燼滅作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

燼滅作戦(じんめつさくせん)とは、日中戦争支那事変)中に旧日本軍陸軍、特に北支那方面軍などが1940年8月以降、中国華北を中心に、抗日ゲリラ対策として抗日根拠地へ行ったとされる掃討作戦である。北京語では「殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす」(中国語: 杀光、抢光、烧光)の接尾文字「光」をとって三光作戦(さんこうさくせん)または三光政策(さんこうせいさく)と呼ばれている。主に共産党八路軍根拠地に対して行われたとされる[1]。ただし、日本軍に「燼滅作戦」という作戦名はなかった[2]

三光作戦[編集]

中国語での呼称である三光作戦は、1941年の『解放日報』に初出が見られるという(尚、当時の『解放日報』は、中国共産党博古が責任者を務めている)。 日本では撫順戦犯管理所等に収容され、後に解放された中国帰還者連絡会1957年カッパブックスから出版した『三光』から、この「三光作戦」という呼称が広がった[2]

日本語では「三光(参照:Wiktionary)」と言うと三光鳥サンコウチョウの呼び名などでも知られるように、大抵は「」の三つの光を指して言う。かつては、三光汽船という名の会社も在り、現在でも企業名や学校名などに日・月・星から付けた「三光」という名が見られる。

「三光」との呼称が中国語であることなどから、中国やそれに同調する学者やマスコミによるプロパガンダであるという見方がある[3]また「中国国内戦史でそのような作戦が行われていた事実がある」という説を唱える者もいる。その中には「中国側は清野作戦という家屋を全て焼払い、敵に隠れる場所を与えない作戦を採用しておりこれが日本軍の仕業にされた」という説もある[要出典]。一方で、三光政策という呼称で歴史的事実とする立場もある[4]日本側の資料としては、北支那方面軍司令官を務めた岡部直三郎の日記によれば、岡部は部下から「兵器製造所、病院、印刷所等を滅燼する外、敵の宿営不可能の程度に村落を焼却す」、また「行動地域内の村落は徹底的に焼却す。(略)新品被服、未完成品600着、その他弾薬等多数を集積する被服工場を発見し、焼却す。糧秣集積所に多数の岩塩を発見し、これを河中に投入す。共産紙幣及び法幣の若干を押収す」などの作戦報告を受けている[要出典]

冬季山西粛正作戦戦闘詳報[編集]

2004年7月に防衛庁は、かねてから存在の知られていた三光作戦の根拠の一つとされる、戦時史料あんの歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」を公開し、その中で山西省での燼滅作戦について『撒毒』の記述が確認された[5][6]。一方で以下の記述も確認された。

其三、住民地の状態

一、住民 殆ンド逃避シアリ為情報収集二不便ヲ感ズ

  掃討二際シテ土民ヲ獲得セル時ハ大部分成功ス

日本軍が到着した際には既に住民の殆どが逃げた後であり、掃討を行った際に住民を容易に獲得できたとしている。 つまり、三光の”殺し尽くした”の主張と反した内容が書かれている[7]

中国共産党の報復清野を奨励する方法[編集]

報復清野を奨励する方法(大公報所載より抜粋)

共匪は大いに階級闘争を主張する故に地方の不良分子は平素些細の事にも相争いあって報復する。其れは口訴、文書、孰れも歓迎するのである。報告があれば隊を派遣して包囲し其の者を縛り上げ其の者の財を掠める。如何に誣枉せられても辨訴の権利はない。甲が乙を訴ふれば乙を縛し丙が甲を訴ふれば又甲を縛し丁が丙を訴ふれば又斯くの如し、順繰りに拘引し瓜蔓の如くに連行する金銭を以て刑を贖うものは別として其の大部分は首を連ねて殺される。一地を占領する毎にまず現金を取り上げ次ぎに首飾り、次ぎに布疋次ぎに家畜、次ぎに食糧とあるだけのものを匪巣に搬入する。従ってそれ等の地方は家は岩家の如く食うにも蓄えの食糧なく鼠雀の外に家畜なく鍬鋤の外に金物は殆ど見当たらない。青野を励行して国軍の新軍討伐に困難を感ぜしめる、計略としてこれほど甚だしいものはない。

脚註[編集]

  1. ^ 秦郁彦 編『昭和史20の争点 日本人の常識』文藝春秋(文春文庫)、2006年8月、134-135頁、137-138頁。
  2. ^ a b 中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る 日中近現代史の争点35』文藝春秋(文春新書)、2006年5月、118頁。
  3. ^ 三光作戦とは何なのか 田辺敏雄
  4. ^ 「世界の歴史」編集委員会編『もういちど読む山川世界史』山川出版社(2009)p246,247
  5. ^ 「戦史資料:致死性の毒ガス「イペリット」を使用 防衛庁」『毎日新聞』2004年7月26日。
  6. ^ 吉見義明毒ガスであると主張している。吉見義明『毒ガス戦と日本軍』p.351 岩波書店、2004年 ISBN 9784000241281
  7. ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070444000、歩兵第224連隊 冬期山西粛正作戦 戦闘詳報 昭和17年2月2日〜17年3月4日(防衛省防衛研究所)」

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]