「Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは辞書ではありません」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
m →‎方針・ガイドラインとして提案中の復活: 「投票は議論の代用とはならない」に表示されていたショートカットがご誘導なのでWP:VOTEWP:POLLINGに訂正
m →‎方針・ガイドラインとして提案中の復活: user:タバコはマーダーさん投稿の誤リンク "ldid"→"oldid"に修正。(1 文字修正)‎
(他の1人の利用者による、間の2版が非表示)
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:{{コメント}} 「解説」に(積極的に)反対されているのは1名(提案者氏)のみで、また「方針・ガイドライン化への提案」は中止すべきとする意見も無いので、ワタシIPの提案した「(暫定的に)解説へ。方針・ガイドライン化は引き続き提案継続」が最大公約数的な意見と思われます。--[[特別:投稿記録/123.220.9.32|123.220.9.32]] 2015年4月28日 (火) 02:52 (UTC)
:{{コメント}} 「解説」に(積極的に)反対されているのは1名(提案者氏)のみで、また「方針・ガイドライン化への提案」は中止すべきとする意見も無いので、ワタシIPの提案した「(暫定的に)解説へ。方針・ガイドライン化は引き続き提案継続」が最大公約数的な意見と思われます。--[[特別:投稿記録/123.220.9.32|123.220.9.32]] 2015年4月28日 (火) 02:52 (UTC)

;{{賛成}}[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]
:私が当記事の翻訳を試みた2014年7月24日直前の、[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=50826514 当記事の2014年2月26日05:39版‎]までは、おおよそ内容が私論でありましたから、私論だと解釈しておりました。<nowiki>{{proposed}}</nowiki>が剥がされて私論に格下げされていたという経緯は、調査不足で知りませんでした。この背景を見ますと、2014年半ばまでは私論の範疇を超えないものであったため、私論だと認識されていたのではないでしょうか。

:しかしながら、英語版で方針となっている根拠を考えますと分かりやすいです。[[Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順]]には、方針やガイドラインの多くは、基本原理Founding principlesに密接に関連するか、もしくは、編集上の混乱を解決するために発展したものとあります。原理の根拠の1つであるジンボによる原理の声明([[en:User:Jimbo Wales/Statement of principles]])の6番目において「ウィキペディアは[[百科事典]]である(Wikipedia is an encyclopedia.)」がありますから。まず、内容が百科事典ではなく辞書になってしまっているという編集上の混乱を解決するというだけでなく、創設者のジンボにより原理として声明されていますから、[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか]]の一部分ではなく、独立した項目として英語版で方針となっているのも相応であると思われました。英語版では、[[Wikipedia:What Wikipedia is not#Wikipedia is not a dictionary]]のMainとして存在しています。日本語版では、これまでが内容として私論であっためにSee alsoだったと考えるのが妥当でしょう。そのあたりを鑑み、重要な文書であるとして、英語版の水準に近づけるために翻訳を試みました。

:Wikipediaは百科事典であるというプロジェクトの原理と目的と、辞書のようになってしまった場合にそれを解決するための文書の2つの目的を果たしますから、[[Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順]]に合致しているかと思われます。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2015年4月28日 (火) 06:04 (UTC)

2015年4月28日 (火) 07:06時点における版

2003-12-30T06:27:49; 0null0さんの投稿時の版

genealogical or biographical dictionaries

というのは日本では何と呼ばれているんでしょうか? 人物事典という言葉がありますが、大抵はその人物の業績のことが書いてあるような気がします。(僕の誤解かも知れませんが。)

あと、最後の段落でexternal sourcesは、その人の活躍した業界、分野の外のメディア、というぐらいの意味だと思うのですが、少し自信がないです。

Tomos 23:19 2003年6月5日 (UTC)

genealogical or biographical dictionaries

家系事典、人名事典でしょうか。前者は、その一族の家紋、由来、縁戚などを調査するためのもので、国内ではあまり見かけないですね。

利用者:Mishika

とりあえずそのように変更してみました。どうもありがとうございます。Tomos 06:36 2003年6月6日 (UTC)

百科事典としての価値が無い思われる(辞典的な)記事を発見したのですが、何処へ報告すれば良いでしょうか?

a perfect fool 17:23 2003年12月22日 (UTC)

サッカーのポジションの解説をする記事にするとかでどうでしょうか?Tomos 14:10 2003年12月27日 (UTC)

これも現在は辞書的な記述に思えます。こういう記事を見つけたら、報告する場所があっても良い気がしますが、どう思われますか?Tsk 22:09 2003年12月29日 (PST)

加筆すべきだ、というのであればWikipedia:書きかけの記事の探し方、直し方を使えば良いのではないでしょうか?tanuki_Z 22:25 2003年12月29日 (PST)
Tskさんへ、書かれたものの一部は「曖昧さ回避」に近いものが含まれています。ですから、現状ではそれらは残した方がよいと思います。0null0 22:27 2003年12月29日 (PST)

tanuki_Zさん、0null0さん、ありがとうございます。単に削除するわけではなく、Tomosさんのように発展させる方向を提案したり、曖昧さ回避にしたり、最悪削除をする(日本語版ではないかもしれませんが)という検討をする場所があると良いと思ったのですが……。
とりあえず、ここに報告して様子をみることにします。加筆するべきならWikipedia:書きかけの記事の探し方、直し方へ移動しましょうか。Tsk 10:08 2003年12月31日 (UTC)

確かに個人的にどうしようかと思って抱えているより、多くの人の意見を募る方がいいでしょうし、そういう場はあってもいい気がしますね。tanuki_Z 10:18 2003年12月31日 (UTC)

字引的な記事

category:字引記事が作成されましたので、今後、字引的な記事を見つけられた場合は、主にそちらで対処して下さい。また、記事の内容に応じて加筆依頼統合依頼整理依頼修正依頼プロジェクト間の移動などへも振り分けて下さい。


上記のリストは長期間放置されている模様ですが、字引的状態を脱しているものもあり、各種の依頼系ページ等への移行などメンテ等されるべきと思われます。--Willpo 2005年7月8日 (金) 16:52 (UTC)[返信]

そうですね。このリスト自体はそもそも字引テンプレートができる前に創られたのじゃないでしょうか。そして、書き加えられたものはおっしゃるとおりですし、いまだに字引なものはTranswikiして辞典として磨きをかければいいのじゃないかと思います。--Aphaia 2005年8月12日 (金) 22:31 (UTC)[返信]
統合依頼category:字引記事への移項等、整理しました。--Kstigarbha 2005年8月12日 (金) 22:59 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が字引的である場合は

曖昧さ回避が字引的である場合の説明が不足していると思うのですがどうですか?その場合下手に字引的でなくすのも誤解を招くとおもうのですが。--Onyx 2008年11月21日 (金) 17:17 (UTC)[返信]

いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですか

長く放置されている草案を見つけたように思います。タイトルでいいたいことはほぼ終わっています。この表現では提案にならないので、提案としては「公式な方針」にすることを提案します。Suzukitaro 2009年11月18日 (水) 15:41 (UTC)[返信]

ほとんど関心をもたれていないここの現状を見ると「公式な方針」にするよりも,template:私論を添付してCategory:ウィキペディアの私論に分類するほうがよいと思います。提案を変更します。Suzukitaro 2009年11月28日 (土) 13:08 (UTC)[返信]
提案を実行しました。中途半端な状態で忘れられてしまっているのだと思います。「公式な方針」にすることに反対しているわけではないので,そのほうがよいと思われる方はどうぞご提案ください。Suzukitaro 2010年1月3日 (日) 01:53 (UTC)[返信]
提案に気がつくのが遅れました。この文書は事実上ルールとして運用されている上、公式な方針であるWP:NOTの補完的文書であって同様に公式な方針として運用してよいでしょうし、英語版でも公式な方針とされていますので、「公式な方針」でいいのではないでしょうか。--Kurz 2010年2月6日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
私は私論のままでもよいと思います。ですがガイドラインとするならば、「考慮すべきガイドライン」で良いのではないかと。
また、ガイドラインもしくは公式な方針にするにしろ、このページでだけ議論するというのは、不適切なので議論告知+お知らせにも載せるべきかと。--春日椿 2010年2月6日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
ご意見はわかりましたが、理由が書かれておらず判断の材料にしにくいので、理由も書いていただけると助かります。あと、議論告知が必要なのは確かですが、それは私論への移行の際も同様だったでしょう。とりあえず草案に戻したほうがよさそうですね。--Kurz 2010年2月8日 (月) 10:33 (UTC)[返信]
いいえ、それは必要ないと思います。私が別の場所への告知が必要だと申し上げたのは、利用者への影響があるからです。通常、草案と私論の間の位置づけに大きな差はありません(草案の場合は、ガイドライン化の前に試験運用が行われるれる場合もありますが)。どちらもルールとしての拘束力はありません。一方、ガイドライン化は、「守ることを利用者が合意した指針」と扱うことになり、拘束力が発生しますます。草案段階では興味のない人も、ガイドライン化するなら意見があるといわれるかもしれません。
私には、この文章は作成途中もしくは方針化する気のない案件のように見えます。それは作られてから長い間、ほとんど放置されているに等しい状態であったからです。「ウィキペディアは辞書ではありません」の一部を補う文章としての位置づけがあるとは言え、この文章自体に意味がなければ公式な方針とするのには相応しくありません。私は、今の内容だけなら、WP:NOTに記述を移動して内容を少し厚くするだけの方が良いと思います。--春日椿 2010年2月8日 (月) 15:27 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が字引的である場合は(2)

曖昧さ回避が字引的である場合は、例外とすべきであると考えますが如何ですか?問題が内容であれば、本文を書き換えたいのですが?--Onyx 2010年2月25日 (木) 23:13 (UTC)[返信]

Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを辞書にしないで言うような誤解がつきものなので、提案のような内容を書くとかえって誤解されやすくなってまずいんじゃないでしょうか。--Kurz 2010年2月26日 (金) 03:32 (UTC)[返信]
恣意的なリダイレクトを相対化して、特定の語の健全性を確保しようとする試みは、ウィキペディアの充実にとって重要だと思われますが、参考文献を尊重した曖昧さ回避が字引的として問題視される場合があり、困っています。--Onyx 2010年3月17日 (水) 22:47 (UTC)[返信]

Template:字引

本文書は私論にとどめる旨の合意がなされているため、Template:字引のリンク先を本文書からWP:NOTDICDEFに修正しました。今後は「ウィキペディアは辞書ではありません」を参照していただきましょう。--伏儀会話2012年11月6日 (火) 12:08 (UTC)[返信]

先方への配慮

どうも内容がWikipedia日本語版の都合ばかりが強調されていると思ったので、Wiktionary日本語版からの視点も取り入れてみました。--Charidri会話2013年5月22日 (水) 10:09 (UTC)[返信]

改名提案2014年7月

現在の、Wikipedia:ウィキペディアは字引ではないから、

英語版では、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんの主たる本記事名なので、英語の表題はWikipedia is not a dictionaryでかぶっています。

Wikipedia:記事名の付け方#正式名称としても字引よりは辞書かと思われますので。異論がなければ1週間後に改名します。--タバコはマーダー会話2014年7月24日 (木) 12:42 (UTC)[返信]

改名しました。--タバコはマーダー会話2014年7月31日 (木) 22:14 (UTC)[返信]

方針・ガイドラインとして提案中の復活

方針かガイドラインか取り決めるため{{proposed}} を貼りなおします。ご意見をどうぞ。
意見がまとまらないようなら、長引かせず、とりあえず「ガイドライン」に引き上げましょう。

(概要)[[WP:5P|五本の柱}}のうちの基本方針「ウィキペディアは百科事典です(ウィキペディアは何ではないか)」の「内容」に「ウィキペディアは辞書ではありません」に直結する。そちらの文書ではという項がもうけられており「方針」であるのが明らかなのに、子記事である「Wikipedia:ウィキペディアは辞書ではありません」が2ランクも下げられて「私論」に落とされているのは不自然。

(背景) もともと「方針・ガイドラインとして提案中」を示す {{proposed}} タグが張られていたが、あるユーザが、合意形成できたとして「私論」タグに置き換えた(版番27509075と版番29810311の差分)。--Kiyoweap会話) 2015年4月21日 (火) 20:18 (UTC) ユーザ名差し控えのための改稿 Kiyoweap会話) 2015年4月24日 (金) 00:53 (UTC)「直結」の語弊を削除--Kiyoweap会話) 2015年4月24日 (金) 05:02 (UTC)差分の誤リンク訂正--Kiyoweap会話2015年4月28日 (火) 03:19 (UTC)[返信]

賛成 (方針) 善意で辞書的な記事(2義以上を1ページ)を作成してしまうことは、新規ユーザでなくとも犯すことがあり、私もあります。
単発ミスで犯したユーザを断罪するわけではありません。
ですが、忠告を再三受けても辞書的スタブ記事の作成する人に対しては、効力・警告力をもたせたいと思います。
また、辞書的⇒百科事典記事への移行(「記事分割の提案」などの手法で有効性の議論をつくした後)にも、「私論」では応じないと言い張るユーザもいるでしょう。--Kiyoweap会話2015年4月21日 (火) 20:40 (UTC)ユーザ名秘匿のための改稿 --Kiyoweap 2015年4月23日 (木) 23:20 (UTC)[返信]
反対 Wikipediaが辞書ではないことはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかにおいて既に方針化されています。本件はWikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?と同じようなケースではないでしょうか? 本文書はWikipedia:方針とガイドライン#位置づけの説明で言うところの、「利用の手引きやヘルプ」のようなものであり、本来は方針/ガイドライン/私論という格付けの範囲に無い文書だったように思われます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの詳細な補助説明が目的の文書として(同方針では{{Main}}ではなく{{See also}}で本文書が参照されている点にも注意)、同方針に誘導することが本題だと思います。要するに本文書は、方針に肉付けされた諸々の部分に「私論」のレッテルが貼られていることが混乱の元なのであって、いっそガイドラインや方針に格上げする必要が無いものと考えます。この手の補助文書すべてに対して方針・ガイドライン化を考えていてはきりがないですし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかから独立させるだけの特段の理由が無ければ、上位の方針に集約させれば良いだけではないでしょうか? とにかく私論のレッテルだけは速やかに解消すべきです。--Gwano会話2015年4月22日 (水) 00:37 (UTC)[返信]
返答 幾つか傍題を会話にて反論させていただきました。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 10:07 (UTC)[返信]
コメント 返答の前にちょっと本題から逸れますけど、もしかして削除依頼のような投票主体のページと混同されていませんか? それらは込み入った議論に発展すると票が分かりにくくなりますので、投票済みの者による記述量の多いコメントがノートに隔離される場合があります。しかし本件のような個別のページでのノートでの提案では議論こそ重要で、込み入った議論になっても別ページに分散させないのが普通です。議論が追いにくくなって一括した議論ができませんし、私としてもどちらに返答して良いものか分かりません。今回のご返答は内容的に進行中の本議論に対する普通の返答と思われ、わざわざ案内を入れたうえで個人のページで展開を続けるような内容では無いように見えます。私としてはこちらに転記したうえで返答したいと思っておりますが、念のため、利用者会話ページに隔離すべき特段の理由があるのであればご説明いただけますでしょうか? --Gwano会話2015年4月24日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
コメント私は削除依頼はあまり関わりませんので、そちらが投票主体だという話にはうといのですが、投票は議論の代用とはならないのつもりでいます。まあ、説明いたしますと、本来は賛成(方針)・賛成(ガイドライン)・反対の3パターンでの議論というかたちを予期していました。ところが私の想定外で2パターン加わったので、まずA, B, C, D, E 案解決策をだそうと思い、逐一の議論はそこにあまり交錯させたくなくなったので、一時保留にしました。結局、考えが変節し、A, B, C, D, E 案ではなく、下方のコメント投稿のようになりました。
まあ、あまりきれいごとばかりはいえませんで、一部はGwanoさんに言われっぱなしにできないで反論したくもあり、そちらのトークに流している面もあり、いささか弁明しますと、参加者としての私は、さっさと「方針」から落として「ガイドライン」でも妥協して楽になりたいところですが、提案者としましては、いまだみえない新たな参加者が現れた時にすでに「方針」のチョイスを捨ててしまっているのもなんですから建前において討論はしている面がある。ですが現在の流れであくまで「方針」にこだわるのが焦点と思わないので「傍題」と称して流しています。といったところですかね。
しかし、解決策につながりそうな、特定のポイントがあれば、こちらのスレに差し戻して頂いてもちろん構いませんが。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
会話ページでご自身のお考えをあれだけ述べておいて、それが解決策に繋がらないとお考えなのであれば、とりあえずこちらで返答することにします。とは言え、何が解決に繋がるかは分かりませんので、今後引用の数が増えそうならば転記したいと思います。--Gwano会話2015年4月25日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
会話ページのほうはあとでゆっくりお返事しようと思っていたのですが、よく見ますと元の議論が直接参照できない場所で意見が述べられていることにより、ぱっと見の第三者視点において誤解を招く懸念が生じています。やはりどう考えても個人の会話として行う内容としては無理がありますし、仕方ないので以下に全文転記させていただくことにしました。私としてはできる限り善意に解釈したいと思っているのですが、結局的に関連議論を分散させただけに過ぎず、審議妨害(遅延行為)と受け取られかねない心配も感じます。--Gwano会話2015年4月27日 (月) 12:01 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは辞書ではありません#方針・ガイドラインとして提案中の復活で挙げられた幾つかのポイントに、こちらで反論させていただきます。

Gwanoさんのいわんとしていることは、大体わかると思いますが。たぶん、ひとつには「方針の実践編」は「方針」と呼びたくない、あたりでしょう。語感的には、そうかもしれませんが、これは既成事実に逆らいすぎでは。じっさいは「方針の実践編」も「方針」になっていますよね、日本語版をふくめて。そんなわけですから、私がストレートにいうところの「方針の実践編」を、わざわざ「方針に肉付けされた諸々の部分」と言い回しされるのや、「骨子の」部分は「上位の方針に集約させれば」などのご提案するのも、その語感を大事にしたいがために、相当無理しておられるとしか思えません。

本文書「Wikipedia:ウィキペディアは辞書ではありません」は、Akatsuki444さんが仰いますように英語版ではポリシーとして確立しておりますが、日本語版でも「方針・ガイドの草案」としての長い経歴があります。たしかに、記事ノートには過去スレがないのが実情ですが、記事の履歴をご覧になればおわかりのように、2005年あたりの段階以降「方針かガイドラインの草案」タグが記事トップにつけられていました。そのまま膠着状態だったことが長期にわたっています。ですから、「方針・ガイド」の「格付けの範囲に無い」とおっしゃっているのは不当であると反論します。

「{{See also}}(「~も参照」)で紹介されている」ということに、さしたる意味はないでしょう。たまたまですが、下の「#独自研究」は方針になっても「~も参照」のままですし。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 09:58 (UTC)[返信]


ええと、ウィキペディア文書の位置付け(格付けとは限らない)は変わることがあります。「格付けの範囲に無い」発言について、過去に格付けが無かったという事実に対し、その後しばらくは草案の位置付けだったからといって、過去にさかのぼって当時の位置付けが変わるわけではありませんよね。私は「本来は~」と前置きしたうえで、"過去形で"述べていますので嘘は言っていないはずです。しかし会話ページではそのことを説明していないので、まるで私が草案だった時期がないという虚偽を言ったかのような語弊が生じているのですよ。実際のところ(1)もともと「方針/ガイドライン/私論という表明の無かった文書」、恐らく補助説明のたぐいが、(2)2005年に「方針がガイドラインの草案」として"提案"され、その後否決されて(3)「私論」に分類されたという話ですよね。今回の議論内容は、言ってみれば現在(3)に位置付けられている文書を過去の位置付けに戻すという提案でしょうから、(1)に戻すか(2)に戻すかの違いでしかありません。片方だけが不当というのは個人のご意見なわけですから、議論の場(こちら)にこそ向いた内容かと思うのです。
なお「記事ノートには過去スレがない」というのは、ノートに本文書誕生時の経緯が書かれていないことを言っておられるのでしょうか? 本文の履歴を見る限りはもともと英語版から導入した文書(無言コピペだったようですがGFDL的に大丈夫なんでしょうか?)を訳していったものがベースのようですが、当時は英語版にも格付けテンプレートは無かったようですので、日本語版作成時の位置付けの意向についてはっきりしたことは読み取れませんでした。--Gwano会話2015年4月27日 (月) 12:01 (UTC)[返信]
反対 井戸端から来たのですが、これは良く言ってもガイドラインであり明らかに方針ではないと考えます。それに対して「~~は「方針」であってしかるべきなのものです。」と公言するような人が提案していることに強い危惧を覚えます。
Wikipediaは「百科事典という概念を再定義」しかねない気狂い染みたプロジェクトだと私は思っているので、本文書はその未来を「既存の百科事典の概念から逸脱しない」ように制限するものだと考えます。当然、方針などではあり得ず、現代という、未だ「辞書と百科事典(と、その他の紙製の何か)とを区別しなければならない事情を作り出している紙」の影響が色濃い時代にのみ有意な一時的なガイドラインでしかないはずです。これを方針とすることは即ちWikipedia自身により「百科事典の定義」することであり即ちWikipedia自身に定義という束縛を与えることです。そしてそれはイコール「新たなる百科事典の概念」が生まれる可能性を阻害する試みです。
井戸端に於ける発案者の発言内容は私の見る限り噴飯ものであり、これ以上書くとまた言葉遣いがどうの礼節をもってこうの長いからそうのと言われることが目に見えているので詳しくは書きません。ので憤懣遣る方無い思いです。
本文書は良く言ってもガイドラインであり、多分に私論であるべき文書です。私論にしておくには惜しい程に良く書かれていることは認めます。初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであることを鑑みれば、十五歩ぐらい譲ってガイドラインとして認めた方が良いかも知れないとは思います。ですが方針としては認められません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月22日 (水) 11:57 (UTC)[返信]
GwanoさんとMaddestmagicianさんのご意見を考慮すれば、{{Infopage}}を貼ってCategory:ウィキペディアの解説に分類するのが一番いいように思いました。本文書は方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを補足する文書であり、内容自体はウィキペディアにおいて広く共有されている合意事項であるという点は全員が認めるところでしょう。私論のままでは問題だけどガイドラインや方針にしてしまうのも問題があるような、この文書のような立ち位置の文書に最適な分類かと思います。--重陽会話2015年4月22日 (水) 22:33 (UTC)[返信]
コメント個人的には、コンセンサスが得られるのならどのような形になってもよいのですが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの意見に1つだけ。現在のこの文書は英語版の方針であるen:Wikipedia:Wikipedia is not a dictionaryの翻訳を元にしてますよね。「方針とは認められません」と言うほどでしょうか。--Akatsuki444会話2015年4月23日 (木) 14:04 (UTC)[返信]
◆「言うほど」だと私は考えています。
十五歩(現実問題として十五歩も下がったら5~10メートル離れることになり、対話は容易ではなくなります)ぐらい譲ってもガイドラインまでです。ですがそれとて「初心者にとって理解の助けとなる良い手引きである」からに過ぎません。日本語版以外の全ての言語の版で方針になっていたとしても、ジミー・ウェールズが「方針である方が適切だ」と主張(「方針とせよ」と言ったのではなく)していたとしても、それ等は私の考えの根拠を否定するものではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月24日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

反対 私も井戸端から来ました。Wikipedia:五本の柱に直接リンクされていることが方針・ガイドライン化の根拠になるのなら、Wikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:論争のある記事も方針・ガイドライン化が必要という結論になってしまいます。「噴飯もの」とまでは言いませんが、根拠になっていないと思います。Wikipedia:議論が白熱しても冷静にはエチケット的な内容という理由で私論となりましたが、Wikipedia:論争のある記事は既存の文書をまとめただけという理由で私論になっています。この文書も「既存の文書をまとめただけ」「WP:NOTで十分」と私は考えており、私論で良いと思っています。ただ、{{Infopage}}とするのなら反対しません。--伏儀会話) 2015年4月23日 (木) 10:46 (UTC)訂正--伏儀会話2015年4月23日 (木) 10:51 (UTC)[返信]

コメント 一部の方はなにか大きく勘違いされているようですが、何も私が当記事を「私論」ステータスから引き揚げようができまいが、効力は生きていますよ。なんならお試しになってもよろしいが、おおよそここの記述してあることに何度も抵触し何度も勧告無視するなら、管理者から永久ブロック等を食らいかねませんから。じっさい、当記事を「私論」にダウングレードさせたユーザが食らっています(確実な理由は明かされませんけどね)。そのことを踏まえて、ブロックされた方がつけた「私論」というラベルに惑わされて、「やってもいいんだ」と思わないように、きちんとしたタグ貼り換えを私は提唱しているのです。
user:Gwanoさんもある時点では「同方針に誘導することが本題だと思います」とおっしゃるのですから、何かそういうニーズは認めてらっしゃるように思えますが。私は「方針」にはこだわりませんが、せめて「ガイドライン」でないと、元々提案した「警告性」の意味が無いと思いますし、誘導性もありませんよね。 Gwano さんが挙げたWikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?のように何もタグのない状態に引っぺがすのも、警告性もなく、誘導性もありません。また、重陽さんの{{Infopage}}案も然りで、「私論」と書かれるのとほぼ横ばいであり、「従わなくともいいんじゃないか」感は払しょくされないと思います。ですから、「私論」ははずしておき、当面としては次案として「方針かガイドラインの草案」タグを貼ったまま据えおくことが望ましいと思います。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 08:39 (UTC)[返信]
◆提案者は何か大きく勘違いをなされているようですが、私を含め反対者の中には誰一人として「本文書が効力を持つこと」に反対している者は居ません。反対者全員が「本文書が効力を持っている事実」を認めており、またそれが適切で且つ有用であると考えています。繰り返します。唯の一人も居ないのですよ。
なので「効力は生きていますよ」であるとか、況してや「なんならお試しになってもよろしいが」などと主張することは全くの無意味です。
僭越なる私見ではありますが、wikipediaを守る勇猛果敢なる衛士達には、その戦いを今後も長く続ける為に適度な休息が必要なのではないでしょうか。敵の戦術は単純です。衛士達を疲弊させ、脱落し数が減るのを待っているのです。どんなに強い戦士でも疲労には勝てません。どんなに凄い武器を持っていてもです。
例えば、英語版wikipediaでは本文書は方針とされていると聞きました。では英語版wikipediaには「本文書に抵触する者」が居ないのでしょうか? 彼等は駆逐されたのでしょうか? いいえ、そんなことは無いはずです。
方針であろうが私論であろうが、やる輩はやるのです。何故ならばやりたいからであり、そしてそれが実行可能だからです。彼等を完全に駆逐出来る武器は唯一つ、「以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する」ボタンを押しても記事の内容が変更されないようにすることです。なのにその武器は五本の柱に反しているのです。
wikipediaを守る為には戦い続けるしかありません。そして脱落せずに戦い続けるには、適度な休息が必要です。脱落せずに復帰し、再び戦い続ける為の休息が。
疲労が勘違いを誘発させたのであれば、それを敵の前で晒し討死する前に休息をとり、万全の状態で戦線に復帰してもらった方がwikipediaの発展の為になるのではないかと愚考します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月24日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
何だか場を和ませようと気を使わせてしまってすみませんが、それほどテンパってるわけではないです。これでも何度も修正して投稿してるんで、疲れはしますけど。
「お試しになってもよろしいが」と言ったのは挑発的ですが、真に受けてする人はいないでしょうから、当然レトリックです。無意味だとおっしゃるが、そうだとは思わない。世界最狂の魔法使いCray-Gさんなどの最初の投稿を見ても、はっきり言って、<効力はもたないものを、私が理不尽に持たせようとしている>、と言う風にとれました。ですから、内容をなめてかかればヤバい結果という怖い話筋で情報を伝えたつもりです。
しかし読まれているかもしれない新規ユーザを変にビビらせて編集意欲を委縮させるのももいけませんね。そういう方にはページの編集は大胆にがガイドラインです。さらに違反が故意でないこともあるので周りは善意に取る義務があり、礼儀を忘れないによれば他人のミスをなじってはならず、そのうえ新規参加者を苛めないでくださいとなっています。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 15:35 (UTC)[返信]
◆やはりご理解を戴けていないようです。
~~、と言う風にとれました。
そういう風に「とれてしまう」ような状態で提案していることを問題視しているのです。そのようなレトリックを「使ってしまう」ような状態であることが問題だと言っているのです。それは井戸端に記載されていた(そして私ことCray-Gの観点では今や隠蔽されてしまった)文言に既に顕われていたので私は強い危惧を覚えたのです。そしてそれが「(私ことCray-Gの観点では)隠蔽された」ことで危惧は確信に変わりました。
wikimediaプロジェクトはその全てに於いて共通して「中立的な観点に基づいた内容」を目指しています。その為には「誰でもが匿名で編集可能である」ことが必要であること、そしてその「偏った観点を持った誰でも」が全員で合意を形成すること、そしてその合意形成を妨げる二つの問題行動を禁止することで、実在し得ない「中立的な観点」などという戯けた妄想を実現すると規定しています。
即ち各員の観点が偏っていることは当然であり、それだけならば何等の非難を受けるべきものではありません。例えそれによって誰かが飯を噴こうが午後ティー噴こうがです。寧ろ逆に「我こそは斯様にも偏った観点を持つ者也。我とも合意を形成すべし」と名乗りを上げるべきところでしょう。私は井戸端でその名乗りを上げているのを見たからこそ此処へ来たのです。でなければ来なかったでしょうし、よしんば来たとしても「馬鹿言ってんじゃねーよバーカバーカ」を慇懃にした内容を書き捨ててそのまま興味を失い、当分見もしなかったことでしょう。
非難を受けるべきなのは観点が偏っていることではなく、合意を形成しようとしないことです。もっと厳密に言うと、合意を形成する為に必要(だと私ことCray-Gは思い込んでいる)な相互理解を行なおうとしないことであり、それを阻害する為の様々な行為を試みることです。それには「目的」の為に自らの観点を偽装することも含まれます。観点を偽装することは(他の観点の持ち主による)相互理解の為の努力を誤った方向へと導き、無駄な労力を費やさせ、「問題行為者が駄々をこねている」だけにしか見えないようにします。それは結果としてコミュニティーを消耗させることになります。そしてその時にはその問題行為者にとっても、他の多くの利用者が理不尽で不当な隠された目的の為に自分の意見を封殺しようとしているだけにしか見えないようになるのです。それは両者とwikipediaにとって不幸なことです。
もしも前段落最後の「他の多くの利用者が~~封殺しようとしている」のリンク先の文書を読んで(或いは読まずに)該文書がwikipediaで「効力を持っていない」と思うようであれば(思うはずだと私は既に確信しています)、Kiyoweap氏の言う「効力」と私ことCray-Gの言う「効力」との間には差異があることになります。私ことCray-Gは、wikipediaに於いて「Kiyoweap氏の言う効力」がある文書は五本の柱以外には無いという観点に立脚しています。つまり検証可能性でさえ、私ことCray-Gが立脚する観点に於いては「Kiyoweap氏の言う効力」を持っていないのです。それは通称「アップルパイ案件」と呼ばれていて、確か解説ページがあったはずなのですが記憶違いなのか探したけれど見付かりませんでした。
場を和ませようと気を使わせてしまって
真に受けて良いのでしょうかね?
したり顔で「モルダー、あなた疲れてるのよ(  ゚,_ゝ゚)ププッ」とか言われて言われた当人が和むはずがないので、かなりの重症と御見受け致します。
内容をなめてかかれば~~
先の投稿に於ける「警告性」だの「誘導性」だのとおっしゃっていた内容のことと考えます。既に述べた通り、方針であろうが私論であろうが「警告性だの誘導性だの」には大した影響を与えません。無論、不適切な編集をする者を「(Kiyoweap氏の言う)効力」によって「萎縮させる」為には、私論であるより方針である方が役立ちそうに思えます。ですがそれで実際に「萎縮する」者は、私論であっても萎縮するものです。
新規参加者を苛めないでくださいにある通り「根気を持って」接するべきでしょう。短気を起こして「こういう方針と決まってるんだ」と居丈高に言って萎縮させるのではなく。
効力はもたないものを、私が理不尽に持たせようと
前述の通り、方針にすることによって「(私ことCray-Gの言う)効力」は変化しませんし、また「(Kiyoweap氏の言う)効力」を持つことも無い(と少なくとも私は思っている)ので、私視点からはやはり無意味であることに変化はありません。
ですが、そうやって書いて戴いたことで理解出来たことがあります。即ちKiyoweap氏は現在、「本文書を方針にすること」と「なんならお試しに~~食らいかねません、と伝えること」とが同様の効果を生むように見える観点に立脚している、ということです。
相互理解が進みました。これにより論点が「本文書は方針であるのが適切か否か」ではなく、「『その効果』を生むことでwikipediaにどのような利益が齎されるのか」であることがわかります。私の立脚する観点に於いては、それによってもたらされる利益は「根気を持つ」必要が無くなる(=楽になる/その分の時間を他の有意義なことに使える/ディスクスペースの節約になる等)以外に思い付きません。なのでこのままでは私の反対の立場が変わることはありません。
ですがKiyoweap氏の考える「~~どのような利益が齎されるのか」を私が理解出来れば、そしてその利益が「この多分に私論であるべき文書を不適切にも方針とする」だけの価値が確かにあると私が認めるものであったならば、私は本文書を方針にすることに賛成の立場となることでしょう。現に私は「この多分に私論であるべき文書を不適切にもガイドラインとする」ことに対して、既に不本意であり抵抗はしますが賛意を示す用意があることを表明しています。それは「本文書がガイドラインであるべき」だからではなく、「その利益が『この多分に私論であるべき文書を不適切にもガイドラインとする』だけの価値が確かにある存在し得ると認める」からです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月25日 (土) 08:19 (UTC)[返信]
Kiyoweap氏が私の会話ページへと議論を分散させようとしているのでちょっと応答が変になりますが。
それは私が抗議するに値します
であるならば、それは議論の場で宜しくお願い致します。私の会話ページでこっそりこそこそ脅迫するのではなく。
ウィキペディアンが行なわなければならないのは秘匿された外交ではなく、公開された議論です。
ウィキブレイクが必要な人間? 私は「貴殿にウィキブレイクが必要だ」などとは思っていませんよ。あれは表面上を取り繕ったものです。
ルールの悪用(これはガイドラインです)にある「悪用は、自分の主張を何とか通そうとするあまり行われることが多く、本人が意識せずに行っていることもあります」のだと考えます。が、(私の立脚する観点では)貴殿はさらに上を行っていて、私論(乃至は方針/ガイドラインへの格上げ(?)が試みられたが為されずコミュニティーから私論であるとして消極的追認を受けている文書)を「自分の主張を何とか通そうとするあまり」に方針/ガイドラインへの格上げ(?)を行なおうとしています。
それだけなら形式上は合法であり、私がとやかく言うことでもないのかも知れません。ですが「この何とか通そうとされている自分の主張」が、「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせる」こと以外に私には想像もつかないのです。そして、そうではないことを説明しようともしないどころか、質問を無視して自説を繰り返す、相手の会話ページに乗り込んで議論を分散させる、挙句の果ては私論タグを貼ったユーザーはブロックされるようなユーザーだった(←何処に書いてあったのか見付けられませんでした)だとか、何ならWP:NADに抵触する行動をしてみろだとか、対話により合意を形成しようとしているようには全く見えません。私にとっては、最初の井戸端の文面から予想出来たことがまさに予想通りだっただけのことです。
私は、この貴殿の態度を問題にしているのであり、態度を改めることを要求しています。善意に取れば、こういった態度は「度重なる荒らしとの戦いに疲れたウィキペディアン」が陥りがちな態度であることを知っているので、無いだろうとは思いましたが「度重なる荒らしとの戦いに疲れたウィキペディアン」向けに書きました。そうですかウィキブレイクが必要なほどには疲れていないんですか。疲れてもないのに「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせる」ことを望むのですか。
wikipediaを始めとするwikimediaプロジェクトでは、一貫して合意形成に基づく編集を行なうことになっています。合意形成には対話が必要です。そして観点の異なる者同士の対話には根気が必要です。それを最小限にするノウハウが議論です。相手の話を聞かずに自己の主張を繰り返すのは議論ではありません。自己の主張と相手の主張との差異を見付け、論点を整理する共同作業が議論です。
私は聞く耳を持っていますよ、貴殿の目的が「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせること以外の何なのか」を説明して下さい。或いは貴殿の目的が「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせること」であるのならば、それを行なわないことにより発生するはずの損害が「こういう方針と決まってるんだ」と言うことでどれだけ減ると見込まれるのかでも構いません、英語版wikipediaもそういう事情があったのだろうと思いますしね。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月27日 (月) 12:45 (UTC)[返信]
草案、私論、解説のそれぞれの立ち位置についてですが、私論から解説に変更しても「従わなくともいいんじゃないか」感が横ばいであり草案の方がいいというのは、それぞれの枠組みに対する認識にズレがあるように思います。各枠組みの立ち位置を踏まえて考えれば、草案のままで据え置くというのは私論のままと大差なく、むしろ解説にするほうが文書に対する拘束性は高くなりますよ。#いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですかでも、春日椿さんが「通常、草案と私論の間の位置づけに大きな差はありません」とおっしゃっていますね。
まず私論ですが、{{私論}}にありますように「一部のウィキペディアンが助言や意見を記したもの」にすぎません。考え方が広く共有されている物から少数意見まで含む玉石混交な枠組みであり、「従わなくともいいんじゃないか」感が強い枠組みである事は確かかと思います。一方で解説は、{{Infopage}}にあります通り「一般的な事実や共有されている合意事項」ですから、基本的には従うべきものであり「従わなくともいいんじゃないか」感はありません。ウィキペディアでは合意形成による意思決定が非常に重要視されますから、「共有されている合意事項」に従わないのであれば相当に合理的な理由を提示したり、その合意を変更するための新たな合意を形成するようなことが求められるのが通常で、一般的には従うことを求められる枠組みです。コミュニティ間で共有されている合意事項に対して、合理的な理由の提示なしに単に方針やガイドラインではないのだから従わないというようなことを主張しても、コミュニティに受け入れられることは通常ありません。さらに、草案はCategory:草案に「現時点ではまだ拘束力はありません。」とあります通り、実際の運用として慣例的に草案のまま一定の拘束力のある文書として参照されているものもありますが、基本的には拘束力を持たない「従わなくともいいんじゃないか」感の非常に強い枠組みであり、その点ではむしろ私論と同等です。草案はあくまでも「案」でしかないというのが基本的な草案の立ち位置であり、方針・ガイドライン化もしくは試験段階の草案に入らなければ拘束力は発生しないというのが原則です。草案のままで拘束力を持たせるような運用は本来の形ではなく、単に整備が行き届いてないが故の暫定的な運用でしかありません。草案はガイドラインと私論の中間に位置するような枠組みではないのです。そのような草案の立ち位置を考えれば、「草案のままで拘束力を持たせるような運用」をさせるために草案のまま据え置くことを前提に草案にカテゴライズするというのはあまりすべきではないのではないかと思います。--重陽会話2015年4月25日 (土) 02:35 (UTC)[返信]
コメント「解説書」案の擁立の、よりつっこんだ根拠はわかりました。ですが説得性はありません。私だって、それなりの考えの上で結論を出しており、うかがった理論は懸念をはらう主張には至っていません。
重陽さんの試案は、なるほど草案よりも拘束性があるような感じを受けますし、その主張はお見事で巧みではあると評価させていただきます。しかし検証すれば、要である点は、いわば<記述上の不備>的なものであることが露わになってまいります。
解説書のタグ{{Infopage}}に「ルールや運営上の手続きについて」という文句が*残っている*のは訳出の不備、というと訳した方に酷ですが、早い時期で英語版でルールにタグするのも用例として許していた頃の名残です。その後は、ルールであれば「ガイドライン」以上に仕分けするように徹底していますから、それを反映してメッセージ訳出を更新したほうよいのです。その*不備*を直さず、逆にそれをついて本試案のような、いわば「規格外利用」しましょう、というのは邪道でしょう。
このタグは「( i )」マーク(commons:Ambox_notice.png)もついているわけですし、英語版も含めた現状通り、パッと見の通り、「情報」類の文書に使うのに徹底するべきですよ。不規則的に情報以外の文書にも使った場合、遭遇した利用者に「パッと見情報だけど下みると内容は規則みたいだし...方針か?...いや、でも方針やガイドラインでないって断ってあるぞ。そうか、ルールで... えーと合意とも書いてある、やっぱり拘束力あるのかなあ?」みたいな、思考経路をさせて、それで「拘束力」が明確じゃないですかなんて、言われてもね。ただただ混乱するだけでしょうに。
他にも「私論・ガイドライン・方針」なら階層が、せめてものはっきりしているメリットがあるのを、「解説」だとそのなかの位置関係が不明になるという、憂慮すべきデメリットがあります。比喩的に言うと「ガイドライン・方針」へ昇格の道を閉ざした永久左遷じゃないですか。
かように常識以外の使い方をおこなうとすると、ほかにも無理が出るはずです。--Kiyoweap会話2015年4月26日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
私は各ページの説明文や他の方の発言などを引用した上でお話をさせていただいていますが、Kiyoweapさんのご意見はKiyoweapさんがそう考えているという以上の論拠が何一つ示されていないため、申し訳ないですけれどもそのご意見に賛同することが出来ません。少なくとも、現状、現実として各ページの説明文でそのような記載がされているのですから、それを記載されている通りに受け入れずに、ただの昔の名残だ、不備を利用した規格外利用だ、情報類の文書に使うのに徹底すべきだ、常識以外の使い方だ、無理が出るはずだ等と主張されても、それは単なる個人の感想でしかないのですよ。論拠も無く単なる思う思わないという次元で話を進めてしまえば、意見のすり合わせや合意のやりようがありませんから結論は決裂しかありません。Kiyoweapさんの主張は全て「私はそうは思いません」の一言で終わってしまうような話なのです。Kiyoweapさんは「うかがった理論は懸念をはらう主張には至っていません。」とおっしゃっていますが、根拠なく自分はそうは思わないということを一方的に述べられている現状を見れば、ご自身の意見と方向性を同じくする意見以外にはそもそも耳を傾けるおつもりが無いのではないかとすら感じてしまいます。実際はそのようなことは無いのだと思いますが、Kiyoweapさんのご発言からはそのように受け取られても仕方が無いのだとご理解いただければと思います。「私だって、それなりの考えの上で結論を出しており」とおっしゃられていますが、その「それなりの考え」を上手く伝えることが出来ていないのが、Kiyoweapさんのご意見に誰も賛同しないという現状に表れているのではないでしょうか。--重陽会話2015年4月26日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
コメント 「方針やガイドライン」候補な文書を、「方針やガイドラインではありません」と謳っている「解説書」として扱いたいというやり方を「規格外利用」と私が評したからって、いかほどのことでしょうか。
たしかに論調はいささか攻撃的に過ぎました。みなまで丁寧に説明していない部分もあります。
しかし、そもそも本議題は「方針かガイドライン」か決める、という動議なのを、まるでお忘れになっているかのようであり、「方針もガイドラインも」除外した案で、お二人が同調したからそれを延々やりましょうと言われても、私が納得いくはずもありません。
私からすれば、もうこれは動議からはずれた想定外の「お持込プラン」であり、お二人が改めて別題で立ててどこかで提議していただきたい話です。最低でも、RFC等告知場所に、<(報告)当初の議題は休止状態、「方針やガイドライン」でもない「解説書」として扱う案に脱線、新たに参加者求ム>とでも書き加えるべきです。
そちらプランに対して、私は不賛成という結論を出し、ひととおり私の根拠を述べた点で、こちらの意見を尊重して頂き、脱線議題は閉じるか、他のインプット待ちにして頂きたいと思います。
「不備」の根拠ですが、{{Infopage}}の元の英語版の文言は "norms and practices" とあり、これは通常は「ルール」とは訳せません。その不一致のことを指します。「訳ミス」かもしれませんが、可能性として「ルール」という詞が「名残」っていると(Deletion guidelineが有効例とされた版の削除からヒントを得)社交辞令しました。ほんとうに誤訳かどうかの究明は、この際別問題であり、訳者に非があろうがなかろうが不一致は不備です。
それから、どういう齟齬・混乱が生じるかです。「合意形成」がある「ルール」なればWP:POLICIESの定義上「ガイドライン」と推量できそうなもの(英語版だと断言できます)。ですから、{{infopage}}タグで「ルール」に関する「合意形成」文書だが「ガイドラインではない」と謳うのは、混乱をきたします。それを生じさせているのは誤訳である「ルール」のひとことで、その未訂正(未対処)は、不備と考えます。
それとも、合意形成が存在するルールであるが、多くの利用者に支持されている最善の方法ではないものとは、いかなるものか、明快に説明していただけるのでしょうか?
さらにいえば、お二方は、本文書が「合意形成」にかなう「ルール」に関する文書だと認めてらっしゃるのに、それでもなかなか「ガイドライン」だと認定したがらない。その理由が私には不透明です。
いや、何となくは伺いましたが、「方針」とかの文書は、ピュアな原則だけのものに徹し、「方針の実践文書」部分は原則を排して、「方針」ではない「解説書」を作り上げる、など、そんなのは本議題の範疇を越えた大改革であり、検証や編集作業もかなり予想され、「独自研究」等の前例に張りあう対立前例を作ろうという試みであり、それこそ「別議題」ではじめてもらいたい問題と考えます。
私だってお手本のように順序を追って説明はしてませんが、そちらにだって説明不足はあります。決裂なら決裂でしょうがない、見解の相違ではないですか。その責めを私が一手に責めを負うべきものでしょうか。私には「常識的」に解釈してほしい甘えや、シナリオの部分が少なからずありますが、お二人は逆に、明文化していればどんな端っきれでも額面通りに受ければよく、矛盾や無理があってもかまわないという、融通がきいてない部分が十二分にあるのです。(「端っきれ」というのは、他にも「カテゴリ」ごときの附記を金科玉条読みすることを言っています。)
「他の方の発言などを引用した」のに対し私がなんら示さないなどとおっしゃいますけれど、春日椿さんの「草案と私論に大差はない」という同調意見には言及するが、その前の「とりあえず草案に戻したほうがよさそうですね」という私寄りの Kurz さんの意見は黙殺しておりますのを、あえて指摘しなかったまでのことです。そんなところで甲乙つけようとするのも、おたがい単なる討論のポイントゲームになってませんかね。--Kiyoweap会話2015年4月27日 (月) 10:48 (UTC)[返信]
とりあえず1点、お二人ってどなたのことでしょう?一人は私のことでしょうが、もう一方がどなたのことをおっしゃっているのか良く分かりませんでした。私は別にどなたかと打ち合わせをしているわけでもなく単独で意見を述べさせていただいていますので、十把一絡げにご返答を頂きましても困ります。
私がこの節を見た際に既に反対意見が並んでいてこのままでは合意は到底無理そうだと感じたので、双方が妥協できそうな落としどころとして「解説」に分類することを提案させていただきました。「そもそも本議題は「方針かガイドライン」か決める、という動議」であることは忘れてはいませんし、もっと言えば「方針かガイドラインかを決めたい」理由は「この文書に効力・警告力を持たせたい」からであって、「「私論」では応じないと言い張るユーザもいる」からですよね。私は、方針・ガイドライン化という手段をとらなくてもその目的は達成できると言っているのです。ですから、解説化という第三の案は本筋から外れた脱線ではなく、本議題の根本的な目的を達成するための方法の一つであり本論としてお話させていただいています。別にKiyoweapさんの動議をないがしろにしているわけではなく、むしろその動議の目的を尊重するからこそこのような意見を提示しているのです。動議提案者としての立場をなおざりにされたように感じられてしまったのかもしれませんが、そのようなわけではないことをまずはご理解いただきたく思います。それをお持込プランだから別題でやってくれとおっしゃるのは構いませんが、方針もしくはガイドライン化に対しては相当な反対意見がありKiyoweapさんが反対意見の方々を納得させることができそうな様子はありませんし、妥協できる範囲で落とし所を考えないと、賛成派と反対派のどちらかが根負けするまで延々とやりあう羽目になりそうだと懸念していますので、妥協案で納得していただくべく説明をさせていただいているわけです。ひとまず、話の根本の部分の相互理解をいたしたく、論点を絞ってご返答させていただきました。--重陽会話2015年4月27日 (月) 12:59 (UTC)[返信]

コメント 私は必ずしも本文書を方針と呼びたくないとまで意思決定しているわけではありません(←多少会話ページの内容にも触れています)。英語版では既に方針とのことですが、無条件で日本語版の方針に導入できるわけではありませんよね。各国版で事情は異なるのですから、日本語版でも独自に議論する必要があります。これまで長い間「膠着状態」だった経緯もあって合意が得られる実現性に疑問があることだけは分かるので、私としては現実的な解決策を主張したまでです。もし方針化の合意が得られるのであれば特に反対するものではありません。草案のテンプレートを付けたいと言われれば、方針化の議論を開始したいのかと思われるのが普通です。だとすればそれを開始する提案者はKiyoweap様であるわけです。私としてはWP:NOT#ウィキペディアは辞書ではありませんには無くて本文書にある内容のうち、具体的にどの内容が方針として不足しているかを説明していただけるものと予想していたのですが、今回はそこまでするわけではないということでよろしいでしょうか。

Kiyoweap様は方針・ガイドラインとしての警告性の必要性ばかりをずいぶん強調しておられるようですが、その目的であれば最初から方針であるWP:NOT#ウィキペディアは辞書ではありませんを示し、必要に応じて本文書と併用すれば済む話ではないかと思います。WP:NOTから本文書がsee alsoされているのですから、補助文書として捉えても、充分な警告性は感じられると思います。おっしゃるような草案状態でも、方針から参照される形であれば多少の警告性は感じられるかもしれませんが、それでも草案に従う気になるかは人にもよるでしょう。「誘導が本題」というのはWP:NOTの存在を知らずに本文書に先にたどり着いたような場合の話です。そのようなときは草案のままだと説得力に欠けますし、疑念が先行して参照元を確認する気が起きないかもしれません。補助説明であれば「方針やガイドラインそのものではありません」とは言え、疑念は少ないと思います。--Gwano会話2015年4月25日 (土) 14:59 (UTC)[返信]

コメント このページの立ち位置は、取りあえずは(つまり暫定的に)「解説」でいいと思います。実際、現状は「方針」から振られて、その内容をより細かく解説しているわけで、現状と齟齬が有りません。また、このページの効力についてですが、「方針」から大々的に「参照」と振られているわけで、このページの内容を「無視」することは、(すべての議論において)できません。その上で、引き続き「方針・ガイドラインへ提案中」にしておき、議論を継続させることにも反対しません(個人的には、このページの内容はガイドラインだと思います)。とにかく、現状で肩書のないこのページに「解説」という肩書をあたえ、「方針」とガッチリ紐づけるのに反対する理由はないと思われます。--123.220.9.32 2015年4月27日 (月) 03:51 (UTC)[返信]

◆このままだと雪玉になりかねないと思い、論点の整理を試みます。異論があれば遠慮なく訂正を願います。投票ではないのでIPユーザーも入れてあります。

賛成 Kiyoweap(提案者票)
方針であるWP:!に「ウィキペディアは辞書ではありません」とあるので、その内容であるWP:NADも方針であってしかるべき。
私論タグを貼ったユーザーは既にブロックされている。(←何処に書いてあったのか見付けられませんでした)
方針ではなくともせめて「ガイドライン」とタグしないと警告用として機能しない。
解説やタグ無しでは警告性や誘導性が無い。
拘束性が必要である。
本件提案は方針にするかガイドラインにするかの二択であり、意見がまとまらなかったらガイドラインにすることになっている(と最初に宣言してある)ので、それ以外の解説にする等の案は不要。解説にしたいのなら別途議題(提案)を立ち上げてそっちで話をするべき。
コメント重陽
私論であるのは問題であるが、反対者の意見を鑑みるにガイドラインや方針にしてしまうのも問題があるのかも知れない。
解説に分類するのが無難ではないか。
コメントAkatsuki444
英語版では方針であることから、方針であるのが不適切だとは思わない。
コンセンサスが得られるのならどのような形になってもよい。
コメント123.220.9.32
ガイドラインが適切。
暫定的に解説とするのはどうか。
反対 Gwano
「利用の手引きやヘルプ」のようなものであり、本来は方針/ガイドライン/私論という格付けの範囲に無い文書である。
私論であるのは問題であり剥がすべきである。
賛成者に対しては、本文書の中にありWP:!に無いどの内容が問題となっているのかを説明して欲しい。
反対 世界最狂の魔法使いCray-G
多分に私論であり、良く言ってもガイドラインであり明らかに方針ではない。
初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであるので、十五歩ぐらい譲ってガイドラインなら認め得る。
賛成者に対しては、本文書を方針とすることに「方針を盾に事実上の対話拒否」を可能とする以外のどんな利益があるのか、乃至は方針としないことで「方針を盾に事実上の対話拒否」を認められる程の損害が出ているのかを説明して欲しい。
反対 伏儀
WP:5に直接リンクされているだけでは方針・ガイドライン化の根拠として薄い。
私論であると考えるが、解説にするのであれば反対しない。

主な論点としては、

本文書は方針/ガイドライン/解説/私論のいづれであるのが適切か
(方針)WP:NOTの「内容」であることから明らかに方針であるから
(方針)(消極的)英語版では方針となっているから
(ガイドライン)私見による
(ガイドライン)(消極的)初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであるから
(解説)それが無難そうだから
(解説)(消極的)反対しない
(私論)私見による
(私論)既存の文書をまとめただけだから
(私論)WP:NOTで充分だから
本文書にあり現状の方針に無い内容は何か
(意見無し)
本文書を方針とすることに「方針を盾に事実上の対話拒否」以外のどんな理由があるのか、乃至は「~~対話拒否」を正当化出来るだけの根拠があるのか
(意見無し)

他、説得が試みられています。

方針やガイドラインでは問題が多そうなので解説にするというのではどうか
(拒否)方針/ガイドラインにあるメリットが無い上に、方針/ガイドラインへの昇格の道を閉ざした永久左遷であるから。
(拒否)本件提案の議論は本文書を「方針にするかガイドラインにするか」の議論であり、解説にするのは本件提案の議論から外れた議論であるから。

以上、現時点での論点の整理を試みました。不充分な点や異論があれば遠慮なく訂正を願います。 --世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月27日 (月) 12:45 (UTC)[返信]


コメント 「解説」に(積極的に)反対されているのは1名(提案者氏)のみで、また「方針・ガイドライン化への提案」は中止すべきとする意見も無いので、ワタシIPの提案した「(暫定的に)解説へ。方針・ガイドライン化は引き続き提案継続」が最大公約数的な意見と思われます。--123.220.9.32 2015年4月28日 (火) 02:52 (UTC)[返信]
賛成 タバコはマーダー
私が当記事の翻訳を試みた2014年7月24日直前の、当記事の2014年2月26日05:39版‎までは、おおよそ内容が私論でありましたから、私論だと解釈しておりました。{{proposed}}が剥がされて私論に格下げされていたという経緯は、調査不足で知りませんでした。この背景を見ますと、2014年半ばまでは私論の範疇を超えないものであったため、私論だと認識されていたのではないでしょうか。
しかしながら、英語版で方針となっている根拠を考えますと分かりやすいです。Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順には、方針やガイドラインの多くは、基本原理Founding principlesに密接に関連するか、もしくは、編集上の混乱を解決するために発展したものとあります。原理の根拠の1つであるジンボによる原理の声明(en:User:Jimbo Wales/Statement of principles)の6番目において「ウィキペディアは百科事典である(Wikipedia is an encyclopedia.)」がありますから。まず、内容が百科事典ではなく辞書になってしまっているという編集上の混乱を解決するというだけでなく、創設者のジンボにより原理として声明されていますから、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの一部分ではなく、独立した項目として英語版で方針となっているのも相応であると思われました。英語版では、Wikipedia:What Wikipedia is not#Wikipedia is not a dictionaryのMainとして存在しています。日本語版では、これまでが内容として私論であっためにSee alsoだったと考えるのが妥当でしょう。そのあたりを鑑み、重要な文書であるとして、英語版の水準に近づけるために翻訳を試みました。
Wikipediaは百科事典であるというプロジェクトの原理と目的と、辞書のようになってしまった場合にそれを解決するための文書の2つの目的を果たしますから、Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順に合致しているかと思われます。--タバコはマーダー会話2015年4月28日 (火) 06:04 (UTC)[返信]