片岡建
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市神奈川区釜利谷町 |
生年月日 | 1947年1月23日(77歳) |
身長 体重 |
177 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト1位 |
初出場 | 1970年7月30日 |
最終出場 | 1972年5月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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片岡 建(かたおか けん、1947年1月23日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区釜利谷町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]横浜商業高校では、エースとして1964年の夏の甲子園神奈川県予選の準決勝に進出するが、鎌倉学園の林千代作中堅手に本塁打を喫し敗退。
高校卒業後は、神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは3度の優勝に貢献。1966年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、延長11回、日大に敗れた。大学同期に村越稔捕手がいる。1968年には秋季にリーグ最優秀選手となり[1]、明治維新百年記念明治神宮野球大会に神奈川五大学選抜チームの一員として出場。1回戦で久玉清人をリリーフし、村越とバッテリーを組んで登板するが、関西六大学選抜に敗退した。
大学卒業後は、社会人野球のリッカーミシンへ入団。1969年の都市対抗に出場し1勝をあげる。
1969年のプロ野球ドラフト会議で東映フライヤーズから1位指名を受け、翌年の都市対抗後に入団[2]。1971年には24試合に登板するが、その後はあまり登板機会に恵まれず、1975年限りで引退[2]。直球に威力があり、シュートとカーブを武器にした。
引退後は、球団職員となる[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1970 | 東映 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 8 | 2.0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 9.00 | 1.50 |
1971 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 179 | 42.0 | 50 | 5 | 10 | 0 | 2 | 8 | 0 | 0 | 19 | 18 | 3.86 | 1.43 | |
1972 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 64 | 15.0 | 11 | 2 | 11 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 10 | 7 | 4.20 | 1.47 | |
通算:3年 | 33 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 251 | 59.0 | 63 | 7 | 22 | 0 | 2 | 13 | 1 | 0 | 31 | 27 | 4.12 | 1.44 |
記録
[編集]- 初登板:1970年7月30日、対近鉄バファローズ14回戦(明治神宮野球場)、9回表から4番手で救援登板・完了、1回2失点
- 初先発登板:1971年4月11日、対西鉄ライオンズ3回戦(平和台球場)、3回1/3を3失点で勝敗つかず
背番号
[編集]- 12 (1970年 - 1973年)
- 55 (1974年 - 1975年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 片岡建 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)