牧野古墳

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牧野古墳
所在地 奈良県北葛城郡広陵町馬見北8丁目
位置 北緯34度33分15.5秒 東経135度43分27.0秒 / 北緯34.554306度 東経135.724167度 / 34.554306; 135.724167
形状 円墳
規模 直径約50m 高さ13m
築造年代 古墳時代後期末
埋葬施設 横穴式石室
出土品 金銅製装身具・馬具ほか多数
指定文化財 国の史跡(1957年指定)
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牧野古墳(ばくやこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町に所在する古墳時代後期の円墳である。1957年に国の史跡に指定されている。

概要[編集]

本古墳は、奈良盆地の西側に拡がる馬見丘陵の尾根先端部に位置し、馬見古墳群の中央群に属する。築造は石室や石棺、出土遺物から6世紀末と見られている。この頃から7世紀初頭にかけて、列島各地で大王墓や首長墓として造り続けられてきた前方後円墳が築造されなくなる。代わって採用されたのは方墳や円墳でる。このことは前方後円墳祭祀が終焉を迎えたことを示しており、古墳の形態で力を誇示する時代[1]ではなくなった。

墳丘[編集]

三段構築の円墳で、直径約50メートル、高さ13メートル。

埋葬施設[編集]

埋葬施設は墳丘の中ほどに造られており、南面に開口した両袖式の全長17.1メートルの横穴式石室である。 この石室は巨石を積んでおり、明日香村石舞台古墳に次ぐ規模である。

玄室内には凝灰岩家形石棺2基が納められている。奥壁の方に安置された石棺は長さ2.1メートルの刳抜式、その手前の方に置かれていた石棺は形が崩れていたが破片や痕跡から長さ2.6メートルほどの組合式であったと推定されている。

被葬者[編集]

本古墳は、この時期[2]では墳丘規模が最大級であることから、被葬者は大王に近い支配者層の墓と考えられ、敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子であると推定されている。

副葬品[編集]

くちなし玉(左)・ガラス玉(右)
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。

玄室内を中心に玉類、金銅製山梔(くちなし)玉、金環等の装飾品、銀装大刀、矛、鉄鏃等の武器、金銅装の馬具二組、木芯金銅椀、須恵器等などが検出された。

脚注[編集]

  1. ^ 前方後円墳体制参照
  2. ^ 前方後円墳を採用しなくなった時期

参考文献[編集]

  • 清野孝之「牧野古墳 -前方後円墳の停止」/独立行政法人文化財研究所・奈良文化財研究所監修『日本の考古学 -ドイツで開催された「曙光の時代」展』小学館 2005年 ISBN 4-09-681821-6

関連項目[編集]