滝沢和典

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滝沢 和典(たきざわ かずのり、本名:瀧澤和典(読み同じ)、1979年12月6日 - )は、競技麻雀のプロ雀士。新潟県長岡市出身(最高位戦所属の金子正輝は同郷)。血液型B型。日本プロ麻雀連盟所属(現在、同団体内での段位は七段)。愛称はタッキー。キャッチフレーズは「越後の奇跡」。酒豪としても知られる(勝った時は旨い酒・負けたらヤケ酒と、ほぼ毎日飲んでいるらしい)。

略歴[編集]

  • 高校時代より麻雀の道に進むことを志すが、周囲からの理解は得られず、音楽の専門学校に入学することを名目に上京。
  • 最高位戦日本プロ麻雀協会のプロテストを受験。筆記試験・面接試験を通過するも、実技試験で大負けし不合格となる。その後、荒正義の紹介で日本プロ麻雀連盟のプロテストを受験し、合格。第16期生として入会。
  • 未来戦士21杯でTV対局に初登場。甘いマスクとセンス抜群の麻雀で一躍脚光を浴びる。
  • 第4回モンド21杯では準々決勝で敗れたものの、1次予選最終戦で足切り寸前から甦って8強まで渋太く残った。
  • 2005年放送の第2回モンド王座決定戦では、トータル3着目で迎えた決勝第2戦オーラス、満貫ツモ条件を満たすアガりで逆転優勝。TV対局では初のタイトルを獲得。
  • 2006年には王位戦で優勝し、初のG1タイトルを獲得。翌年も優勝し、史上4人目となる同タイトル連覇を達成。
  • 2016年頃から、いわゆるスランプに陥り、成績不振に苦しむ。自団体のリーグ戦では長年維持したA2リーグからC1リーグにまで降級(2018年現在)。さらに、AbemaTVで放映されたRTDリーグでは、2年連続でディビジョン最下位に終わった。
  • 2018年、Mリーグのドラフト会議において、EX風林火山から2位指名を受ける。しかし本人は、子供二人の面倒を見なければならないこともあって今の自分が選ばれることはないと、会場に出席していなかった[1]
  • 同年10月12日、Mリーグ1回戦の親番で第一ツモを取り忘れ少牌となった[2][注 1]。しかし、この対局では自身初トップとなる。その後、しばらくの間Twitterの名前を「滝沢少牌和典」にしていた[3]

人物 [編集]

  • 中学時代には野球部に所属していた。
  • 攻守ともにバランスの取れた雀風で、タンピン三色のきれいな手役を好む。
  • 第11回モンド杯では、予選第4戦で四暗刻、第14戦で大三元と、二度の役満をアガった。
  • 既婚者であり、二女の父でもある。

獲得タイトル[編集]

  • 王位 2期(第32・33期)
  • MONDO TVモンド王座(第2回)
  • MONDO TV・モンド杯(第13回)
  • 第13回 ロン2チャレンジカップ 優勝
  • 第4回 野口恭一郎賞棋士部門
  • 第1回 麻雀フォーラム21 優勝
  • 第1回 麻雀トライアスロン・雀豪決定戦 優勝

著書[編集]

テレビ出演[編集]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Mリーグの競技卓は配牌が自動で13枚セットされるので親は第一ツモを取らなければならない。

出典[編集]

  1. ^ 近代麻雀編集部 (2018). 麻雀プロMリーグ選手名鑑. 竹書房. p. 44. ISBN 9784801916609. 
  2. ^ 風林火山、念願の初勝利!滝沢が初トップで視聴者は「タッキー」コールの大合唱/麻雀・大和証券Mリーグ” (日本語). Abema 麻雀 TIMES. 2018年12月9日閲覧。
  3. ^ 少牌、役満テンパイ…滝沢和典は本当に復活したの | キンマweb - KINDAI MAHJONG web”. kinmaweb.jp. 2018年12月9日閲覧。

外部リンク[編集]