批判までが整理され、状況を踏まえて現状を「現代における人文知の失墜」と評価しており、発展性があります。ただ、Aoiouiさんの言葉をお借りすれば「核」として使える中立的な報道というのはまだありません。一般的な記事であれば、これらの材料で加筆は可能かも知れませんが、本件は「Wikipedia:存命人物の伝記」「削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」によく配慮する必要があることは再確認するべきです。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月2日 (水) 01:19 (UTC)[返信]
些末な部分なのかもしれませんが、「エッセイでは呉座氏の北村氏への中傷、オープンレターの公開、呉座氏の所属先への訴訟、北村氏への批判までが整理され、」の「北村氏への批判」というのはそのエッセイの中には出てこない内容だと思います。そこを正しく記述し直すとするならば「公開状への批判」で置き換えられるでしょう。--モーチー会話2022年2月2日 (水) 02:28 (UTC)[返信]
「女性差別は暴力だが、SNSでの糾弾も数の暴力ではないかというわけである」「女性蔑視は許されないが、かといって署名を集め活動停止に追い込むのもやりすぎかもしれない」あたりから「北村氏への批判」としましたが、確かにやや曲解だったかも知れません。上記は東氏のエッセイについて、発端となった呉座氏の北村氏への中傷から現況までをよく整理されていると評価したものとしてご理解ください。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月2日 (水) 03:46 (UTC)[返信]
皆様の意見とAERAの出典を踏まえて再度修正を行おうと思います。--圧倒的認識会話2022年2月2日 (水) 06:22 (UTC)[返信]
情報ありがとうございます。案を修正しましたのでお時間あれば確認お願い致します。削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関しては犯罪歴や個人情報が対象であり(これは飯塚幸三の記事で非常に議論されました)、自ら名前を公表して行った取り組みは対象外だと認識しております。--圧倒的認識会話2022年2月2日 (水) 11:39 (UTC)[返信]

加筆修正案2(2022年2月2日(UTC)時点の案)

コメント 小節を区分けさせていただきました。以下2022年2月2日11:29:57(UTC)時点の下書きに基づいて議論が行われており、途中で誤字修正として2022年2月7日13:18:06(UTC)時点の編集で誤字の修正が行われているようです。--Assemblykinematics会話2022年2月8日 (火) 22:31 (UTC)[返信]

報告 案を修正しました。ご確認お願いします。 下書きリンク--圧倒的認識会話2022年2月2日 (水) 11:33 (UTC)[返信]

  • 黙っていて同意だと思われてしまうと良くないので反対の意思を示しておきます。大手メディアによる出典がないという意味でです。わたしの意見は以前のものと変わっておらず、それが今も適用できる状態にあると考えます(繰り返すことはしません)。--Aoioui. 2022年2月4日 (金) 06:06 (UTC)[返信]
  • Aoiouiさんと同じです。「中立的報道」「北村氏の職務上の明らかな影響」がない以上、加筆はできないという考えに変わりはないため、表現をいくら改めても同意できません。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月4日 (金) 07:25 (UTC)[返信]

大手メディア報道の有無を理由にWikipedia への記載の可否を決めるなら、Wikpedia は只のマスコミの下請けでしかなく、その存在意義が問われます。(ここまで書かなくとも、大手メディアの記載の有無を理由にしていいなら、Wiklpediaの記事の大半は削除対象になってしまうんではないですかね?)

同様に、理由を明確にできない訴訟リスクを理由に記述を止めるなら、それはWikpediaの存在意義の否定であると同時に言論の自由の放棄であるともいえます。--Raoh the baoh会話2022年2月5日 (土) 00:34 (UTC)[返信]

まずは各種方針をお読みになってはいかがですか?--しんぎんぐきゃっと会話) 2022年2月5日 (土) 01:13 (UTC) あと、ここまでの議論の流れ。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月5日 (土) 02:37 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼に「方針・ガイドライン等に基づいて記載できるかできないか」とあったので気になって来ました。ウィキペディアは大手メディアや著名識者が用意した資料を取りまとめて、それを要約するサイトなので、「下請け」というよいも「下地にしてよりよいものを作り上げ」て存在意義を高めています。他の強豪サイトが存在しているサブカルチャーやご当地の分野は、他サイトとそれなりに戦えるように基準を緩めていたりしますが、存命人物については一度ダメージとなった場合の回復がとても困難なため特に慎重にルールを適用していただきたく思います。
方針・ガイドラインの研究に熱心になられるのは歓迎したいところですが、(他の方からもご指摘ありますとおり)方針をクリアした後に、それを採用するかしないかという要約作業が控えているので、そこまで議論を進めていただけるとありがたいです。今回の件は大手メディアからも報じられていますが、なぜ実名ではなく「女性文学者」や「女性研究者」の肩書きのみなのか? これを上手に説明できないと掲載に使おうとしている当該メディアと大手メディアを単純に比較することになるため採用がとても難しくなります(つまり大手メディアを採用することは掲載できないということ)。
社会正義やら読者の知りたいという欲求に支えられているメディアの存在は承知しています。(本件はそこまでには至らないとは思いますが)ウィキペディアは裁判で何十万の支払いと天秤に掛けているようなリスキーなメディアと(特に存命人物記事に関しては)付き合っていられない。と個人的には感じています。(関連:報道が大手1社のみで他が追従してこない場合どうするかの議論)--Triglav会話2022年2月9日 (水) 14:22 (UTC)[返信]

しんぎんぐぎゃっとさん。職務上への明らかな影響が必要なのは削除の方針ケースB2(プライバシー、個人情報、犯罪歴)が代表的ですが、今回の加筆には「明らかな影響」がそこまで重要でないことは各種方針,ガイドラインから理解できると思います。AERA,論座,アゴラ,有識者による言及,情報源としては現時点で十分ではないでしょうか。信頼できる情報源ではなく「大手」メディアにこだわっているのでしたら方針等に誤解があると思います。大手メディアは信頼できる情報源ですが、信頼できる情報源が大手メディアと言う訳ではありません。

Raohさんは方針を読み直してください。 圧倒的認識会話2022年2月5日 (土) 02:03 (UTC)[返信]

テンプレートを加筆し、議論誘導を行いました。--圧倒的認識会話2022年2月5日 (土) 02:23 (UTC)[返信]
私も決して意地悪がしたいわけではないので、私が納得できれば加筆に合意したいと思っています。気になる点は、「今回の加筆には『明らかな影響』がそこまで重要でない」という部分です。これまで不祥事(とまではいかなくても、論争含めて)についてjawpでは飯塚幸三マツキタツヤ最近では古塔つみなどの加筆を見てきましたが、いずれも「栄典の剥奪」「作品の打ち切り」「作品集の販売停止」など、「明らかな影響」があるもので加筆に納得できるものでした。しかしながら、今回はそういった意味での「明らかな影響」は見受けられません。「明らかな影響」があれば、それは人物の伝記上、説明が必要であることに異論はなくなりますから、加筆の根拠になるという考えです。「AERA,論座,アゴラ,有識者による言及」と出典がありますが、アゴラを除いていずれも著名人が寄稿ないし投稿したもので、「誰々はこう言っている」という範疇を出ません。「誰々はこう言っている」を著名人によるものだからと全て網羅すれば、それはWP:IINFO案件です。アゴラに関して、殊に本件において中立性、信頼に疑念があるということは先に述べた通りです。「大手」メディアに拘りはありません。読み返してみましたが、私は中立的な第三者からの言及については言っていますが、メディアの規模の大小については言及してないと思います。少なくとも、大手メディアだけが信頼できるとは考えていませんし、大手メディアだから即ち信頼できるとも考えていません。(追加)下書きですが、[2][7]がともに東氏のコラムで重複しています。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月5日 (土) 02:37 (UTC)[返信]
ありがとうございます。まず、下書きの出典については参照しているページが違うので分けた次第です。ちょっとここはどちらが良いのかよくわからないので再度自分でも調べてみます。
解釈について、明らかな影響が必要なのはWP:DP#B-2等で指定されている情報に限定されていると私は認識しています。一部抜粋いたします。「著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴・裁判歴・個人的情報など(例:大学教授の記事で、車庫法違反で罰金の有罪判決を受けたという事実を記載してはいけません。記載された場合削除の対象になります)」オープンレターに関しては本人が実名で自発的に行った行動であり、逮捕歴・裁判歴・個人的情報に該当するとは考えにくいです。そのため、今回の加筆については「活動に明らかな影響を与えたか」よりもWP:VERIFYWP:NORWP:NPOVが重要だと考えています。wikipedia日本語版においては伝統的に、「後にその活動自体が明らかな影響を与えていなくとも、その人物のエピソードとして関係があれば方針などを遵守の上記載する」ことが認められています。余りにもありふれている事項ですのでどれか一つ例を示す、というのは困難ですが例えば秀逸な記事の三島由紀夫#略年譜には、その後に明らかな影響を与えたのか不明な情報も多数記載されています。また、現時点での北村紗衣にもWP:VERIFYWP:NORWP:NPOVを満たしているもののその後に明らかな影響を与えたとは言えない事項が多数含まれています。
最後に、WP:IINFOについてですが、例示4項目どれにも当てはまらないように思えます。関連するWP:SURPLUSを見ても、少なくとも現状の加筆案が雑多な情報に該当するとは思えません。当然、箇条書きのように文脈なく批評が列挙されるような編集があれば別だと思います。--圧倒的認識会話2022年2月5日 (土) 04:37 (UTC)[返信]
下書きについて、了解しました(そういえば、私はオンラインのソースにおいてページを意識せずにまとめてました。ページが別なら分けたほうが、もしかすると親切かもしれませんね)。まず、冷静な議論ができてることを嬉しく思います。この手の問題で大いに揉めているのも多々見てきたので、それこそ東氏がコラムで憂慮されてるような「罵詈雑言が飛び交う」ようになっていないのは喜ばしいことです。さて、本件についての議論は尽くされたと思います。私の結論としては、やはり反対寄り、しかし圧倒的認識さんのご意見も良く理解できるため、本件に関しては 中立の立場を取ろうと思います。方針の理解については、個人差があるものと考えています。細かい意見の違いを議論しても収拾がつかないですし、法律家ごっこのような議論に向かってしまうのも不本意です。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月5日 (土) 05:11 (UTC)[返信]
一部取り消し。議論軽視など不誠実な発言が見られたため。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月8日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
圧倒的認識さんは、大手メディアの報道に関して誤解されてしまっているようです。私の先のコメントでも、大手メディアが報じることがWP:WELLKNOWNが求める「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」かどうかを判断する上での客観的な1つの指標として大手メディアと言ったのであって、大手メディアのみが信頼できる情報源だと言っているわけではありません。Aoioui.さんのコメントでも、中立的な立場からの報道ないし記事を求める主旨で大手メディアによる報道を必要とするとの説明がされています。圧倒的認識さんにおかれましては、まず他の方の意見・コメントを正しく読み取った上でコメント・意見をされるようにお願いします。--モーチー会話2022年2月5日 (土) 05:36 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛 当初、わたしは「信頼性の高い大手メディア」と申し上げたはずで(特別:差分/87756528)、圧倒的認識さんもそのように応じておられた(特別:差分/87824331)。それで何度も繰り返すのもくどいので「大手メディア」と略したもので、基本的にこの議論においては「大手メディア」=「(信頼性の高い)大手メディア」のはずなんですが、圧倒的認識さんの「信頼できる情報源ではなく「大手」メディアにこだわっているのでしたら方針等に誤解があると思います。」という発言を見る限り、既にその前提が抜け落ちている。ここに齟齬があるんだと思います。あくまで「信頼性の高い大手メディア」の話をしているのだ、ということをお忘れなく。--Aoioui. 2022年2月5日 (土) 06:16 (UTC)[返信]
議論の過程での表記ゆれからAoiouiさんの意見を誤解していたようです。こちらの誤解が解けましたありがとうございます。
一方で私が何度か指摘しているように「大手ではないが信頼できる情報源」というのも存在すると思います。有識者が執筆した論座、アゴラの記事などです。追加で出てきたAERAに関しては週刊誌ですので完全に信頼できる情報源かと言われればそうとは言い切れませんが著者が評論家、人文学者として著名であり、信頼できる情報源に該当するのではないかと思います。 圧倒的認識会話2022年2月5日 (土) 09:27 (UTC)[返信]

従六位上河内介さんの意見1

返信 一連の経緯及び下書きリンクを拝見したうえで自身の意見を述べさせていただきます。もし、私の理解不足があればどうぞご容赦ください。まず、結論から申せば圧倒的認識様の下書きリンクの内容は本文掲載しても差し支えないのではと考えます。その論拠として、一部の議論で「大手メディアによる中立的な報道」が出ることやその内容を核として記載すべき(=中立的な報道がなければ本文掲載は控えるべき)という意見があるように見えますが、その「大手メディアによる(中立的とされる)報道」をある種の文言作成の方針に採用してしまうと、Wikipedia:中立的な観点にある『中立的な観点の方針とは、観点のどれかを「中立的な観点」として採用する行為ではありません。』というのに反するのではないかと思っております。殊に圧倒的認識様が下書きに利用されている出典も朝日新聞社が運営している「論座」や朝日新聞出版が運営している「AERA」、アゴラ研究所が運営している「アゴラ」で公開されているもので、いずれも専門外でない評論家が論証・批評している要旨で記事を掲載されていることから検証可能性や信頼できる情報源という観点でも問題とはいえないと考えられますし、いずれかの評論家の意見が真実として記載されている訳でもなく、文量も公平に記載をされているということ、またそれぞれが多角的な視座から本件を批評していることから中立性も大きく影響するとは断言できないのではないかと思います。また、存命人物の伝記や削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してに抵触する懸念を示されている方もいらっしゃいましたが、当該記事の人物が行った運動に対する評論家の批評であり、誹謗中傷などとも性質が異なることから、いずれもこのご指摘には当たらないのではと考えております。--従六位上河内介会話2022年2月6日 (日) 14:56 (UTC)[返信]
Wikipedia:中立的な観点を論拠に取られていますが、「意見を事実として記さない/事実を意見として記さない」の項に明らかなように、論座にしろアゴラにしろ「意見」であることは疑いの余地のないところでしょう。では「事実」とは何か。それが「信頼性の高い大手メディア」です。この議論の中で申し上げた核というものは、中立的な観点から言えば「事実(信頼できる情報源によって反論や論争の余地のないものとされた事実)」のことです。これに即して言えば、今の下書きの状態は、事実の提示なきままに意見だけが書かれている状態です。よって、「信頼性の高い大手メディア」による核=事実を求めているという意味ではむしろ中立的な観点の方針とは整合していると考えます。--Aoioui. 2022年2月6日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
「では「事実」とは何か。それが「信頼性の高い大手メディア」です。」とありますが、これは方針やガイドラインのどの部分に当てはまるものでしょうか?そもそもWP:Vにも「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」記されておりますが、記事を執筆する際には検証可能であるかが重視されるのであって、「事実」なく「意見」のみが記載されているからといって掲載内容として不適切とまでは言えないのでないでしょうか?まず、下書きリンクの記述もWP:SUBSTANTIATEに従って記されておりますし、それぞれの典拠も検証可能性を満たしているものと思われます。現時点で本文公開しても問題ない基準であると思われますし、もしその内容が不十分であるとすればそれは随時加筆修正すればいいだけないでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月7日 (月) 00:05 (UTC)[返信]
アゴラや論座が「意見」であることは合意されていると思います。もし、従六位上河内介さんが「信頼性の高い大手メディア」が報じたことまで「意見」であると捉えておられるのなら、それはとても奇妙なことのように思えますので、論拠が必要でしょう。また、「事実」なく「意見」のみが記載されているからといって掲載内容として不適切とまでは言えないのでないでしょうか?」とのことですが、それはWikipedia:中立的な観点を見落としておられるようです。Wikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せをご覧ください。「「意見」のみ」は明らかに推奨されていません。
論点がぼやけがちなので今一度はっきりさせておきたいのですが、わたしの意見は「書くことに反対ではない、しかし大手メディアが報じるのを待つべき」です。これ以外に何もありません。この「問題」が発生してからしばらくの時間が経過していますが、未だに「オープンレター・女性差別的な文化を脱するために・北村紗衣」のどのキーワードで調べても、新聞はどこも報道(「意見」ではない)をしていないわけです。改めて考え直してもらえませんか? 存命人物の伝記において、ネガティブな情報であることも考慮しても書くべきであるような問題だったら、それほど重要である問題を「信頼性の高い大手メディア」がどこも報じないなんてありえないでしょう。--Aoioui. 2022年2月7日 (月) 05:15 (UTC)[返信]

中間まとめ1

とりあえず、大手が報じればより充実した記事になるが現状でも方針等と照らし合わせて問題ない、ということで良いのではないでしょうか。
「大手ではないが信頼できる情報源」が存在することに関しては異論はないと思うので明日あたりに加筆したいと思います。--圧倒的認識会話2022年2月7日 (月) 13:13 (UTC)[返信]
中立の立場から。Aoiouiさんが「考え直してもらえませんか」としているのを、圧倒的認識は完全に無視なされるのですか?この状況で「明日あたりに加筆したいと思います」とおっしゃるのには、正直驚きました。なぜそこまで編集を強行しようとなされるのか、理解に苦しみます。現状、加筆について合意が形成されたとは到底思えません。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月7日 (月) 13:43 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛 どうして急に加筆する方向になっているんでしょうか。編集の強行については 強く反対します。合意を取るのでなければ、一体なんのために議論をしているんですか?--Aoioui. 2022年2月7日 (月) 13:46 (UTC)[返信]
「大手ではないが信頼できる情報源」が存在することに関しては異論はないと思います(大手かつ信頼できる情報源が現れればより充実した記事になるでしょう)。議論によって方針上の整合性が明らかになったのではないでしょうか。
一応、従六位上河内介とAoiouiさんがまだ議論のあるようですのでもう少し様子を見ようと思います。--圧倒的認識会話2022年2月8日 (火) 00:34 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛 これまでの議論を踏まえれば「意見」があるだけで、「事実」はありません。「意見」があることに異論はありませんが「意見」だけでは加筆できません。--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 06:19 (UTC)[返信]
具体的にどの方針、ガイドラインに関わるのかお示しくださると助かります。仮に出典を全て「意見」ととらえたとしても「(関連分野著名人の)意見だけでは加筆できない」という方針、ガイドラインは無いはずです。--圧倒的認識会話2022年2月8日 (火) 13:58 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛 既に議論でWikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せを示しましたが、それでは足りないという意味なんでしょうか。--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 14:47 (UTC)[返信]
既に従六位上河内介さんがその点に返信していると思いますが、重ねて。
Wikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せの要点はこうです。「意見を扱った事実も含めて、事実を記してください。意見そのものを記さないでください」
少なくとも私の加筆修正案は「その意見を抱いている特定の個人または集団に本文中で帰属化させて記載するべきです。」を満たしています。
既に明らかであること、自分で示した方針をしっかりと読めばわかることを何度も聞かれるのは非常に疲れます。--圧倒的認識会話2022年2月9日 (水) 05:26 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛 圧倒的認識さんが下書きの中でやっていることこそ、報道されるべきことなんですよ。そしてそういう報道が信頼できる大手メディアからなされない限り、書く必要はないという意味です。「非常に疲れる」というのは、編集を強行しようとした方がおっしゃる言葉ではないように思います。--Aoioui. 2022年2月9日 (水) 05:37 (UTC)[返信]
なぜ「大手」かつ「信頼できる情報源」にこだわっているのですか?「大手」ではないが「信頼できる情報源」というのはwikipedia3大方針の1つであるWikipedia:検証可能性で言及がされています。
Wikipedia:検証可能性#新聞社や雑誌の運営するブログWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源の例外、がなぜ存在するのか考えていただきたいです。

「報道が信頼できる大手メディアからなされない限り、書く必要はないという意味です。」
これは方針・ガイドラインの話ではなく個人の信条の話でしょうか?方針・ガイドラインに基づいた議論を行わずに何度も同じような質問を繰り返されるのは非常に疲れるのです。
Wikipedia:ノートページのガイドライン#ウィキペディアの方針から逸脱しないの精神を汲んでいただけませんか?--圧倒的認識会話2022年2月9日 (水) 05:54 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── これ、従六位上河内介さん宛の返信でも書きましたけど、論座やAERAなど、朝日新聞子会社系列の媒体が「意見」を載せているだけで、母体の朝日新聞は何一つ「事実」を報道してない、って視点を完全に落としているんですよね。別に表現の問題なら一流の報道機関でもいんですよ。なぜAERAや論座に比べて明らかに一流の報道機関の朝日新聞では報道しないんでしょう? 重要ではないからですよね。よって否定的な内容として存命人物の伝記に書くに値しません。--Aoioui. 2022年2月9日 (水) 07:15 (UTC)[返信]

従六位上河内介さんの意見1からの続き

まず、Aoioui様におかれましてはご意見頂戴しましてありがとうございます。ご指摘いただきましたWikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せについて確認させていただきましたが、結論を申せば(すごく分かりにくく紛らわしい表現だと思いますが)その文の要旨は「意見を事実として記すべきではありません。」ということであり、この後の文章にも「記述が意見(たとえば、深刻な論争のある議題であったり、一般的に主観的であるとみなされる内容を扱う情報)である場合、その意見を抱いている特定の個人または集団に本文中で帰属化させて記載するべきです。」意見の記載方法も示されています。当然、一部の主張を主張した人物や団体に帰属化させず”反論や論争の余地のないものとされた事実”のように記載されるようであればそれは問題でありふさわしくありませんが、今回の事例でいうとWP:SUBSTANTIATEに踏まえて記述されていることから問題はないと考えております。また、再度お伺いできればと思いますが「では「事実」とは何か。それが「信頼性の高い大手メディア」です。」とありますが、これは方針やガイドラインのどの記述によるものでしょうか?そもそも「存命人物の伝記において、ネガティブな情報であることも考慮しても書くべきであるような問題だったら、それほど重要である問題を「信頼性の高い大手メディア」がどこも報じないなんてありえないでしょう。」というご指摘も頂戴しましたが、井戸端の同様の議論「Wikipedia:井戸端/subj/存命人物の記事の否定的な記載の出典元についての定義」でも「大手メディア」に限定する話はありませんでしたし、WP:WELLKNOWN(存命人物の伝記)においても「信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」という一文がある通り、”信頼できる公表済みの情報源”があれば記事に含めることは許容されています。下書きリンクの出典はWikipediaにおける信頼すべき情報源と検証可能性では条件に満たしているにもかかわらず、その情報源を「(信頼性の高い)大手メディア」に記事作成のハードルが上がっているのは、どうも理解が出来ずお伺いしている次第です。あと、その「(信頼性の高い)大手メディア」でいえば、「AERA」も十分大手メディアの枠組みに入ると思うのですが、その点はいかがでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月7日 (月) 14:11 (UTC)[返信]
コメント 端的なコメントで恐縮ですが、上のコメントでも示した通り、ここでWP:WELLKNOWNを出すのであれば「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」の方も考慮すべきでしょう。それからこれは判断が微妙な部分ですが、当人物が著名人あるいは非著名人どちらに該当するかという点もいまだはっきりとしていないとの認識です。--モーチー会話2022年2月7日 (月) 15:00 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん宛「では「事実」とは何か。それが「信頼性の高い大手メディア」です。」とありますが、これは方針やガイドラインのどの記述によるものでしょうか?」については、「アゴラや論座が「意見」であることは合意されていると思います。もし、従六位上河内介さんが「信頼性の高い大手メディア」が報じたことまで「意見」であると捉えておられるのなら、それはとても奇妙なことのように思えますので、論拠が必要でしょう。」とお答えしております。当然ですが、あくまでこの議論においての「意見/事実」を探っているはずです(論座やアゴラ、AERAが「意見」だと方針・ガイドラインに明記されていなければならないでしょうか?)。
Wikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せについては、「一つの簡単な公式化をするならば、「意見を扱った事実も含めて、事実を記してください。意見そのものを記さないでください」となります。」とまとめられているので、独自の見解は必要ないと思います。従六位上河内介さんは、当初は「「事実」なく「意見」のみが記載されているからといって掲載内容として不適切とまでは言えないのでないでしょうか?」とおっしゃっていましたから、下書きに「事実」が存在しないことはお認めになっているはずです。「事実」の出現を待てるのなら、待てばいいだけでしょう。
また、「それほど重要である問題を「信頼性の高い大手メディア」がどこも報じないなんてありえないでしょう。」というご指摘も頂戴しましたが、……」以下の文ですが、まず井戸端については数年前のもので、その議論が必要なら既に方針やガイドラインに組み込まれているはずです。さらに、重要ではないという点も、反論がないことからお認めになっていると思います。そして「「AERA」も十分大手メディアの枠組みに入る」という、これらすべてのことは「意見」に繋がっていますよね。即ち、論座の意見、アゴラの意見、AERAの意見です。WP:WELLKNOWNで言及されている「例」は、誰か個人の意見があることを示しているでしょうか? 「『ニューヨーク・タイムズ』はこれを記事にして出版し、」ですよね。
つまり次のようなことです。「重要ではない問題について、複数の意見がある」。オープンレター問題について、現状はこうのはずです。これならば、記事に加筆する必要がない。単純なことだと思います。わたしは、信頼性の高い大手メディアが報じれば、この「重要ではない」も「意見」も覆せる可能性があると思っています。--Aoioui. 2022年2月7日 (月) 15:03 (UTC)[返信]
Aoiouiさま宛 『「「では「事実」とは何か。それが「信頼性の高い大手メディア」です。」とありますが、これは方針やガイドラインのどの記述によるものでしょうか?」については、「アゴラや論座が「意見」であることは合意されていると思います。もし、従六位上河内介さんが「信頼性の高い大手メディア」が報じたことまで「意見」であると捉えておられるのなら、それはとても奇妙なことのように思えますので、論拠が必要でしょう。」とお答えしております。当然ですが、あくまでこの議論においての「意見/事実」を探っているはずです(論座やアゴラ、AERAが「意見」だと方針・ガイドラインに明記されていなければならないでしょうか?)。』という点で念のため確認させてましたが、Wikipediaにおける方針やガイドラインに基づいた「真実」・「意見」ではなく、Aoioui様の独自見解ということでよろしいでしょうか。議論が混乱するのでここではWikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せにおける「真実」(たとえば、真実であると認められていて、なおかつ深刻な論争の存在しない主題に関する情報)と「意見」(たとえば、深刻な論争のある議題であったり、一般的に主観的であるとみなされる内容を扱う情報)をベースにお話させていただきます。この定義でいえば、論座やアゴラ、AERAの言及も評論家による「意見」としてお分かりになるかと思います。
次いで『下書きに「事実」が存在しないことはお認めになっているはずです。「事実」の出現を待てるのなら、待てばいいだけでしょう。』とご指摘をいただいておりましたが、何度も申しているとおり「意見」のみだから記事として反映することが出来ないという訳ではありません。まず、Wikipedia:中立的な観点におけるWP:SUBSTANTIATE(偏った記述は帰属化・明確化する)に「偏った意見の陳述は、本文内で帰属化する方法でのみ提示することができます。」「事実に即した意見を扱った記述としてならば、記事に含めることができます。」とあります。一例を示せば、下書きリンクにある『歴史学者である呉座勇一が会員制交流サイト上で北村に否定的な形で言及した結果、国際日本文化研究センターから懲戒処分が下された件に関して【事実】、歴史学者の與那覇潤は【意見の帰属先】「あきらかに「冤罪」と呼ばざるを得ない側面が含まれている」と苦言を呈している【意見】。』という構造であれば記事への記載が認められています。『WP:WELLKNOWNで言及されている「例」は、誰か個人の意見があることを示しているでしょうか? 「『ニューヨーク・タイムズ』はこれを記事にして出版し、」ですよね。』でも確認がありましたが、この場合でも『信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているもの』に帰属化させての言及することで当該人物に批判的な記事でも記載することが認められています。あと、『重要ではないという点も、反論がないことからお認めになっていると思います。』という点は私の発言のどの箇所を指して申されていることでしょうか。また、言及していないからといって同意したという訳ではございません。
3つ目に『つまり次のようなことです。「重要ではない問題について、複数の意見がある」。オープンレター問題について、現状はこうのはずです。これならば、記事に加筆する必要がない。単純なことだと思います。わたしは、信頼性の高い大手メディアが報じれば、この「重要ではない」も「意見」も覆せる可能性があると思っています。』これはAoioui様個人のご意見ということでよろしいでしょうか。まず、記事作成は信頼すべき情報源があり検証可能性を満たしていれば記事で言及するのは可能なはずです。また、Wikipedia:中立的な観点/FAQでも「中立的な観点の方針は、「編集上の」偏向が含まれることを禁じていますが、「適切に出典が明示された」偏りのある情報の掲載までは禁じていません。」とある通り「信頼すべき情報源が示されているけど、まだ信頼性の高い大手メディアが報じていない重要ではない問題だから記事に加筆する必要がない。」というのは方針やガイドラインなどどこにもそのようなことは示されていないはずです。
最後に『あと、その「(信頼性の高い)大手メディア」でいえば、「AERA」も十分大手メディアの枠組みに入ると思うのですが、その点はいかがでしょうか。』にはお答えいただいておりません。また、「(信頼性の高い)大手メディア」が何を指すのかも抽象的ですので方針やガイドラインに沿ってお答えいただけますでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月7日 (月) 23:40 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん宛 これは、非常に「疲れる」対話です。文字数がどんどん膨れ上がってることからも分かります。だからわたしは前回も、前々回も、軽いまとめを付け加えたのです。従六位上河内介さんの議論はまとまるどころか拡散しています。
さて、色々言ってもらって申し訳ないのですが、議論は核心に到達していると考えています。「重要ではない問題について、複数の意見がある」について、これをわたしの意見だとおっしゃる。そうでしょうか? モーチーさんも重要性について言及していました。従六位上河内介さんの主張では、なんらオープンレター問題の重要性が証明されていません。これをわたしの意見だとおっしゃるなら、当然従六位上河内介さんにはこの重要性を端的に証明できるはずです。
もう一度問います。「それほど重要ならば、なぜ信頼性の高い大手メディアで報じられていないんですか?」この質問に真正面から答えていただきたいのです。この問題が本当に重要であるならば、この質問に耐えうるはずです。--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 05:26 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── Aoiouiさま宛 まず、『「(信頼性の高い)大手メディア」が何を指すのかも抽象的ですので方針やガイドラインに沿ってお答えいただけますでしょうか。』にお答えいただいていないので、Aoioui様が想像する「信頼性の高い大手メディア」とは異なる可能性があることを前提に「それほど重要ならば、なぜ信頼性の高い大手メディアで報じられていないんですか?」について、お答えすると「朝日新聞出版が刊行している『AERA』(=信頼性の高い大手メディア)に著名な批評家によるコラム記事が掲載されており本件について報じられている。また、それ以外の出典(論座、アゴラ)もWikipediaにおける記事作成の基準(信頼すべき情報源、検証可能性)を満たしているため記事掲載に用いることは問題ではない。」ということです。まず、何度も私は同じことを申し上げておりますが、今回の記事掲載には信頼すべき情報源と検証可能性を満たしており、Wikipedia:中立的な観点におけるWP:SUBSTANTIATE(偏った記述は帰属化・明確化する)に従った記載であれば記載することは問題ではないはずです。しかしながら、ここの議論では「オープンレターの重要性」に関する言及であったり、「(信頼性の高い)大手メディア」の報道を待つべきなど、本来方針やガイドラインに明記されていないことまで考慮すべき条件として掲げられており、それを記事掲載できない理由とされているのはWikipedia:規則の悪用にも抵触するのではないかと考えております--従六位上河内介会話2022年2月8日 (火) 12:02 (UTC)[返信]

AERAの出典を提示した手前、意見しますが、この出典に「(著名な批評家である)東浩紀氏はこう考えている」以上の情報はありません。全てが東氏のいわば「語り」であり、一般紙の記事とは性質が異なります。その点では、AERAの出典は東氏がTwitterで発信しているのを引用するのと変わらないでしょう。--しんぎんぐきゃっと会話2022年2月8日 (火) 12:28 (UTC)[返信]
  • しんぎんぐきゃっとさま宛 上記について意見させていただきますが、「この出典に「(著名な批評家である)東浩紀氏はこう考えている」以上の情報はありません。全てが東氏のいわば「語り」であり、一般紙の記事とは性質が異なります。」とありますが、東氏のコラムを掲載するにあたって「AERA」に掲載責任が発生するのですから、論評部分の前にある今回の騒動に関する概要説明のところは事実関係として読み取ることは可能です。また、「その点では、AERAの出典は東氏がTwitterで発信しているのを引用するのと変わらないでしょう。」とも申されましたが、WP:RSにおけるAERAの出典(=商業出版された情報源の利用)とTwitterで発信(=オンラインや自己公表された情報源の利用)を同一視するのは無理があろうと思われます。ただ、東氏のTwitterでの発信が、WP:RSでの「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません。」という面を指してそのように申されているのではあれば本件は同意させていただきます。また、いずれにせよWikipedia:中立的な観点におけるWP:SUBSTANTIATE(偏った記述は帰属化・明確化する)には問題ないと考えられます。--従六位上河内介会話2022年2月8日 (火) 13:32 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん宛 わたしは従六位上河内介さんの、少なくとも端的ではない言い回しは、議論を疲弊させるものと感じています(過去参加された議論を拝見しましたが、ノート:小夜左庵国吉は恐るべき長さであると感じました)。このような遠回しの言い方で、合意が取れるとは思えません。この問題は、「重要でないから、報じられていない」で説明がつきます。「信頼性の高い大手メディア」という表現に引っかかりを覚えるなら、まずどこがこの問題を報道しているか教えてもらえませんか。AERAを事実報道のように扱っておられますが、それは明らかに違う。「意見」なんですよ。この点についてしんぎんぐきゃっとさんと意見を同じくしています。「報じられている」ことの定義を変えようというんですか。--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 13:49 (UTC)[返信]
情報 従六位上河内介の意見に全て目を通しました。Aoiouiさんは「少なくとも端的ではない言い回しは、議論を疲弊させるもの」と評していますが、私としては従六位上河内介の意見は「具体的な参照方針・ガイドラインを明らかにし」「そのうえで自分の意見を分けて書いている」という点で非常に有意義なものだと思います。中身の批評ではなく単に端的でないことを理由に批判を行うのはWP:CONACHIEVEWP:FAITHの趣旨から外れているのではないかと思いました。--圧倒的認識会話2022年2月8日 (火) 14:09 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛 議論が拡散すると申し上げているんです。こちらの態度は「重要でないから、報じられていない」なんです。圧倒的認識さんが代わりに答えてくださっても構いませんよ。「それほど重要ならば、なぜ信頼性の高い大手メディアで報じられていないんですか?」--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 14:47 (UTC)[返信]
Aoiouiさま宛 私の説明が長くて恐れ入ります。さて、Aoioui様にはこれまで同じことをお伺いしておりますが、以下3点お伺いできますでしょうか。 ①「(信頼性の高い)大手メディア」が何を指すのかも抽象的ですので、(この議論や個人の考えに即したものではなく)Wikipediaの方針やガイドラインに沿ってお示しいただけますでしょうか。②今回の記事掲載には信頼すべき情報源と検証可能性を満たしており、Wikipedia:中立的な観点におけるWP:SUBSTANTIATE(偏った記述は帰属化・明確化する)に従った記載であれば記載することは問題ではないはずです。Aoioui様のご意見はWP:SUBSTANTIATEとは異なるようにお見受けしますが本件どの様にお考えでしょうか。③「オープンレターの重要性」に関する言及や「(信頼性の高い)大手メディアの報道を待つべき」などは、本来方針やガイドラインに明記されていないことまで考慮すべき条件として掲げられており、それを記事掲載できない理由とされているのはWikipedia:規則の悪用にも抵触するのではないかと考えております。本件どのようにお考えでしょうか。また、「オープンレターの重要性」や「(信頼性の高い)大手メディアの報道を待つべき」が方針やガイドラインに合致するというのであればそれをお示しください。--従六位上河内介会話2022年2月8日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん AERAは事実報道ではない、意見ですよね、報じられてることの定義を変えようというんですか、の返事が、「これ」ですか? あの、従六位上河内介さんは「朝日新聞出版が刊行している『AERA』(=信頼性の高い大手メディア)」としていますよね。AERAと朝日新聞本体、どちらが信頼性が高いか、など問うべくもないでしょう。従六位上河内介さんの主張は、朝日新聞は報じてないけど、朝日新聞系のAERAや論座が意見を載せているから、報道扱いにしていいだろうというもの。これは極めて不自然な主張です。このような姿勢では、存命人物の伝記にネガティブな記述ができるとは思えません。--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 15:53 (UTC)[返信]
「重要でないから、報じられていない」という方針・ガイドラインは存在しません。
あえて個人的な予測を言及するならば、大手メディア(特に総合的な情報を扱うメディア)は全ての事象を取り上げれるわけではないので「関連分野の専門家、一部オピニオン誌」から言及されるのにとどまっているのではないかと思います。しかしよく考えてください、フェミニスト批評という専門分野を「大手」メディアが細かく報じることを待つべきなのでしょうか。まずそのような方針・ガイドラインは存在しませんし、例えば宇宙際タイヒミュラー理論の記事は理論解説部分にて関連分野の専門家の情報に頼っています。本当に「大手」メディアが報じるまで加筆してはいけないのですか?

Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価を確認してください。
「オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。」--圧倒的認識会話2022年2月9日 (水) 07:12 (UTC)[返信]
圧倒的認識さん宛重要でないから、報じられていない」というのは常識の話です。報じられていないことは事実です。これが常識的理解ではないとしたら、圧倒的認識さんは「重要だけど、報じられていない」と主張するおつもりなんですか。もしそうだとしたら、それは大変危険な考えですとだけ申し上げておきます。--Aoioui. 2022年2月9日 (水) 07:23 (UTC)[返信]
私の主張は「重要だけど、大手では報じられていない」ものもあるというものです。
Aoiouiさんの常識はwikipediaの3大方針、Wikipedia:検証可能性で否定されています。
Wikipedia:検証可能性#新聞社や雑誌の運営するブログWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源の例外、がなぜ存在するのか考えていただきたいです。--圧倒的認識会話2022年2月9日 (水) 09:17 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性は、載せてもよいものの基準(=載せてはいけないものの基準ともいえる)について定義しているのであって、載せるべきものの基準を定めているものではありません。勘違いされておられませんか。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月9日 (水) 09:44 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── Aoiouiさま宛 圧倒的認識様と紅い目の女の子様のご意見に同意させていただきます。下記の質問についても方針やガイドラインに則したお答えをいただくことが出来ず、「信頼性の高い大手メディア」を「一流の報道機関」と言い換えて従前と同じ主張ばかり繰り返されております。まず、『「重要でないから、報じられていない」というのは常識の話です。』や『「報じる価値がない=重要でない」からでしょう。よって現時点では否定的な内容として存命人物の伝記に書くに値しません。』という言葉には、Wikipediaで遵守すべきである方針やガイドラインに裏打ちされた事実ではなく、Aoiouiさまの意見が一人歩きしているように見えますし、これらの主張はWikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源とは誤った認識をされているように見えます。誠に恐れ入りますが、Wikipediaにおいてはご自身の意見よりも方針やガイドラインが優先されることをご承知いただければと思います。また、何度もこのようなことを申し上げて恐縮ですが、①~③について、個人の主観や議論での決定事項ではなく、方針やガイドラインに則した見解をお聞かせいただけますでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月9日 (水) 10:39 (UTC)[返信]

一部修正--従六位上河内介会話2022年2月9日 (水) 12:46 (UTC)[返信]
私と圧倒的認識さんの意見に同意するという、従六位上河内介さんの発言に困惑しています。私が申し上げたいのは、あくまでもWikipedia:検証可能性は載せてもよいか載せてはいけないかの基準を提供しているだけであり、その内容が載せるに値するかどうかについて述べているものではないので、記述することに賛成の方がどれだけWikipedia:検証可能性を持ち出したところで、記述するべきだという結論には決して至りませんよということです。圧倒的認識さんが何度か挙げておられるWikipedia:検証可能性#新聞社や雑誌の運営するブログWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源もそうで、これらはあくまでも、これらを使って書いてもいいですよ、と述べているだけに過ぎず、ぜひとも書いてください、と示唆するものではありません。
Aoiouiさんも、下書きで提示されている出典の記事が検証可能性を満たさないとは仰っておられないと思います(記載に反対されておられるしんぎんぐきゃっとさんやモーチーさんにしてもそうですが)。その点では合意できているはずなのですが、むしろここまで議論が深まってなお未だにWikipedia:検証可能性に固執しておられることの方が、よほど方針の意図することと異なる理解をされておられるということは、この場で指摘させていただきます。
Wikipedia:中立的な観点についても、実は従六位上河内介さんや圧倒的認識さんの側に誤解があるのではないかと思っています。というのも、お二人は中立的な観点についてずっと、個々の出典が示している「意見」とAoiouiさんなどが指摘している「事実」を並べて、意見だって帰属化して記述すればよいだろうということをおっしゃっておられます。これ自体は部分的には正しいです。しかし、Wikipedia:中立的な観点の本質はそこではないのです。Wikipediaに参加する上で最も重要なWikipedia:五本の柱の最初の項目(WP:5P1)は、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかです。ここの序盤にWP:NOTEVERYTHINGがあります。ここには「(前略)百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです。検証可能であり、出典の明記された内容が、適切な重み付けをされて取り扱われます。」と記載されています。つまりWikipedia:中立的な観点の意図するところは、記事主題に対してどのようなことをそもそも記載すべきか、までが含まれているのです。この部分を踏まえればAoiouiさんが「このことが記事主題にとって重要なのか」ということにこだわり続けている根拠は明らかです。記事主題にとって重要かどうか、は中立的な観点を踏まえればまずいちばんに検討しなければならないからです。この部分の議論を避けて、細かい一つ一つの意見を載せる載せないという話に持ち込めば、議論が拡散するのは当然です。
このようなことを申し上げるのは大変恐縮ですが、「Wikipediaにおいてはご自身の意見よりも方針やガイドラインが優先されることをご承知いただければ」と仰っておられることに関して、Wikipedia:規則の悪用もご確認いただけませんか。もちろん方針やガイドラインに沿うことは当然である一方、方針やガイドラインの字面にただ沿えばいいということでもないのです。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月9日 (水) 12:06 (UTC)[返信]
書き漏れていたので念の為。Wikipedia:規則の悪用を持ち出したのは別にあなた方が意図的に悪用しているというつもりではなく、特に従六位上河内介さんは特別:差分/87938360Wikipedia:規則の悪用を持ち出しておられる以上、それなりに方針やガイドラインを高いレベルで理解しておくことが望ましいですし、そうでなければブーメランが返ってきますよということが言いたく、挙げております。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月9日 (水) 12:27 (UTC)[返信]
紅い目の女の子さま宛 紅い目の女の子様におかれましては、ご本人の御見解を反して私自身の意見と同様かのような言及をしまして申し訳ございませんでした。当該箇所は訂正させていただきます。ただ、一つ弁明としては「Aoiouiさんも、下書きで提示されている出典の記事が検証可能性を満たさないとは仰っておられないと思います」とありますが、Aoioui様に下書きリンク内の出典が検証可能性に問題ないのではとお伺いした際( 2022年2月7日 (月) 14:11 (UTC)や2022年2月8日 (火) 15:33 (UTC))に、明確な回答が無く不明確であったために議論のミスリードが無いようお伺いしたものであり、紅い目の女の子様の「むしろここまで議論が深まってなお未だにWikipedia:検証可能性に固執しておられることの方が、よほど方針の意図することと異なる理解をされておられるということは、この場で指摘させていただきます。」という表現は、少なくとも言及された当人にとっては事実誤認に基づく不愉快な表現であるとお伝えさせていただきます。--従六位上河内介会話
紅い目の女の子さま宛 また、私の見識違いであればぜひご教示いただければと思いますが、Aoioui様は『わたしは、AERAや論座に掲載されているのは「意見」であり、「事実」の報道はなく、重要ではないため、加筆するに値しないと言っています。』と述べられていますが、そもそもWikipedia:中立的な観点/FAQ#中立性の欠如は削除の口実になるかにも『記事はどんな形であれ偏りのある情報を含んではならないと表され、それゆえに彼らが偏っていると見なした記述を削除する編集が見られますが、それは中立的な観点の方針に関するありがちな誤解です。中立的な観点の方針は、「編集上の」偏向が含まれることを禁じていますが、「適切に出典が明示された」偏りのある情報の掲載までは禁じていません。』とあります。この中立的な観点から見れば少なくとも下書きリンクの内容は本文中への記載が認められないとまではいえないと思うのですが、本件についていかがでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月9日 (水) 13:40 (UTC)[返信]
既に上で述べたことの繰り返しになるのは避けたいのですが、ご説明が不十分だったようなので改めて記載します。既に述べたように中立的な観点が言わんとしていることのおおもとは、そもそも記事の主題に対して書くべき価値があるか、というところまで立ち返ります。
Aoiouiさんの指摘も、そもそもこのオープンレターに関する話題は現時点では書くに値するような重要なことではないのではないか?ということであって、従六位上河内介さんが今指摘されている、個別の具体的な記述一つ一つが意見であり偏っている可能性があっても許されるのではないかということよりも、ひとつ上の次元の話です。
もっと言えば、この中立的な観点のFAQが言っているのはあくまでも「掲載までは禁じていない」のであり、「載せるべき」とまでは言っていません。あなたの質問に直接的に答えるのであれば、確かに指摘の通り、認められるか認められないかでいえば認められないということはありません。しかしそのことと、そもそも載せる価値があるかどうかというのは、また別の次元の話なのです。実際FAQから従六位上河内介さんが引用された部分は、記述の偏りについて述べているのであり有用性について述べていません。
というかこのFAQを字義通りに受け取ってしまうと、とりあえず帰属化して書いてしまえばこのFAQを盾に除去を阻むことができる、すなわち「書いたもの勝ち」になってしまいかねないわけですが、そのようなことがナンセンスなのは従六位上河内介さんにもご理解いただけると思います。このFAQは当然ながら、それを記述することに価値があることを前提としていなければなりません。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月9日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
紅い目の女の子さま宛 浅学菲才で恐れ入りますが、「中立的な観点が言わんとしていることのおおもとは、そもそも記事の主題に対して書くべき価値があるか、というところまで立ち返ります。」「現時点では書くに値するような重要なことではないのではないか?」とありますが、その記事の主題に対して執筆する価値がある情報なのかそうでないかを判断する論拠というのは、Wikipedia:中立的な観点の記述において何を基準とすべきなのでしょうか。また、紅い目の女の子様はAoioui様のスタンスを代わってご説明いただいているようですが、紅い目の女の子様の御見解はいかがでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月9日 (水) 23:45 (UTC)[返信]
端的に申し上げますが、Wikipedia:中立的な観点には私が述べたような主題に対して載せる価値があるのかどうかも検討すべきということは書いてあっても(「中立的な観点とは、全ての観点を平等に扱うことではありません。」であったりWP:WEIGHTなど)、そのための明快な基準というのは必ずしも書かれていません。これはなぜかと申しますと、Wikipedia:方針とガイドライン#内容にもありますように、方針はその精神を重視して記載されているからです。最も重要な考え方が整理されていれば、個別具体的な事例に対する基準を設けずともきちんと議論できるでしょう、ということですね。また、これは私がWikipedia:中立的な観点を中心に取り上げたがために生じてしまった誤解だと思いますので責めるものではないのですが、Wikipedia:中立的な観点だけを見ないでください。方針やガイドラインは相互補完的に作られているものであり、切り離して考えるわけにはまいりません。今回の議論の冒頭でも挙げられていますが、例えば本記事は存命人物に関する記事ですからWikipedia:存命人物の伝記の内容を欠かすわけにはいきません。{{要出典}}があるように、通常であれば出典がない記述もこうしたテンプレートと一緒にすることで残置する選択肢がある一方、WP:BLPREMOVEのようにそれは許容されないとする方針文書もあります。このことはどちらかが間違っていることを示しているのではなく、ケースバイケースでどちらを優先するかが変わるということなのです。Wikipedia:方針とガイドライン#内容にもありますが、こうした感覚的な判断は「編集者が常識に基づいて判断」するところに依ってくるでしょう。
私の見解を問うご発言については意図を掴みかねます。私は既にAoiouiさんが主張されている、「そもそも載せる価値があるかどうかから議論するべき」という見解と同じくする主張を述べており、見解は明らかにしていると思います。
もしくは、私が今回の記述を載せるべきか載せないべきか、どう考えているのかということを問うておられるのでしょうか。しかし、私がここまで申し上げていることは、今議論している論点がおかしいのではということです。それを主張する際に、私のスタンスがどちらであるかがは無関係でしょう。ここまでの議論を見ていても、私が不用意にスタンスを述べるとその部分に議論がフォーカスしてしまう恐れがあるので、回答を控えます。なぜなら私のスタンスについて議論が始まってしまうと、これもまた論点をずらしてしまうことになるためです。もし、ここまでの私の説明の中で、どうしても私のスタンスとセットで考えないと理解できない点があるなら教えてください。それは私の説明の仕方が悪いので、説明の方を修正します。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月10日 (木) 02:15 (UTC)[返信]
紅い目の女の子さま宛 ご回答いただきまして恐れ入ります。まず、『紅い目の女の子様の御見解はいかがでしょうか。』とお聞きした理由について説明させていただきます。Aoioui様は以前「論点がぼやけがちなので今一度はっきりさせておきたいのですが、わたしの意見は「書くことに反対ではない、しかし大手メディアが報じるのを待つべき」です。これ以外に何もありません。」(2022年2月7日 (月) 05:15 (UTC)の投稿)と述べられ出典に問題あるのではないかという論点でお話されており、これに対して私と圧倒的認識様は、そもそも「(信頼すべき)大手メディア」とは何を指して「(信頼すべき)大手メディア」というのか、すでに下書きリンクに示している出典はWikipedia:検証可能性における載せてもよいものの基準は満たしているのではないですか?という観点で議論していたと認識しています。これに対して紅い目の女の子様は『私と「そもそも載せる価値があるかどうかから議論するべき」という見解と同じくする主張を述べており、見解は明らかにしていると思います。』としてAoioui様の意見と同一という旨のご回答をされていますが、失礼があれば大変恐縮ではございますが、Aoioui様と意見が同一であるところもあるものの、Aoioui様がご主張されたこと以上のことを”Aoioui様のスタンス”として申されている面があるようにも見えました。ですから、私は”Aoioui様のスタンス”と紅い目の女の子様個人のご意見と分けて御見解をお伺いしたくお聞きした次第です。--従六位上河内介会話2022年2月10日 (木) 12:15 (UTC)[返信]
紅い目の女の子さん。まず、1日冷静に考える時間を取っていたので返信が遅れたことお詫びします。
「載せてもよいものの基準」と「載せるべき基準」が異なることに関しては完全に同意いたします。オープンレターに関する動向は「載せてよい基準を満たしている」という点でコンセンサスが採れたのは非常な大きな前進だと思います。問題は載せてよいが、記事の内容として重要なのかどうか、本人の活動に一定の関係性があるのか、といった点でしょう。しかし、私はそのうえでオープンレターに関する動向は載せる価値があると考えています。「北村氏はフェミニスト批評を専門分野としていること」と「自ら行っているムーブメントであること」が理由です。ここからは方針・ガイドラインの解釈論になってしまうかもしれませんが、私の主張は以上です。--圧倒的認識会話2022年2月10日 (木) 14:39 (UTC)[返信]

{Aoioui.さんが2月8日 (火) 15:53 (UTC)に投稿したコメント}(返信補助)--モーチー会話2022年2月9日 (水) 11:24 (UTC)[返信] ──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── Aoiouiさま宛 「AERAと朝日新聞本体、どちらが信頼性が高いか、など問うべくもないでしょう。」という点では朝日新聞の方が情報源としての信頼性が高いのは当方も同意いたします。しかし、問うているのはそういうことではなく、Wikipediaの記事執筆は信頼すべき情報源と検証可能性を満たせばOKというのが前提にあるにもかかわらず、ここの議論では(何を指して大手メディアと呼ぶかわからないまま)「(信頼性の高い)大手メディア」を出典として出すべきというような方針やガイドラインから一人歩きしたような議論が為されているので質問している次第です。また、Aoioui様のご意見も恐れ入りますが方針やガイドラインのどの部分に裏打ちされたものが不明確です。取り急ぎ①~③について、個人の主観や議論での決定事項ではなく、方針やガイドラインに則した見解をお聞かせいただけますでしょうか。--従六位上河内介会話2022年2月8日 (火) 23:09 (UTC)[返信]

  • 従六位上河内介さん宛朝日新聞の方が情報源としての信頼性が高いのは当方も同意いたします。」であれば、これで話は尽きているように見えますが。信頼性の高い大手メディアが何を指すか分からないということにこだわっておられるようですが、別に一流の報道機関に置き換えてもいいんですよ(この「一流」にも細かな定義はありませんが、コミュニティーはこのガイドラインに納得しています)。というか、「特別な主張には特別な証拠が求められる」においての「一流の報道機関で取り上げられていない最近の出来事に関する、驚くべきまたは重要な報告」というのは、今回のことに類似しているのではないですか。特別な証拠がありますか? 意見だけでしょう。AERAが朝日新聞出版から出ているというなら、母体の朝日新聞はAERAよりも信頼性が高く、間違いなく「一流の報道機関」と言えます。なぜ母体の朝日新聞が報じていないのですか? 何か特別な理由があるのでしょうか? 違いますよね。「報じる価値がない=重要でない」からでしょう。よって現時点では否定的な内容として存命人物の伝記に書くに値しません。--Aoioui. 2022年2月9日 (水) 05:06 (UTC)[返信]
    違和感の正体がわかりました。Aoiouiさんは「もっと良い情報源があるからそれを待とう」とおっしゃりたいのでしょう。
    私が出典として出したAERAの記事がWikipedia:信頼できる情報源であることには異論はないと思います。そのうえで「朝日新聞はもっと信頼できる」としているようですが、これは非常に無意味な問いです。
    朝日新聞より日経新聞の方が一般的に高級紙と言われているからといって、朝日新聞の出典が無効になるわけではないですよね?AERAや関連分野の専門家が書いた評論も同じです。
    これはもう方針・ガイドライン以前の問題ですが...--圧倒的認識会話2022年2月9日 (水) 07:21 (UTC)[返信]
    • 圧倒的認識さん宛 いいえ。わたしは、AERAや論座に掲載されているのは「意見」であり、「事実」の報道はなく、重要ではないため、加筆するに値しないと言っています。--Aoioui. 2022年2月9日 (水) 07:29 (UTC)[返信]

  • モーチーさま宛 遅くなりましたが、モーチーさまへの返答もしるさせていただきます。『ここでWP:WELLKNOWNを出すのであれば「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」の方も考慮すべきでしょう。』とありますが、今回の記述は本記事人物が呼びかけ人として主導した社会運動に対する記事ですよね。本記事人物の専門はフェミニスト批評であり、今回の社会運動もフェミニズムを本旨とした運動だったはずです。また、その運動に対して批評家の記事が公開されているのですから「ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」という条件はみたしているものと考えられます。また、WP:WELLKNOWNには評論家の意見として「評論家の見解は、それが項目本人の著名性に釣り合う重要なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば、記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです。」として、評論家の意見を掲載することも認められています。続いて『それからこれは判断が微妙な部分ですが、当人物が著名人あるいは非著名人どちらに該当するかという点もいまだはっきりとしていないとの認識です。』ともありますが、本記事人物は学者として女性史学賞を受賞するなど顕著な功績をのこしており、本記事人物をメインとした特集記事がいくつか組まれていることから著名人として見なして問題ないかと思います[1][2]。--従六位上河内介会話2022年2月8日 (火) 12:23 (UTC)[返信]
    • コメント もし本人の特筆性について話し合いが必要なら、これ以上の議論の混乱を避けたいので、節を分けてください。--Aoioui. 2022年2月8日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
      • 従六位上河内介宛 能書きを垂れるのもいい加減にしてください。大手メディアから事実が報道されたら載る、出ないので載らない。それだけです。納得していないのはあなたです。あなたが根拠として挙げたWP:WELLKNOWNは、評論家の意見を掲載できる、ということを示すものです。何度でも繰り返しますが、納得していないのはあなたの方です。--Halowand会話2022年2月8日 (火) 15:11 (UTC)[返信]
  • 反対 掲載賛成派がこの体たらくとは見下げました。同じ穴の狢と思われたくないので、意見を翻し、掲載に反対ます。大手メディアから事実が報道されたらさらに意見を翻します。--Halowand会話2022年2月8日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

Assemblykinematicsさんの意見1

返信 (圧倒的認識様宛) 新型コロナの感染拡大の影響で日程が変わった(変えていただいた)ため、返信いたします(予定を後回しにしている状態ですが……)。まず「Wikipedia:独自研究を載せない」に抵触している記述があります。
歴史学者である呉座勇一が会員制交流サイト上で北村に否定的な形で言及した結果、国際日本文化研究センターから懲戒処分が下された件 — 利用者:圧倒的認識/sandboxにおける2022年2月7日13:18:06(UTC)時点の版
という記述がありますが、出典である
を有料部分も含めて読み込みましたが、
『応仁の乱』などのベストセラーで知られる呉座勇一氏(日本中世史)が、SNSでの「炎上」がきっかけで、NHK大河ドラマの時代考証を外れることになった。発端は、フェミニストとしての批評活動でも知られる北村紗衣氏(英文学)との論争である。 — 與那覇 2021
としか書かれていません(これは無料で読める部分です)。そもそも停職処分が下されたのは2021年の秋であり、出典は2021年3月2829日の記事です。時系列的には
日文研はHPで井上章一所長名のお知らせを掲載。・・・と謝罪。呉座さんには所長、副所長が厳重な注意を行い、誠実に謝罪するよう厳しく指導したという。 — 花澤茂人 (2021年3月24日). “SNSで女性研究者を中傷 呉座勇一助教を日文研が注意”. 毎日新聞. 2022年2月9日(UTC)閲覧。
三月二十三日、NHKは呉座氏が来年の・・・を降板すると発表した・・・さらに翌日には、抗議が来ていた国際日本文化研究センター本体も動くことになった。・・・所長らが厳重注意し、北村氏に謝罪するよう指導した。 — 山内雁琳「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」『正論』第597号、2021年6月、159-166頁。NAID 40022550043
といったように3月24日に所長からの厳重注意がなされているため、これを懲戒処分とお書きになっているのかもしれませんが、どちらにせよ出典にはないことを記載されています。解説はまだ続きますが、まずどのようなご了見でこのような記述をなさったのか確認したい次第です。--Assemblykinematics会話) 2022年2月9日 (水) 15:48 (UTC) 出典の誤字を訂正。--Assemblykinematics会話2022年2月9日 (水) 21:35 (UTC)[返信]
Assemblykinematicsさん。懲戒処分、としたのは呉座氏のwikipedia記事の記載を踏襲しました。こだわりはありませんので、より正確な修正案があれば変更いたします。--圧倒的認識会話2022年2月10日 (木) 14:17 (UTC)[返信]
追記:呉座氏の記事にあった「懲戒処分」の出典はこちらの京都新聞の記事でした。https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/662517
確か、この出典は私の加筆修正案過去版で使っていたのですが「京都新聞の記事では北村の名前は出ていない」という指摘を受けて撤去した記憶です。
どのような修正が考えられますでしょうか。--圧倒的認識会話2022年2月10日 (木) 14:47 (UTC)[返信]

他の記事との関連について

紙媒体や電子ジャーナルの出典を加えて記事「呉座勇一」の改稿を準備中で、その過程でオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」についても言及する予定です。また、昨今は日本以外でもウェブ上で著名人がオープンレターを出したことについて報道が出ていますので、記事「オープンレター」にそのことも加筆するつもりです。その際に、呉座氏と北村氏の名前を挙げずに「女性差別的な文化を脱するために」についても記す予定で、Googleフォームで行われて多くの賛同者を集めたこと、その後紛糾したことを簡潔に記載することになると思います。

方針Wikipedia:存命人物の伝記」では、存命人物の否定的な記述について「正確」であること、「有名」であること、本人にとって「重要」であることを求めています。今後このオープンレターについて新聞が報道するかどうかは分かりませんが、月刊オピニオン誌や学会誌で複数の言及がなされるのは時間の問題だと考えられます。それら査読・校閲を満足するWikipediaが考える信頼性を備えた情報源の言及がなされれば、「有名」である条件を満足することになりますが、記事主題の本人にとって「重要」であることにはなりそうにありません。また、背景や全体的な関係性を「正確」に本記事で説明することは難しいと考えられます。

そのため、例えば「来歴・人物」節に

と書き加えるぐらいが落とし所ではないでしょうか。もしくは「女性差別的な文化を脱するために」を単独記事として立項できるのであれば、

とし、両人物記事から騒動を切り離せると思います。なお、これらはいずれも将来的な話です。--Assemblykinematics会話2022年2月8日 (火) 22:31 (UTC)[返信]

私も、記事「呉座勇一」との関係はいずれ考えなくてはならないと思っていました。(オープンレターは事実上呉座氏を名指ししているが、名目上は呉座氏を名指ししていない、という問題もあります)
現時点では「女性差別的な文化を脱するために」がWikipedia:独立記事作成の目安を満たしているか微妙だと思いますが、Assemblykinematicsさんの意見の通り、将来に向けて考えることは非常に重要だと思います。--圧倒的認識会話2022年2月9日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
返信 (圧倒的認識様宛宛) ガイドラインWikipedia:独立記事作成の目安」では、単独記事の立項には第三者からの有意な言及があることを求めています。現時点では
  • 山内雁琳「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」『正論』第597号、2021年6月、159-166頁。NAID 40022550043
という文献があり、これは『文藝春秋』や『中央公論』レベルの校閲機能を備えた信頼できる情報源と考えられますが、現在では論争の当事者(第二者)でいらっしゃるため、第三者言及とは言えなさそうです(2021年6月当時は北村氏との接点はなかったかもしれませんが、記事の内容や主張からすると第三者とはみなしにくそうです)。また、
については週刊誌である『AERA』に掲載された記事であるため、信頼できる情報源とはみなしにくいのが現状です。そのため、現状では明らかに独立記事にできる状態ではありません。ただ、山内 2021, p. 164には、オープンレターについてどういった人が提言者(呼びかけ人)で、どのような人たちが賛同者として募ったのか、どれだけの人数を賛同者として集めたのか、および中核となる主張が引用されてあります。記事「オープンレター」に節、もしくは小節として「女性差別的な文化を脱するために」のセクションを設けることはできそうで、そうすればリダイレクトとして立項することになり、人物記事での記述の肥大化は防ぐことができそうです。--Assemblykinematics会話2022年2月9日 (水) 21:35 (UTC)[返信]
コメント不勉強で申し訳ありませんが、1件質問致します。Wikipediaが中立的に、可能な限り事実に基づいた情報を提供するとして、Wikipediaの情報自体が元々の事象に影響を及ぼしうる場合、そのリスクについてどう対応するか指針はございますでしょうか。その辺についてもそろそろ検討が必要なタームに入ったものと考えています。--Mjolnir会話2022年2月9日 (水) 08:51 (UTC)[返信]
返信 (Mjolnir様宛宛) 期待する指針かどうか分かりませんが、悪影響を与えないために編集者が従うべき方針として、「Wikipedia:存命人物の伝記」があります。たとえば
ウィキペディアの記事は、検索エンジンによる検索結果の上位に現れる機会が増えました。これは同時に、記事の当事者の雇い主や同僚、友人、隣人、知人といった当事者の生活に影響を与えるような人たちが、当事者についての記述をウィキメディアのサイト上で探し当てる可能性も増えたということでもあります。存命中の人々に関する記事については、中立的な観点に立ち、情報源をきちんと挙げて確かな解説を行うといったことについて編集コミュニティの責任も大きくなっています。
明らかな宣伝や単純な荒らしへの対応は比較的容易ですが、一部にしか知られていないような人物では誤りや情報源の不確かな記述が見逃され、改善に時間を要します。悪意のある編集者が中傷するための編集を継続して行っている場合には対応が難しくなります。 — Wikipedia:存命人物の伝記#方針の位置づけ
短期間ないし興味が限られた題材を扱う記事における情報の追加や削除の際に、人間の尊厳と個人のプライバシーの尊重を考慮する。 — Wikipedia:存命人物の伝記#方針の位置づけ
存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。 — WP:BLPSTYLE
編集者は、伝記や伝記的情報について、悪意ある項目作成や加筆に目を光らせるべきです。誰かが底意ある議題 (agenda) や偏っている観点を押しているように見えるなら、また誰かが底意がある偏った記述を加えようとしているように見えるなら、信頼できる第三者によって公表された情報源を要求し、項目本人の著名性に関連が深いものであることを証明するよう求めてください。 — WP:BLPGOSSIP
といったものがあります。本来百科事典の記事というのは、ものごとがある程度収まってから十分な時間をかけて情報収集、推敲、査読・校閲を重ねて記されるものだと思います。なお、元々の事象に影響を与えるものとしては、書くことによる影響と書かないことによる影響が考えられます。前者で中途半端な記述で誤解を招きかねない場合は、WP:BLPSTYLEに基づいてひとまず記述することを差し控えることになると思います。後者の場合は難しいところで(記憶に新しいものとして、こちらこちらが挙げられます)、
もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。 — WP:WELLKNOWN
ウィキペディアに含めるにはふさわしいが、私人としてのプライバシーは尊重すべき人物の項目があります。
こういう場合、編集者は抑制して、それらの人々の知名度に釣り合う情報だけを記事に含めるようにすべきです。どちらとも決めにくい場合の経験則は、「害にならないことだけをせよ」です。 — WP:NPF
などとの兼ね合いといったところでしょうか。--Assemblykinematics会話2022年2月9日 (水) 15:48 (UTC)[返信]
コメント Mjolnir様宛の返信へ補足 Wikipediaでは通常、方針「Wikipedia:検証可能性」やガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源を満足する、記述内容に応じた査読・校閲がなされた出典をもとに記述を記載します(著者が査読・校閲を上回る専門性を有する場合は別だったりもします)。ですが、方針「存命人物の伝記」では
場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化する方がよいかもしれません。 — WP:BLPSTYLE
自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません — WP:BLPSOURCES
あるいは、プレスリリースや個人のウェブサイト、ブログ、自伝などで情報を提供するかもしれません。<中略>下記のような場合、当事者提供の情報を記事に加筆しても構いません。<中略>本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクの選び方の観点から、外部リンク参考文献にリストしても構いません。 — WP:BLPSELFPUB
と書かれており、存命人物の記事本人の情報発信を出典に用いることができます。「記載しない」ということが難しいのであれば、上記方針に基づいて記事主題の人物のブログなどを用いて、現実との差を埋めることが可能です。--Assemblykinematics会話2022年2月9日 (水) 21:35 (UTC)[返信]

コメント 議論の流れについて なにか議論が混雑しているので改めて書きますが、わたしが現時点での加筆反対に用いているのは「信頼できる大手メディアに報じられていないこと」「あるのは意見だけであること」で、これは見て分かるからシンプルなんですよ。だから、新たな情報源があれば態度が変わるかもしれません。現時点で情報源として一番強いのは、信頼できる大手メディアの事実報道なのだろうと考えています。

しかし、加筆賛成側がやっているのは新たな情報源を出す行動ではない。今ある情報(アゴラや論座やAERAなど)が「信頼できる大手メディアの」「(意見ではなく)事実報道である」ように見せようとしている。だからどんどん議論が複雑化していく。でも、こういう流れは不毛なんですよ。どれだけ言葉を尽くしても、アゴラや論座やAERAに掲載されている個人の意見が、信頼できる大手メディア(一流の報道機関)の事実報道に取って代わるわけがない。だからこそわたしは「朝日新聞系列で意見があるのに、なぜ母体の朝日新聞では報じてないのか」と具体名を出して質問したのです。これには「もっと良い情報源のことか」だとか、うまく答えている形跡がない。それでまた、複雑化した議論に戻ろうとする。こういう流れは、事実の報道がないという現実を無視しようと論陣を張っているようにしか見えません。やってほしいことはこういうことじゃないんですよ。このオープンレターの事柄が記事主題本人にとって「有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するもの」であることが一目で分かるような情報源を出してほしいんです。できませんか? もしできないなら、そういう情報源が出てくるまで待ちませんか? これで「待つことができない」のであれば、わたしが意見を変えることもないでしょう。--Aoioui. 2022年2月10日 (木) 17:06 (UTC)[返信]

セクションタイトルについて

2022年1月27日08:14:00(UTC)時点の編集で「逸話」節のタイトルが「活動」に変更された件について。もともとセクションタイトルとして「人物」「エピソード」などを考えていましたが、しっくり来なかったので「逸話」節にしていました。「活動」にされた際にサブセクションに「人物、研究」とあるので「活動」というタイトルだと違和感を感じたのですが、セクション全体の記述内容からすると「活動」の方が良いような気がします。現状の節タイトルで反対いたしません。--Assemblykinematics会話2022年1月27日 (木) 19:57 (UTC)[返信]

コメント 確かに『逸話』を使うのも言葉の意味としては悪くはないのですが、前述の版間の差分を拝見させて頂いたところ、一般的に使われる単語では無さそうですし、どちらかと言えばもちろん現タイトルの方が『逸話』の方よりもっと強調的な言葉でわかりやすいでしょう。北村氏はWikipediaだけでなく文学の面でもご活躍されていますし、記事のバランスを整えるには良いかと思料します。--キュアサマー会話2022年2月8日 (火) 05:57 (UTC)[返信]