熊谷直満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

熊谷 直満(くまがい なおみつ、弘長3年(1263年) - 元応元年(1319年8月5日[1])は、鎌倉時代中期の御家人武将安芸国本庄系熊谷氏の当主。名前は直光とも[1]。父は熊谷直高[1]、子は熊谷直経[1]熊谷直継。兄弟に熊谷直義熊谷有直熊谷時直熊谷直泰がいる[1]。妻は小早川雅平の娘。通称は彦四郎、彦二郎[1]、法名直性[1]

生涯[編集]

若くして父が討死したこと等により、本庄系熊谷氏の勢力は地に落ち、この頃には新庄系熊谷氏が勢力を振るい、三入庄の支配権を握っていた。1298年(永仁6年)4月頃には、領地を他へ譲り渡すこととなり、またもや所領を減らした。しかし1300年(正安2年)に、熊谷直実の頃から熊谷郷を巡って争っていた久下氏の当主・久下光直と和解に至った。

直満は1319年(元応元年)に病死し、跡を子の熊谷直経が継いだ。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f g 今井尭ほか編 1984, p. 335.

参考文献[編集]

関連項目[編集]