熊谷直高

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熊谷 直高(くまがい なおたか、宝治元年(1247年) - 弘安7年7月13日[1]1284年8月25日))は、鎌倉時代中期の御家人武将安芸国本庄系熊谷氏の当主。父は熊谷直時[1]、子は熊谷直満[1]、直義[1]、有直[1]、時直[1]、直泰[1]。兄弟に熊谷直久[1]熊谷直基[1]がいる。妻は佐々木景綱の娘。通称は二郎[1]、法名は行蓮・道忍[1]。官途は図書介。

生涯[編集]

熊谷直時の嫡子として、武蔵国熊谷郷で生まれた。1274年(文永11年)に熊谷郷の木田見長家所領の半分が直高の所領となった(熊谷家文書第21号)。しかしこの時期は軍の襲来が行われた時期で、西国・九州防衛の観点から、多くの東国武士団が本拠を西国に移しており、この元寇をきっかけに熊谷氏宗家も熊谷郷から三入庄へ本拠を移すこととなった。同年10月頃に武田信時らも安芸国へと下向しており、直高も同時期10月頃には下向したと思われる。

翌年の1275年(建治元年)に、三入庄に新野頼章の一族が一部地頭として入部してきた。頼章の嫡子・新野頼俊(直高妹婿)と直高は所領を巡って争い、ついに1284年(弘安7年)、三入上村で戦闘に及び、直高は無念の討死を遂げた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 今井尭ほか編 1984, p. 335.

参考文献[編集]

関連項目[編集]