牧港補給地区

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牧港補給地区
キャンプ・キンザー
浦添市
Camp Kinser.png
牧港補給地区
キャンプ・キンザー
種類 FAC6056
面積 2,727,000㎡
施設情報
管理者 沖縄の米軍基地 海兵隊
歴史
使用期間 1945-
キャンプ瑞慶覧の場所と返還計画
牧港補給地区での CBRN 訓練の様子。
2013年5月24日、海兵隊遠征部隊55周年記念のパレード。
キャンプキンザーで撮影された、ベトナムからの化学物質。(1971年5月11日)

牧港補給地区(まきみなとほきゅうちく)、あるいはキャンプ・キンザー英語: Camp Kinser)は、沖縄県浦添市の西部(沖縄本島中南部の西海岸)に立地するアメリカ海兵隊兵站施設(基地)。沖縄戦で戦死し名誉勲章を追贈されたエルバート・ルーサー・キンザー海兵隊先任伍長にちなむ。キャンプ・バトラーの一部となっているが、キャンプ・バトラーは物理的な基地を意味するものではなく、沖縄の海兵隊施設全体を包含する際の呼称である。

浦添市西部から浦添市北部にかけて長さ約3km、国道58号から西海岸にかけて幅約1km、市面積の約14%を占めている。戦後から沖縄の本土復帰前(沖縄返還前)にかけて、軍需物資の貯蔵や補給、修理などのための巨大な倉庫群・兵舎が建設され、米陸軍の極東随一の総合補給基地となった。

牧港補給地区が占める土地のうち、およそ約90%は私有地である。2,205人の地主に年間45億円を超える賃借料が地主に支払われている。また同市の市街地と西海岸開発計画地域の間に位置する為、都市計画にも多くの影響を与えている。

概要[編集]

浦添市の国道58号から西側の海岸までの南北3km、東西1kmに及ぶ広大な土地を占有し、那覇新港や商業地区の西海岸と国道58号の間に位置し、振興開発の大きな弊害となっている。

  • 施設面積:2.694km2[1] (2019年1月1日)
  • 所有形態:国有地 0.290km2(全施設面積の約11%)、私有地 2.447km2(同約89%)
  • 管理軍別:アメリカ海兵隊
  • 推定兵力:約2,160人
  • 使用用途別:倉庫
  • 地主数:2,205人
  • 年間賃料:約45億円
  • 従業員数:1,154人

歴史[編集]

  • 1944年昭和19年)4月 - 日本陸軍沖縄南飛行場として着工。9月に完成、1830mの滑走路を持つ小型特攻隊用の飛行場として建設されるが実際には使用されず。
  • 1945年(昭和20年)4月28日 - 米軍が陸軍沖縄南飛行場を接収、戦後、物資集積所として再建される[2]
  • 1948年(昭和23年) - 天願から米陸軍第二兵站補給団が移駐
  • 1972年(昭和47年) - 沖縄の本土復帰(沖縄返還)の際に、最高統治機関として同地域に設置されていた米国民政府が廃止されたことや、業務の大幅な整理縮小が行われたことで軍雇用員が大量解雇され、社会問題になった。
  • 1978年(昭和53年) - 米陸軍から米海兵隊に移管され、キャンプ・フォスターから第三海兵隊役務支援本部などが移駐した。

小湾地域[編集]

  • 小湾は同市で唯一、全地域が同基地に収容された字である。現在は僅かに基地外にも小湾地域はかかっているもののエフエム沖縄沖縄食糧などがあるのみで住宅地はない。そのため小湾住民は宮城に移住させられた。なお、小湾という名称は、宮城の「小湾自治会」や県道251号(パイプライン)の「小湾バス停」として残っている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)別一覧”. 2019年4月6日閲覧。
  2. ^ 報道制作局, 琉球朝日放送. “65年前のきょうは1945年4月28日” (日本語). QAB NEWS Headline. 2020年4月12日閲覧。

外部リンク[編集]

座標: 北緯26度15分30秒 東経127度42分00秒 / 北緯26.25833度 東経127.70000度 / 26.25833; 127.70000