無奴学派

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無奴学派
各種表記
ハングル
漢字 无奴学派/無奴學派
発音 ムドガクハ
日本語読み: むどがくは
英語 Wunu school
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無奴学派
黄现璠教学地-广西师范大学.jpg
広西師範大学 - 無奴学派の誕生地
生誕 1979年(記事の「学派の誕生」を参照してください)
研究分野 中国古代社会形態論
研究機関 *広西師範大学
*青海師範大学
*北京師範大学など
主な業績 学術
中国古代社会形態論の研究
成果 (著作と論文の一部抜粋)
*中国民族歴史に奴隷社会がないことについて」(黄現璠、『広西師範学院学報』2-3号、1979年)
*奴隷制の歴史地位概論」(張広志、『青海師範学院学報』1-2号、1980年)
*古代中国に奴隷社会の発展段階がないことについて」(黄偉城、『広西民族学院学報』2-3号、1980年)
*中国古代社会の性質に関する意見」(祝中熹、『青海師範学院学報』3号、1980年)
*中国歴史に奴隷社会がない論』(黄現璠、広西師範学院、1981年)
*奴隷制の歴史における最初の国家が奴隷制国家ではないことについて」(縱瑞華、『青海師範学院学報』2-3号、1981年)
*アジア的生産様式と歴史発展の五段階論に就いて」(胡鐘達、『中国史研究』3号、1981年)
*タイ族奴隷制に関する質問」(曹成章、『民族研究』1号、1982年)
*茂汶県羌族地区が奴隷社会の段階を経験していないこと」(李汝能、『西南民族大学学報』2号、1982年)
*原始社会の後に奴隷社会とは限らないことについて」(薛恵宗、『江淮論壇』2号、1982年)
*古代シボ族の社会性質分析」(呉扎拉·克堯、『北方文物』3号、1982年)
*チワン族には奴隷社会がないことについて」(張一民、黄増慶、『広西民族研究参考文献』3号、1983年)
*漢代は奴隷制社会であるのか」(沈長雲、『天津社会科学』3号、1983年)
*家父長制奴隷の分析」(満都爾図、『思想戦線』5号、1983年)
*南詔社会性質の質問」(杜昆、『西南師範大学学報』1号、1984年)
*ミャオ族社会歴史の発展特性について」(張永国、『貴州民族研究』1号、1986年)
*奴隷制研究に関するいくつかの奴隷制理論的な問題について」(易謀遠、『貴州民族研究』4号、1986年)
*中国少数民族の社会発展遷移段階に対するいくつかの問題を探る」(況浩林、『内モンゴル社会科学』6号、1986年)
*シェ族の古代社会形態の移行問題について」(王克旺、『東南文化』1号、1987年)
*老子から古代中国社会への議論」(胡曲園、『復旦学報』1号、1987年)
*先秦社会形態に関する研究」(陸中明、『西部論壇』2号、1987年)
*中国古代社会の奴隷制問題」(朱晞、『青海師範大学学報』2号、1987年)
*奴隷制問題に関する研究」(莫金山、『青海師範大学学報』3号、1988年)
*ヌルハチ時期の女真社会性質」(王勝国、『松遼学刊』3号、1988年)
*奴隷社会が人類歴史の必経段階ではないの研究』(張広志、青海人民出版社、1988年)
*タイ族古代社会形態の移行と奴隷制問題」(何平、『広西民族研究』2号、1990年)
*チワン族の早期社会形態について」(顔恩泉、王明富、『雲南社会科学』6号、1990年)
*ヤオ族の古代社会段階の区分について」(黄鈺、『広西民族研究』1-2号、1991年)
*人間社会は一般の奴隷制を経験しているのか」(呂丹、『貴州師範大学学報』2号、1993年)
*歴史発展の五段階論に質問」(段忠橋、『中国人民大学学報』4号、1993年)
*春秋戦国時代における奴隷制のいくつかの問題を探る」(晁福林、『北京師範大学学報』6号、1996年)
*中国古代史システムの再構築について」(葉文憲、『史学月刊』2号、2000年)
*真の学問と虚偽の問題 - 中国社会形態の考察」(王学典、『東岳論叢』4号、2000年)
*中国古代史の区分論」(啓良、『湘潭大学社会科学学報』5号、2001年)
補足
脚注:[1]
プロジェクト:人物伝

無奴学派(むどがくは、略語「無奴派」)とは、中国の歴史学者黄現璠を始祖とする中国歴史学における一学派を指し、創始した黄現璠が「無奴論」(無奴隷社会論)を提唱したため、この名がある。この名称は、陳吉生教授が2010年に発表した長大な論文の中で用いられた。なお、ここでいう「無奴」とは、「奴隷社会が不在である(無い)」という見解であり、「奴隷がいない」あるいは「奴隷制がなかった」の意ではない。

歴史的な背景[編集]

有史以来、人が人を所有するという奴隷制度は世界中どこにでも見られた。古代のある時期、奴隷社会の主な労働力となっている体制を奴隷制と呼ぶ。この奴隷制は、唯物史観の発展段階論において、原始共産制以降、生産力の増大にともなって生産関係も変化し、封建制へと至る途中の段階とされる。言い換えれば、原始共産社会から封建社会へと移行するあいだの階級社会が奴隷社会とされる。中国史において、唯物史観的発展段階論を適用した場合の奴隷制について、近代以降、中国史を専攻する学者たちは、ヘーゲルマルクスによって押された「アジア的停滞」の烙印を何とかして剥がそうと試みた。そのさきがけとなったのが郭沫若である。郭沫若はその著書『中国古代社会史研究』(1930年)において発展段階論を中国史に適用し、西周を奴隷制の時代とし、春秋時代以降を封建制とした。これに対して呂振羽(商)代を奴隷制、周代を封建制の社会だとして反論し、この論争は結論を見ないままに終わることになる。

1949年以降、郭沫若を代表とする中国のマルクス主義歴史学者は、中国古代史学においては、殷商時代、西周時代、あるいは秦漢時代を奴隷制の時代とし、原始共産制以降発展し、封建制へと至る奴隷制社会として「有奴論」を主張した[2]。この「有奴論」は毛沢東の庇護を受け、歴史教科書に記された[3]。これにより、唯物史観の発展段階論によって国民を教育し、「人類の歴史は階級闘争の歴史である」という学説を強制的に教え込んだのである。このような政治環境の中で、それに反対することは懲役の可能性があるため、「有奴論」に敢えて反対するものはいなかった[4]。しかし、アメリカ太平洋大学アジア研究センターのジェフリー・G・バロ歴史学教授、およびカリフォルニア大学歴史学教授ジョージ・V・H・モズレーは以下のように指摘した。

  • 「マルクスの著作に対する理解の混乱があってはっきりと説明できないため、この地区(チワン族地区)の伝統的な中国の解釈の観点は、依然として人びとに懐疑の意を示させた。伝統的な観点によれば、チワン族代の前に奴隷社会に属し、そこで国家を創立することはあり得ない。黄現璠と国際史学界に公認されたチワン族歴史学者は、納得できる自説を展開しており、過去何回も詰問に遭った部分を雄弁に論証した。つまり、伝統的な観点(唯物史観の発展段階論)はチワン族社会を説明することに適しないのだ」(バロ)[5]
  • 「この観点のために、黄現璠は非難に何度も遭いた。」(モズレー)[6]

学派の誕生[編集]

このような政治背景の中で、学派の創始者である黄現璠は、懲役のリスクを恐れることなく、1957年1962年1979年および1981年に発表した長大な論文や著作のなかで[7]、「奴隷制」と「奴隷社会」とを同一視することはできないと論じ、中国古代史において奴隷社会は存在しなかったという大胆な主張を展開し、先史時代までを原始共産社会、殷商から戦国時代までを領主封建社会、秦漢からアヘン戦争までを地主封建社会とする区分法を中心に中国史の社会形態論を展開し、古代中国は「無奴隷社会」であったと唱え、「無奴論」を説いたのである[8]

黄現璠の「無奴論」と「奴隷社会跨越論」登場後、これらは、中国歴史学界の普遍的な反応を得た。広西民族大学莫金山教授が語るところによると、「1979年に、黄現璠は『中国民族歴史に奴隷社会がないことについて』という重要な論文を発表したのちに、張広志、胡鍾達の両教授の熱烈な支持を得た。筆者の大まかな統計によれば、現在の中国史学界では発表したこの種類の文章はすでに百編近くなった。『中国民族歴史に奴隷社会がない』の支持者は日に日に増える各種の兆しがある」と表明した[9]西安理工大学人文学院の王長坤、魯寛民、尹潔教授が語るところによると、「1979年に、黄現璠は『中国民族歴史に奴隷社会がないことについて』という重要な論文を発表した後に、張広志、胡鍾達、沈長雲など教授の熱烈な支持を得て、その上、支持者はだんだん多くなって、ここ数年来発表したこの種類の文章は百編すでに近くなった。現在には「無奴学派」の支持者はだんだん多くなるようで、1種の熱気あふれるような活況を呈している。それに対し、郭沫若を代表にした「有奴派」の追随者は決して多くなく、新味に乏しく、批判者の力強い挑戦を受けでいる」[10]

青海師範大学の元学長で教授の張広志が語るところによると、「文化大革命10年の時期に、林彪4人組毛沢東の名を借りて、郭沫若の中国古代社会発展段階説をただ尊重することに確約した。改革開放後の新しい時代の比較的な自由な学術環境の到来に従って、何人かの学者が根本的に再び中国古代社会発展段階説の問題を検討することに決心を促し、つまり、中国の歴史は底に上がって1つ奴隷社会発展段階が存在したかどうか、もしその問題が根本に存在しないならばまた、そこに中国の奴隷制社会と封建社会の時代区分と制限問題を論争するのは、でたらめではないだろうか。改革開放新時期に、古代中国に奴隷社会の発展段階がないと主張している学者は黄現璠、張広志、胡鍾達、沈長雲、晁福林などである」[11]としており、さらに張は、「しかも、最初にこの史学ペナルティエリアを突き破りのは黄現璠先生であった」[12]と述べている。

上海復旦大学の陳淳教授は「1979年に、黄現璠は「中国民族歴史に奴隷社会がないことについて」という重要な論文を発表したの後に、引き続いて、張広志も1980年に「中国奴隷制度の歴史地位について」という論文を発表した。1982年まで着いて、だんだん多くなる学者は必ず奴隷社会の発展段階が決して人類歴史全体にあてはまる発展段階ではないことに傾いて、殷商は決して奴隷社会ではないことは中国歴史学界の共通認識になった」[13]と語っている。こうした基礎の上に、改革開放の新時代には中国歴史学界における「無奴学派」(略語「無奴派」)は徐々に形成されていった。

主要な主張[編集]

黄現璠は、「マルクスの発展段階説が全人類史的=全世界史的に見た歴史であって、個々の地域や民族の歴史ではない。したがってヨーロッパ諸国でも、それぞれの国の歴史でも必ずしも常に当てはまるとはいえず、ましてや中国古代史にも当てはまらない。奴隷社会とか、世界史に通じる用語がない。中国古代史のなかには決して奴隷社会が存在しない。特に、マルクスの発展段階説が中国の個々の地域史や民族史にそのまま当てはまらない」[14]などと主張し、郭沫若を代表とする教条主義的な史観に向かって猛烈な批判を展開した。これは「無奴学派」の主要な主張である。

論争[編集]

日本国立民族学博物館塚田誠之(つかだしげゆき)教授は「黄現璠はチワン族社会の発展段階が氏族社会から直接に初期の封建社会に入り、転換の起点が唐宋の時代に始まったと考えた。それによって、古代チワン族社会の特質をめぐる論争を巻き起こした」[15]と指摘した。こののち、中国歴史学界では「無奴派」と「有奴派」に分かれ、激しい論争を戦わせることとなった[16]

特色[編集]

学派の特色は、黄現璠が提唱した「無奴論」と「社会形態論」である。学問的には史料に基づく実証的なものであって、「教条主義史学」と「有奴論」を批判し、郭沫若、範文瀾、呂振羽、翦伯賛、侯外廬、周谷城を代表とする中国マルクス主義歴史学者の発展段階論に対抗した。

代表的な学者[編集]

学派は黄現璠を創始者とし、他に張広志、胡鐘達、沈長雲、胡曲園、滿都爾圖、晁福林等教授がいる。黄現璠の弟子に黃偉城、韋文宣、張一民、黃增慶、玉時階等教授、および張広志の弟子に莫金山、李学功等教授、ほか50以上の中国歴史学者、考古学者と哲学者たちがいる。

脚注[編集]

  1. ^ 陳吉生「中国歴史学の無奴学派について」
  2. ^ 郭沫若『奴隷制時代』、人民出版社、1952。
  3. ^ 啓良「中国古史分期論」、『湘潭大学社会科学学報』第5号,2001。
  4. ^ 祝中熹「中国古代の社会性質について」、『青海師範大学学報』第3号、1980。
  5. ^ ジェフリー・G・バロ「宋代の中国とベトナム国境の少数民族―チワン族について」、『東南アジア縦横』第1号、1989
  6. ^ ジョージ・V・H・モズレー:『中国南方国境の強固さ』、カリフォルニア大学出版社、1973年、88頁。
  7. ^ 黄現璠『広西チワン族略史』、広西人民出版社、1957、22-23頁。黄現璠「桂西の土司制度」、『チワン族とヤオ族歴史科学議論会論文集第一集』、1962。黄現璠「中国民族歴史に奴隷社会がないことについて」、『広西師範学院学報』第2、3号、1979。 黄現璠『中国歴史に奴隷社会がない論』、広西師範学院、1981年。
  8. ^ 黄現璠『中国歴史に奴隷社会がない論』、広西師範学院、1981年。
  9. ^ 莫金山「中国の奴隷制度問題の議論に関する世紀末振り返って見て」、『学術研究』第7号、1996。
  10. ^ 王長坤、魯寛民、尹潔「中国古代社会性質問題に関する研究概要」、『唐都学刊』第3号、2005。
  11. ^ 張広志「中国古史分期に関する70年討論」上、『文史知識』第10号2005。
  12. ^ 張広志『中国古史分期討論に関する回顧と再考』、陝西師範大学出版社、2003、240頁。
  13. ^ 陳淳「社会進化モードと中国の初期国家の社会性質について」、『復旦学報』第6号、2006。
  14. ^ 黄現璠「中国民族歴史に奴隷社会がないことについて」、『広西師範学院学報』第2、3号、1979。
  15. ^ 塚田誠之(著),甘文傑(訳)「新中国創立の前後でチワン族論著の比較研究」、『広西民族研究』第3号、2005。
  16. ^ 陳吉生「チワン族の有名な歴史学者黄現璠が20世紀の中国新しい歴史学の実践と建設に対する貢献について」、『広西民族研究』第1号、2007。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]