ノート:弥生時代

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

これはこのページの過去の版です。240f:73:24b3:1:e88f:8e81:27b8:f807 (会話) による 2020年10月12日 (月) 17:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎大量渡来説と炭素年代法)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

このページは一度版指定削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/弥生時代」をご覧ください。

このページは一度版指定削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/ノート:弥生時代」をご覧ください。

いたずらと思われる書き込みについて

先ほど気が付いたのですが、いたずらと思われる記述(意味不明な記述で元記事をメチャクチャにしている)が多数見受けられますね。私では修正しきれないので、どなたかわかる方修正をお願い致します。--おが 2005年4月25日 (月) 05:18 (UTC)[返信]

渡来系弥生人について

渡来系弥生人のルーツについての研究「日本人はるかな旅展」 があるので、リンクを追加しました。のぶしょう 2005年12月31日 (土) 02:43 (UTC)[返信]

リバートについて

2006年4月21日 (金) 00:00 (UTC) に行ったリバートについて、要約欄には「everted edit of 219.96.230.139, changed back to last version by 219.96.230.139」と記しましたが、「Reverted edit of 219.96.230.139, changed back to last version by 202.228.203.34」の誤りです。申し訳ありません。Tomika 2006年4月21日 (金) 00:12 (UTC)[返信]

いくつか気になったことを・・・

 冒頭で弥生の地域性に言及がありますが、その下部で詳細に論じられているように、北海道とともに南島も地域範囲から除外した方がよいかと思います。  「概要」部ですが、定住は縄文時代中期までにはすでに確立していますので、水稲農耕の採用による生産性の増大と定住を関連させる記述は適切ではないかと思います。貧富の差の出現と拡大については、むしろ生産物である「米」が蓄積可能な富として機能したことによるとの理解が一般的ではないでしょうか。  「時代区分」部ですが、前期の前に「早期」をおくことが最近の通説となっています。土器は刻目突帯文と総称されるもので、従来は縄文時代晩期後半に位置づけられていましたが、水稲農耕の採用や環濠集落の出現などがすでにこの時点で北部九州を中心とする西日本一帯に確認されることから、この段階を弥生時代の範囲に含めるという変更が定義され、近年では西日本の多くの弥生時代研究者に受け入れられている状況です。  「人々の生活」項ですが、木製農具の実用性については低湿地帯において十分に立証されています。祭祀用という考えは一般的ではないと思います。  貯蔵形態ですが、高床式倉庫は確かに弥生時代早期から存在しますが一部の集落に限られ、一般的ではありません。むしろ袋状貯蔵穴と呼ばれるフラスコ状の形態をした貯蔵用の竪穴が前期から中期前半までを通じて一般的であり、中期後半以降これが高床式倉庫へと移行します。  弥生土器は確かに一般的に装飾が少ないと言われますが、北部九州を除く地域では器壁の装飾は縄文時代とかわらないほど展開する時期もあり、なかなか難しいところです。これについては積極的に修正をお願いする程の意見ではありませんが、若干気になったもので・・・。 「環濠集落と高地性集落」の項で取り上げられた、15本の石鏃が胸部付近から発見された例ですが、これらの石鏃は胸部付近に副葬されたものだとか、祭祀的行為で射込んだものだとかいう異論も多く、難しいところです。実際、15本もの石鏃が通常の先頭でひとりの人物の胸部に集中して突き刺さるとは考えがたく、戦いの犠牲者とするには難しいようにも思います。そのほか、石鏃や石剣の切先が墓から出土する例は北部九州を中心に数多くみられますが、これが切先副葬という埋葬行為の一環と考える学者も多く、定説化してはいません。ただし、人骨に切先が突き刺さったり受傷した人骨は縄文時代よりはずっとも多くみられ、このことから縄文時代よりも頻繁な戦いの存在をみることは十分可能でしょう。このあたりの状況を盛り込んでもらえればより正確な記述になるかもしれません。  高地性集落の機能については昨今集中的に学会が開催されており、戦闘よりもむしろ交易や生業の一環といった方向でとらえ直されつつあるようです。ただし、未だ十分に定説化している状況ではなく、現状では本文のような記載でも十分かもしれません。 「中国との通交」項にある渡来系弥生人の出自については、確かにDNAの分析によって戦国時代以前の中国北東部(山東半島付近)との類似性が言われるようになりましたが、朝鮮半島南部の弥生時代後期併行期(原三国時代)の人骨との類似性はそれより以前より主張されています。土器や石器など渡来人がもたらした文物に直接的に中国大陸との関連性をみることは出来ず、直接の渡来元は朝鮮半島南部であったのは疑いないところです。山東半島の人骨との類似性は、より大きな集団の動きの流れの中でとらえ(春秋戦国期の戦乱などを主因として朝鮮半島方面へと流出するなど)、その一部として日本列島への渡来人が朝鮮半島南部からという理解が正当と考えられます。

 以上やや細かい点に終始しましたが、寛容な心で検討いただければ幸いです。

以上の署名のないコメントは、 2006年7月31日 (月) 11:08 おじゃ (ノート | 投稿記録) 氏によって付記されたものです。--yamato 2006年8月1日 (火) 09:28 (UTC)[返信]

おじゃさんの非常に建設的な書き込みを大変嬉しく思います。正直申し上げますと、ウィキペディア日本語版はいまだ発展途上にありまして、おじゃさん以上に弥生時代に関して知識を有しているウィキペディアンは皆無と言っても過言ではなかろうかと拝察しておるところでございます。
自分はウィキペディア日本語版を読み続けて2年を超えているのですが、おそらくおじゃさんほど弥生時代に関して高い見識を持ったウィキペディアンはまずおられないのではないか、と感じております。ですので、おじゃさん自ら本項目弥生時代をご編集なさるのが最も良いのではないかと愚考する次第です。ウィキペディアの良いところは、誰でも編集できるという点です。おじゃさんのご執筆・ご編集でしたら自分は大歓迎です(悲しいかな、自分は弥生時代に疎いのでおじゃさんのご指摘にかなうような修正を施すことができません。)。きっと他のウィキペディアンの方々も思いは同じであろうと思います。ぜひとも、おじゃさん御自らご修正頂けますでしょうか。欲を申しますと、他の弥生時代関連の項目につきましてもご加筆・ご執筆頂ければ大変嬉しいです。よろしくご検討をお願いいたします。--shimoxx 2006年8月1日 (火) 12:45 (UTC)[返信]
御返事がありませんねえ。自分の思うことだけ書いて、御返事がないというのは礼儀に反すると思うのですが、どうでしょうか?--yamato 2006年8月6日 (日) 12:04 (UTC)[返信]
いえいえ、ここwikipediaは自分の意思で自主的・主体的に編集していく場ですから、自分としては礼儀に反することだとはとても思えません。要は百科事典としてのwikipediaを充実していくことが大切な訳ですから、礼儀ウンヌンなんて二の次以下のことであって、おじゃさんのご指摘を如何に項目本文に反映するかが、現時点で最も重要なことだと拝察いたします。一番良いのはおじゃさん自らご執筆なさることですが、それが望めないのであればその他の有志のウィキペディアンが勉強して、おじゃさんのご指摘にかなう編集をすればよいだけのことですよね?てなわけで--shimoxx 2006年8月6日 (日) 12:48 (UTC)[返信]
初心者の飛び入りに対しとても暖かく迎えていただいたにもかかわらず、忙しさにかまけてその後の再訪問もせず、書き散らしたままとなっておりました無礼を深くお詫びいたします。編集等については札付きの初心者ですからまずは編集する上での方法論や方針、マナー等の学習から入らねばと思うと敷居がますます高くなってしまい、怖じ気づいているようなところもありますが、少しずつではあれ参加させていただこうと考えております。長い目で見守っていただければ幸いです。--おじゃ 2006年8月17日 (木) 15:27 (UTC)[返信]
試しに若干の変更を行ってみました。ルール違反等お気づきの点ありましたらご指摘ください。今後とも宜しくお願いいたします。--おじゃ 2006年8月17日 (木) 15:50 (UTC)[返信]

歴博の修正年代について

歴博が最近提出した炭素14年代測定法についてですが、九大、北大などの研究者から同じくC14年代法を利用した批判がいくつか提出されています。これまでの土器の一形式の時間幅の問題(北部九州の甕棺が中期以降は一形式が30年程度の時間幅があると考えられることから(副葬された漢式鏡から、中期後半以降はほぼ確実に甕棺の土器編年と歴年代の整合性がとれるため、それを根拠にして早~前期甕棺の一形式の時間幅を想定する)といった検証の難しい批判とはまた異なるアプローチであり、歴博の年代が早く出ることについての理由等の想定もなされていること(例えば海洋リザベーション効果など)から、一聴に値する批判と思われます。ウィキにおいては諸学説から中立であることが重要とあり、この点から、冒頭の記載(歴博の修正年代の立場に立つとの記載)については現段階ではペンディングする方がいいのではとの思いを持っています。この項目に関心を持っておられるみなさんはいかがお考えでしょうか。ご意見を伺いたく存じます。 --おじゃ 2006年8月18日 (金) 13:19 (UTC)[返信]

歴博とC14年代法とにリンクを張り、30は半角文字にしてみました。他の人の文章に手を入れることは、意見の改竄と受け取られる場合が多く、ブロック対象とされることが多いのですが。--Asuka 2006年8月19日 (土) 01:03 (UTC)[返信]
おじゃさんの言われる「冒頭の記載(歴博の修正年代の立場に立つとの記載)」とは表(項目)の「以下の記事では、………論を述べる。」を指すのでしょうか?そうだとすれば、私も、誰もが自由に編集出来る百科事典なので、必ずしもある一定の立場で編集されるとは限りませんので、このような肩の張った文は要らないと考えます。--Asuka 2006年8月19日 (土) 02:03 (UTC)[返信]
修正・ご意見ありがとうございます。まだ十分に編集規則を理解していないためにご迷惑をお掛け致しました。よりよい投稿ができるよう今後も努力致しますので、間違い・ルール違反等有ればご指摘頂きますよう今後ともよろしくお願い致します。歴博の炭素14年代測定法を利用した新しい年代観の問題について、「時代区分」の項に少し書き足しを行いました。先日の提案ともリンクする部分があると考えますので、さらに皆さんのご意見を賜りたく存じます。よろしくお願いいたします。--おじゃ 2006年8月20日 (日) 06:40 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。編集の仕方はそう気になさらなくともその内に憶えると思います。ただ、利用者名と日時を書き換えるのは、私もはっきりしないのですが、ルール違反(GFDL違反)になる可能性があります。そういう場合は、消去しない(書き換えない)で削除線、サンプルサンプル、を使うのがよいと思います。--Asuka 2006年8月21日 (月) 01:02 (UTC)[返信]
歴博の新たな見解の件、対応していただきありがとうございます。他になかなかご意見をいただけないのでどうしたものかと思っておりました。以下の文章中にある年代に関する記述も徐々に見直していこうと思っております。--おじゃ 2006年9月5日 (火) 12:28 (UTC)[返信]
おじゃさんのご指摘のとおり、歴博の年代には異論がかなりあると思います。今の記述だと、それがちょっとわかりにくいのではないでしょうか。もう少し具代的に、どんな異論があるか、明確にかいたほうがよいかと思います。たとえば、鉄器の使用開始年代が中国と同じ位になってしまう、といったことが発表当初、批判としていわれていた記憶がありますが。--たろう

(2018-01-08現在) 注15で参照された歴博「弥生時代の開始年代 - AMS年代測定法の現状と可能性」はリンク切れになっています。注12で参照されている文献も同じものでしょう。注2で参照されている藤尾ほか(2005)の文献にそれに相当する内容があるようなので、そちらを参照するように書きかえればよいと思います。ただし記述の詳しいところを文献にあわせて修正する必要があるかもしれません。残念ながらわたしがその作業をすることは約束できません。--Masudako会話2018年1月7日 (日) 17:03 (UTC)[返信]

国立歴史民族博物館は、2014年の論文で炭素年代測定法で弥生時代の年代が500年遡ったのは土器に付着した海産物(塩分のための)による海洋リザーバーのためであり、あやまりであったことを認めています。

あたかも博物館の意見がわが国の考古学を代表しているかのような弥生時代の書き込みは訂正の必要がある。博物館の意見に従うと、わが国の弥生遺跡に出土した鉄器が中国より先行することになってしまいます。


遺跡の土器に付着した炭化物を測定する場合、その土器が食品の調理や貯蔵に用いられた際に海水に由来する塩分を使用された場合、浸透した海産物の影響で年代が古く推定されることがわかっており、海洋リザーバー効果と呼ばれている。

以下を参照ください。[1]。--Nakagawa会話2018年5月28日 (日) 17:03 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 弥生移行期における土器 使用状況からみた生業 - 国立歴史民俗博物館 国立歴史民俗博物館研究報告 第185集 2014年2月 p283-347

政治-環濠集落と高地性集落-について

最近の学界の論調をもとに若干書き換えをしてみました。おかしいところがあれば訂正・加筆等お願いいたします。なお、ログイン期間を越えて自動ログアウトしている(らしい)のに気づかず投稿しましたが、投稿者は「おじゃ」です。失礼しました。--おじゃ 2006年9月2日 (土) 12:22 (UTC)[返信]

名称について

以前時期の混乱ではないかということで一度削除された部分ですが、実際に最近の学会では、弥生という名称のもととなった一群の土器が現在の土器編年上は実は古墳時代初頭(布留式併行)に位置するのではないかという意見が多数派を占めるようになっているようですので、以前の文章をもとに若干表記を変えて再録しました。短い文で正確に表現するのは難しく、いい表現にはなってないですから、どなたか書き足していただければうれしいです。--おじゃ 2006年9月5日 (火) 12:28 (UTC)[返信]

高地性集落の学説部分について

yoshinoさんから、高地性集落の項について学説が多いのではという指摘がありました。確かに、この部分は1970年代の学説史から記述をしています。ただ、倭国大乱と高地性集落の関係をいまだに直結させようとする一般の方ののHPがすごく多いような気がして、この誤解は正す必要があるのではと考えてあえてこのような記述を行ってみた次第です。辞書には学説史は必要ない(あるいは少なくとも多く記述すべきではない)という考え方もあると思います。また、もう中期の高地性集落と倭国大乱を結びつける人はいない(少ない)から、このような記述は必要ないという見方もあるかと思います。そうであれば、学説史の部分については削除した方がよければその方向で検討したいと思いますが、yoshino様、皆様、いかがお考えでしょうか。ご意見をお聞かせください。--おじゃ 2006年9月25日 (月) 12:42 (UTC)[返信]

稲作について

紀元前約3500年前から → 約3500年前から

修正お願いします。

--125.215.110.93 2008年7月22日 (火) 19:08 (UTC)[返信]

併せて「弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まった」という記述の仕方は、昭和教科書的な歴史描写で、弥生人が稲作の手法を日本列島へ持ち込んだものである、九州へ持ち込まれたものである、という前提と先入観を持たせる描き方と考えます。発掘されているものから、このような記述はすでにふさわしくないと考えます。-218.110.114.138 2010年2月13日 (土) 11:06 (UTC)[返信]

Richeaglenobleによるコピペ

Richeaglenobleさん:まず編集合戦はどうかやめてください。ここでも英語版でも、あなたは編集内容要約でコミュニケーションをとろうとしているようですが、これはウィキペディアであまり好まれていないので、付け加えようとした内容が取り消されたときはノートページで話し合うようにしましょう。

(ここにあった著作権侵害の疑われる記載を除去 --eien20会話2017年9月15日 (金) 23:22 (UTC))[返信]

あなたは要約でこれを「引用」とお呼びになりましたが、記事で引用であることを明記していませんでした。(私から頼まれてからも明記しませんでした。)出典からそのままコピペしたもの以外、出典で検証できない独自研究もの(「ミトコンドリアDNA塩基配列が一致する」が「DNAが一致する」になったなど)と、格助詞を少し変えたり削除ミス(取大学、作農業)をしたり動詞を受身形に変更したりした数ヶ所しかありません。あなたが投稿した文章で、記事からコピペされなかった言葉がほとんどなく、その上、記事からコピペしてここに転載しなかった記事の内容もほとんどありません。上に引用した「明らかになったもの。」と「今回の発見で」の間の文だけですが、これはなぜ"引用"しなかったかというとたぶんあなたが載せたかった独自研究と食い違っているからです。

あなたに、著作権について調べて(特にWP:COPYVIO#引用の扱いをよく読んで)、今までのことが悪かったことを認めてから編集活動を進めることをお勧めします。私はここで(英語版と違って)あなたの投稿をもう一度取り消すことができるのですが、代わりにご自信で取り消させてみます。数日経ってもご返事がなければWikipedia:著作権問題にて報告いたします。

Hijiri88会話2017年9月15日 (金) 13:10 (UTC)[返信]

著作権なんか全然侵害してないし、あなたが中国系の外国人なんですから日本語がうまくないだけですよ。誤解はもうやめてほしいっすね。Richeaglenoble会話2017年9月15日 (金) 18:10 (UTC)[返信]
私が英語版ウィキペディアで何度もあなたに教えたとおり、中国系でなくて、カトリック系のアイルランド人(ゲール民族)二人の間に生まれたアイルランド人で、中国とは何の関係もありません。あなたの投稿は明らかに著作権を侵害しているので、そろそろ報告しましょう。 Hijiri88会話2017年9月15日 (金) 20:52 (UTC)[返信]

韓国との通交について

何度も無言で差し戻しをされるのでノートに書きますが、‎Kamiya1さんはこの出典のどこに「韓国とも通交があった」旨書かれているか、説明してもらえませんか。わたしが読む限りこの記事は遺伝、混血具合を研究したもので、「韓国との通交」については書かれていません。このような意味合いで、要約欄に記入した上で編集を取り消しましたが、‎Kamiya1さんは無言でこれらを差し戻し続けています。

また、利用者‐会話:Kamiya1も参照してください。‎Kamiya1さんの編集は半保護を破る目的で作られたと断言できるアカウントであり、それはこの上記の節における、Richeaglenobleさんが取った方法と酷似しています(即ち、4日ほどアカウントを寝かしたあと、会話ページで10回ほど無意味な編集を繰り返すもの)。--Aoioui. 2018年2月13日 (火) 13:06 (UTC)[返信]

大量渡来説と炭素年代法

埴原は、人口学の推計によれば弥生時代から古墳時代にかけて一般の農耕社会の人口増加率では説明できない急激な人口増加が起きていることから、この間、100万人規模の渡来人の流入があったはずだとする大量渡来説も提唱していた。

とありますが、この説は1991年であり、その後、1996年頃より、炭素年代法で、弥生時代は大幅に開始年代が早くなっています。これを明瞭に記載する必要があると考えています。植原の計算の骨格が崩れてしまっているからです。

この点をきちんと説明する必要があります。

新たに追加する必要があるのは、次です。

しかし、1996年頃より、炭素年代法と、年輪年代法により、弥生時代の開始時期が大幅に、早くなった。古い弥生時代の開始時期よりも数百年弥生時代の開始時期が早くなっているため、植原の仮説、計算は根拠を失っている。

以上です。 --240F:73:24B3:1:E88F:8E81:27B8:F807 2020年10月12日 (月) 16:19 (UTC)[返信]

文献の追加です。、大量にありますが。 手短には、例えば、 春成秀爾 見直しがすすむ弥生時代  「科 学」 Jan. 2008 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/kagaku/harunari0801.pdf --240F:73:24B3:1:E88F:8E81:27B8:F807 2020年10月12日 (月) 17:21 (UTC)[返信]