大津町駅 (愛知県)

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娯楽園駅から転送)
大津町駅
戦時中の大津町駅
おおつまち
Otsumachi
本町 (0.3 km)
(1.2 km) 土居下*
所在地 名古屋市中区
北緯35度10分42.2秒 東経136度54分18.5秒 / 北緯35.178389度 東経136.905139度 / 35.178389; 136.905139 (大津町駅)
所属事業者 名古屋鉄道
所属路線 瀬戸線
キロ程 1.0 km(堀川起点)
駅構造 地上駅掘割構造
ホーム 相対式 2面2線
開業年月日 1926年大正15年)5月26日[1]
廃止年月日 1976年昭和51年)2月15日
備考 新線建設に伴う廃止。
*瀬戸方0.9km先にある東大手駅は廃止時休止中
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大津町駅(おおつまちえき)は、かつて愛知県名古屋市中区にあった名古屋鉄道瀬戸線廃駅)である。

栄町駅への延伸工事に伴うお濠区間の廃線とともに、駅も廃止となった。

駅の名称は大津町であるが、市電電停やバス停の名称と混同され、一般には大津橋と呼ばれることがよくあった。

概要[編集]

近くには、愛知県庁名古屋市役所などの官庁街があり、また、市電・市バス大津橋停留所や名鉄バス国鉄バス県庁前バス停などに隣接していたため、名古屋駅方面への乗り換えが可能で、さらに後年には北側に名古屋市営地下鉄名城線の市役所駅(現:名古屋城駅)が開設されるなど、都心北部の交通の要所であった。

当駅が廃止された際に東大手駅が復活した後は、当駅に代わって東大手駅が急行停車駅となり、現在に至っている。

年表[編集]

駅構造[編集]

名古屋城外堀を利用した掘割構造相対式2面2線のホームであった。駅舎は、外堀の中とはいえ、売店等を備えた木造の立派なものであり、昭和40年代に増築もなされた。

いわゆる「お濠区間」では最も乗降客が多かったこと、本町駅にあったガントレットの関係で堀川駅までが1つの閉塞区間とされていたこと、同駅までは市電と並行していたことなどから、特急を含め、大曽根以西に運行される電車の多くが当駅発着となっていた。そのため、折り返し用としての渡り線や引き上げ線が設置してあった。尾張瀬戸方面からの大津町行の電車は、到着後一旦堀川駅方向へ移動し、折り返して渡り線を渡って、尾張瀬戸方面ホームに入線していた。

配線図[編集]

大津町駅 構内配線略図

大曽根方面
大津町駅 構内配線略図
堀川方面
凡例
出典:[3]


現況[編集]

現在は、駅施設跡として、外堀を渡る大津橋の南詰西側から駅舎跡地に降りる階段や手すりが残されている。夏には緑が草深く生い茂り、駅の跡地を覆う。本町駅との間の外堀はホタルヒメボタル)の名所としても知られている。

瀬戸線が敷かれていた名古屋城外堀のうち鉄道用地として不要な部分は、2012年に名鉄から国土交通省(国道22号部分)および名古屋市(その他)に寄付され、当駅跡地は名古屋市の所有となっている[4]

隣の駅[編集]

名古屋鉄道(名鉄)
瀬戸線
本町駅 - 大津町駅 - (久屋駅) - (東大手駅) - 土居下駅
東大手駅は、1944年(昭和19年)から大津町駅廃止後の1978年(昭和53年)まで休止
久屋駅は、1941年に休止されたまま廃止

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 地方鉄道法による鉄道変更直後の『大正10年 愛知県統計書』(1921年)には娯楽園駅の記載がないが、一方で大津町駅開業後であるはずの『昭和2年 鉄道停車場一覧』(1927年)に未だ娯楽園駅として掲載されている。

出典[編集]

  1. ^ a b 松永直幸「名鉄沿線 歴史のある風景 補遺」『鉄道ピクトリアル』第864巻、電気車研究会、2012年7月、151頁。 
  2. ^ a b c d e 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海』新潮社、2008年、46頁。ISBN 978-4107900258 
  3. ^ 益井茂夫 「30年前の瀬戸線の駅配線」、『鉄道ピクトリアル No.624 1996年7月増刊号』、p.131、電気車研究会、1996年
  4. ^ 特別史跡名古屋城跡の概要 - 名古屋市