ドラム缶女性焼殺事件
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ドラム缶女性焼殺事件(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、2000年4月(平成12年)に愛知県で発生した殺人事件。
事件の概要
Nは、金融業を営む父親から愛知県名古屋市千種区の喫茶店経営のAが振り出した約束手形(額面240万円)の回収を頼まれたが、Aは資力がないためか一向に手形金の支払いに応じなかった。そこで中古車販売業のKに債権回収の相談をした。KはさらにT・U・V・Wの4人に債権取り立てをさせたが、Aは返済に応じなかった。
そこでNとKはAを拉致殺害することを計画、躊躇する4人に対して応じなければ生命保険金目当てに殺害すると脅迫した。そして2000年4月4日にAの自宅前で待ち伏せしていた。帰宅して来たAに角材で襲い掛かったが、負傷させたものの逃げられてしまい拉致に失敗した。しかし一緒にいたAの妻と妻の妹を乗用車ごと拉致した。現金2万4000円などを奪ったうえに、瀬戸市の山林に連れ込んで粘着テープで拘束した2人を生きたままドラム缶に押し込んだ上で、ガソリンをかけて焼死させた。さらに犯行の痕跡を消そうと遺体をチェーンソーなどで切断、山中に放棄した。しかしAの通報により愛知県警察はNら犯行グループ6人を指名手配した。そしてTら4人は逮捕され、その自供から4月10日にNとKは逮捕された。その後の捜索で炭化した遺体の一部が山林から発見された。
裁判と刑の執行
裁判で検察側は実行グループ6人のうち女性の焼殺に関与したN・K・T・Uの4人に死刑を求刑した。これは加害者グループと債務者Aとは直接関係のない居合わせただけの落ち度のない女性2人を助命嘆願を無視し生きたまま焼き殺したことが極めて犯行態度が悪質であるというものであった。主犯Nは死刑を受け入れると表明したが、Kら3人はNの犯行計画に従っただけであるとして死刑回避を求めた。一審の名古屋地方裁判所は2002年2月21日にTとUには無期懲役[1][2]、拉致には関与したが殺害行為には参加しなかったVとWには懲役12年を言い渡したが[1][2]、NとKは死刑判決であった。判決はNを主犯と認定した上で、Kの存在がなければ一連の犯行計画遂行は為しえなかったものであり、Nと同様にKも犯行態度は悪質であるから同等の刑事責任を受けるべきであるとの主旨の判決であった[3]。
2人は控訴したが、2003年3月12日に控訴棄却し[3][4]、最高裁も2006年6月9日に上告を棄却し、両者の死刑が確定した[5]。両者は死刑囚として名古屋拘置所に収監されたが、法務省から送られてきた死刑執行に関する説明書の一部を拘置所が内容の一部を抹消したうえで手渡されたことに対し、Aは拘置所側を裁量権の逸脱であると慰謝料を求める訴訟を提起した。この訴訟ではAが勝訴している。[要出典]
なお、Nは死刑囚になった後、そもそもの事件の原因をつくった父親の姓からSに改名している。またKは事件はSから指示されてやっただけなどとして、2008年7月に再審請求をしたが12月には再審開始の理由にあたらない棄却された。[要出典]そして共犯2人が死刑囚の場合には原則として同じ日に死刑を執行するという慣習のために、死刑判決確定から2年半後の2009年1月29日に両者の死刑が執行された。同日には長野・愛知4連続強盗殺人事件の死刑囚他1名の死刑も執行されている。
出典
- ^ a b “姉妹焼殺で控訴棄却 2人の無期懲役を支持”. 共同通信. (2003年6月19日) 2009年3月22日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “姉妹焼殺で2審判決 主犯の指示受けた4被告”. 共同通信. (2003年6月19日) 2009年3月22日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “姉妹焼殺2被告2審も死刑 残虐さに戦慄と名古屋高裁”. 共同通信. (2003年3月12日) 2009年3月22日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “姉妹焼殺で2審も死刑 主犯格2人に名古屋高裁”. 共同通信. (2003年3月12日) 2009年3月22日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “2被告の死刑確定へ 愛知・姉妹焼殺、上告棄却”. 共同通信. (2006年6月9日) 2009年3月22日閲覧。[リンク切れ]
関連項目
- 闇サイト殺人事件 - 同じ愛知県で発生した被害者1人に対し共犯3人とも死刑が求刑された事件
- 三島女子短大生焼殺事件 - この事件においても被害者の殺害方法に焼殺が用いられている