漢氏
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漢氏(あやうじ)は、古く日本に渡来した漢人の子孫と称する集団の総称[1]。古代の漢からの渡来人である中国後漢霊帝の曽孫と伝えられる阿知使主を祖と伝えられる氏族[2][3][4][5][6]。漢人系の中では秦氏と共に代表的な氏族だった[7]
始祖について
[編集]『日本書紀』『古事記』『続日本紀』の所伝を総合すると、中国後漢霊帝の曽孫と伝えられる阿知使主が、応神天皇20年、漢の朝鮮半島における植民地帯方郡から、17県の人夫を率いて帰化した[8][9][6]。後漢霊帝の曽孫というが、実際は漢の朝鮮半島における植民地楽浪郡・帯方郡の漢人遺民とみられる[10][11][12]が、「阿知使主が実在したか否かは不明」という指摘もあり[13]、鈴木靖民は「伝説的人物」[14]、関晃は「阿知使主渡来伝説」としている[15]。
『日本書紀』よりのち、坂上氏の伝えるところによると、阿知使主は後漢の滅亡に際して漢の朝鮮半島における植民地帯方郡に移住し、さらに七姓の民とともに日本に渡る[16]。また、『日本書紀』よりのち、坂上氏の伝えるところによると、阿知使主は応神天皇に奏し、「旧居帯方の人民男女はみな才芸があるが、最近は百済と高句麗の間にあって去就に困っているため、これを呼び寄せたい」と進言、使者を派遣して帯方郡の人民を勧誘し、帰化させたとある[16]。
漢氏について
[編集]東漢氏と西漢氏とに分かれている[1]。阿知使主の一族は、大和国高市郡に住み、大いに栄え、その後一族は東漢氏と西漢氏とに分裂し、東漢氏は大和国に住み、西漢氏は河内国に住んだ[17][12]。東漢氏は多数の氏に分かれて発展し、財力と武力を得て豪族となったが、西漢氏はあまり振るわず、早くに衰退した[18]。
脚注
[編集]- 1 2 3 日本国語大辞典『漢氏』 - コトバンク
- ↑ 世界大百科事典『漢氏』 - コトバンク
- ↑ 日本人名大辞典+Plus『阿知使主』 - コトバンク
- ↑ マイペディア『東漢氏』 - コトバンク
- ↑ 日本大百科全書『阿知使主』 - コトバンク
- 1 2 マイペディア『阿知使主』 - コトバンク
- ↑ 竹内 1978, p. 4.
- ↑ 日本国語大辞典『阿知使主』 - コトバンク
- ↑ 世界大百科事典『阿知使主』 - コトバンク
- ↑ 旺文社日本史事典『阿知使主』 - コトバンク
- ↑ 旺文社日本史事典『漢氏』 - コトバンク
- 1 2 マイペディア『漢氏』 - コトバンク
- ↑ ブリタニカ国際大百科事典『阿直岐』 - コトバンク
- ↑ 朝日日本歴史人物事典『阿知使主』 - コトバンク
- ↑ 関晃. “帰化人”. 世界大百科事典. オリジナルの2021年3月16日時点におけるアーカイブ。
- 1 2 ブリタニカ国際大百科事典『阿知使主』 - コトバンク
- 1 2 ブリタニカ国際大百科事典『漢氏』 - コトバンク
- ↑ 日本大百科全書『漢氏』 - コトバンク