片平 (川崎市)

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片平
—  町丁大字  —
神奈川県立麻生総合高等学校
片平の位置(神奈川県内)
片平
片平
片平の位置
座標: 北緯35度35分30.23秒 東経139度29分28.7秒 / 北緯35.5917306度 東経139.491306度 / 35.5917306; 139.491306
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
麻生区
面積[1]
 - 計 1.80km2 (0.7mi2)
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 - 計 11,693人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 215-0023[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

片平(かたひら)は、神奈川県川崎市麻生区地名1982年昭和57年)から2006年平成18年)にかけて住居表示が施行された町丁としての片平一丁目から八丁目[5]と、2013年(平成25年)12月9日現在で住居表示が施行されていない、大字としての片平[6]が併存している。郵便番号は215-0023[3]2010年国勢調査時点での面積は1.80 km2[1]

地理[編集]

麻生区の西部に位置し、全体が多摩丘陵の上にある[7]麻生川の支流である片平川が域内を北西から南東へ流れ、それに沿って神奈川県道137号上麻生連光寺線が並走する[8]ほか、東端を神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)が通過している。北部や東部は小田急多摩線の整備に合わせて土地区画整理事業が行われ[8]住宅地となっている[7]が、南西部に残る丁目の付かない片平は市街化調整区域となっており、田畑や雑木林などの景観が残っている[8]

片平は北東端で栗平白鳥五力田と、東端で麻生川を挟んで上麻生と、南西端で東京都町田市能ヶ谷広袴町と、西端で栗木と接する(特記のない町域は神奈川県川崎市麻生区)。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば、片平4-3-29の地点で17万2000円/m2となっている。

歴史[編集]

古代[編集]

当地からは葉積台遺跡・片平遺跡・仲町遺跡など、縄文時代の早期・前期・中期・後期に渡る遺跡が発掘されている[7]。特に、仲町遺跡からは柄鏡形の敷石住居が発掘されており、建築に石を用いた例として初期に当たる[9]

また、南西に「富士塚」と呼ばれる古墳があり、その名の通りかつては富士山が見渡せたといい[8]、近世には富士信仰の場ともなっていた[7]

中世[編集]

当地に所在する修廣寺は、末寺を8箇所有する大寺院であったが、その創建は永享年間(15世紀前半)と伝わる[10]

片平は『小田原衆所領役帳』に「小机片平郷」として載っている[7]が、この時点では古沢五力田も片平郷の一部とされており、江戸時代へ移る前に分立していった[11]。なお、豊臣秀吉小田原征伐に先立って、当地など9か村に禁制を出しており、その実物も現存している[12]

江戸時代[編集]

江戸時代の当地は当初旗本の前場氏領であったが、後に天領となり、また一部には修廣寺領もあった[13]。片平川とそこから伸びる谷戸に水田が作られ、台地上は畑地となっていた[7]

は、正保期の『武蔵田園簿』で268(別途志光寺領が3石4斗)、『元禄郷帳』で300石1斗あまり、『天保郷帳』で295石9斗あまり、幕末の『旧高旧領取調帳』で天領分が292石7斗あまり、修廣寺領が3石9斗あまりとなっていた[13]。年貢以外の賦役として、1768年明和5年)以降、布田五宿甲州街道)の助郷を務めた[13]

明治以降[編集]

明治維新以降、当地は神奈川県に属し、行政上片平村→柿生村川崎市と推移していった。明治に入って養蚕が盛んとなり、また禅寺丸柿も広く作られるなど[13]、当地は農村として推移していった。養蚕は大正時代に全盛期を迎えるが、昭和恐慌の影響で、都市近郊にあることを生かした野菜シイタケ栽培へと主力が移っていった[6]

当地では第二次世界大戦中から住宅地化の動きが見られたが、戦後にはそれが加速していった[14]。そのような流れの中で、市は当地を市街化調整区域に指定して乱開発を抑える一方、小田急多摩線の建設に合わせて土地区画整理事業が行われ、完了した区域は市街化区域に編入されていった[15]。平成に入ってからも、尻手黒川道路と片平川の整備に合わせて土地区画整理事業が行われている[16]

地名の由来[編集]

当地は片平川を境として、北東側が崖であるのに対し、南西側が緩やかな台地であることから、「片側が平ら」という地形から付いた地名だと考えられている[7]

沿革[編集]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

大字丁目 世帯数 人口
片平 316世帯 597人
片平一丁目 775世帯 1,722人
片平二丁目 959世帯 1,922人
片平三丁目 838世帯 1,686人
片平四丁目 1,085世帯 2,507人
片平五丁目 760世帯 1,842人
片平六丁目 246世帯 610人
片平七丁目 231世帯 563人
片平八丁目 99世帯 244人
5,309世帯 11,693人

交通[編集]

鉄道[編集]

小田急電鉄多摩線が当地の北端を通過するが、当地に駅はない。同線の五月台駅栗平駅および、小田原線柿生駅が利用可能である。

路線バス[編集]

小田急バス町田営業所管轄)が、柿生駅と若葉台駅を結ぶバスを、神奈川県道137号上麻生連光寺線に沿って運行している。この他にも、神奈川中央交通が同県道や神奈川県道3号世田谷町田線に沿った路線を運行しているが、本数は極めて少ない。

道路[編集]

域内を東西に神奈川県道137号上麻生連光寺線が通過するほか、都市計画道路として尻手黒川道路の計画があり、一部では県道137号と重複する。また、東端を南北に神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)が通過している。

施設[編集]

教育[編集]

なお、公立の小学校の学区は、以下のようになっている[18]。中学校は片平・片平1丁目~8丁目の全域で川崎市立白鳥中学校である[19]

町丁・字 番地 小学校
片平 全域 川崎市立片平小学校
片平一丁目 4番以外
4番 川崎市立柿生小学校
片平二丁目 全域
片平三丁目
片平四丁目
片平五丁目 全域 川崎市立片平小学校
片平六丁目
片平七丁目
片平八丁目

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ 区別町名一覧表(麻生区) 川崎市、2013年12月9日現在(2014年2月19日閲覧)。
  6. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典 14 神奈川県」、P.247。
  7. ^ a b c d e f g 川崎地名辞典(下)』、p.195。
  8. ^ a b c d 川崎市の町名』、p.272。
  9. ^ 仲町遺跡”. 川崎市教育委員会. 2014年2月19日閲覧。
  10. ^ 川崎地名辞典(下)』、pp.199-200。
  11. ^ 川崎市の町名』、p.271。
  12. ^ 豊臣秀吉の禁制”. 川崎市教育委員会. 2012年6月18日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g 川崎地名辞典(下)』、p.196。
  14. ^ a b 川崎地名辞典(下)』、p.197。
  15. ^ 第4部 分野別の基本方針 II 土地利用その3 (PDF)”. 川崎市都市計画マスタープラン 麻生区構想. 川崎市まちづくり局. p. 43 (2007年10月1日). 2012年6月18日閲覧。
  16. ^ 完了地区概要”. 川崎市まちづくり局 (2012年2月1日). 2014年2月19日閲覧。
  17. ^ 沿革”. 神奈川県立麻生総合高等学校. 2014年2月19日閲覧。
  18. ^ 麻生区の小学校 川崎市教育委員会、2014年2月19日閲覧。
  19. ^ 麻生区の中学校 川崎市教育委員会、2014年2月19日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『川崎の町名』 日本地名研究所 編、川崎市、1995年
  • 『川崎地名辞典(下)』 日本地名研究所 編、川崎市、2004年
  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 角川書店1984年