石倉小三郎

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石倉 小三郎
人物情報
生誕 (1881-06-15) 1881年6月15日
日本の旗 日本東京府
死没 1965年10月30日(1965-10-30)(84歳)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 文学(ドイツ文学)
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石倉 小三郎(いしくら こさぶろう、1881年6月15日 - 1965年10月30日)は、日本の音楽家、ドイツ文学者。

経歴[編集]

1881年、東京生まれ。1898年、東京府尋常中学校(現・東京都立日比谷高等学校)を卒業。東京帝国大学を卒業。東京音楽学校講師、第四高等学校(金沢)教授、第八高等学校(名古屋)教授、第七高等学校(鹿児島)教授をつとめた後、高知高等学校校長、大阪高等学校校長、大阪理工科大学予科長。1953年からは相愛女子短期大学教授を務めた。

1903年(明治36年)、東京音楽学校での日本人最初のオペラ(クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」)の訳詞を、乙骨三郎近藤朔風などと共に担当し、ラファエル・フォン・ケーベルのピアノ、ノエル・ペリの指揮、実業家の渡部朔(出演者の一人、渡部康三の兄)の資金援助による上演の成功に尽力した。ロベルト・シューマンの「流浪の民」の訳詞でも知られる。

著書[編集]

翻訳[編集]

脚注[編集]


公職
先代
西川順之
日本の旗 高知高等学校長
1932年 - 1938年
次代
長岡寛統