濰城区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国 山東省 濰城区
十笏園
十笏園
十笏園
濰坊市中の濰城区の位置
濰坊市中の濰城区の位置
濰坊市中の濰城区の位置
簡体字 潍城
繁体字 濰城
拼音 Wéichéng
カタカナ転写 ウェイチョン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
山東
地級市 濰坊市
行政級別 市轄区
面積
総面積 290 km²
人口
総人口() 37 万人
経済
電話番号 0536
郵便番号 261021
行政区画代碼 370702

濰城区(いじょう-く)は中華人民共和国山東省濰坊市に位置する市轄区

歴史[編集]

県名は濰県の城区であったことに由来する。

596年開皇16年)、隋朝により濰州が設置される。606年大業2年)に濰州は廃止となり北海県とされたが、唐朝が成立すると619年武徳2年)、再び濰州を設置したが、627年(武徳8年)に再び廃止となり青州の管轄とされた。965年乾徳3年)、再び濰州が設置され州治は北海県に設置された。1377年洪武10年)、濰州は濰県に改編、萊州府の管轄とされ中華民国まで沿襲された。

日中戦争期間中は中国共産党抗日拠点とされ、1942年民国31年)12月、濰県北部及び寿光県の一部に寿濰県を設置、それ以外の濰県県域は濰南県とされ、現在の濰城区は濰南県の管轄とされた。国共内戦においては1948年(民国37年)4月に共産党の実効支配権を獲得、濰城から坊子にかけての地区に中央華東局直轄の濰坊特別市(1949年6月3日に山東省直轄の濰坊市に改編)、同年7月には昌濰専区が設置され濰県はその管轄とされた。

1950年5月、濰坊市が廃止となり濰県に編入、同年11月には再び県級市としての濰坊市が誕生し昌濰専区(1967年に昌濰地区、1981年に濰坊地区と改称)の管轄とされた。1958年12月、濰県が廃止となり濰坊市に編入、1961年10月に再び濰県が設置されるなど頻繁な行政区整理が行われている。

1983年8月、濰坊地区が地級市の濰坊市に改編される際、旧濰坊市及び濰県が濰城区とされ現在に至る。

行政区画[編集]

  • 街道:城関街道、南関街道、西関街道、北関街道、于河街道、望留街道(浮煙山開発区)
  • 濰城経済開発区、埠頭山生態経済発展区、軍埠口総合項目管理区