滝川忠征

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滝川忠征
Takigawa Tadayuki.jpg
滝川忠征像(大林寺蔵)
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 永禄2年(1559年
死没 寛永12年2月2日1635年3月20日
改名 木全彦二郎(彦次郎) → 滝川法忠 → 盛勝 → 忠征
別名 法忠、盛勝[1]、法名:宗機
通称:彦二郎(彦次郎)、豊前守
戒名 前豊前守滝川大林宗機居士
墓所 大林寺愛知県名古屋市千種区城山町
官位 従五位下豊前守
主君 滝川一益豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠義直
尾張藩
氏族 木全氏滝川氏
父母 父:木全忠澄、母:平手小八郎の娘
義父:滝川一益
兄弟 忠征、木全河内守[2][3]、木全兵部[2]、友田新右衛門[2]
南部下総守[4]の娘

女(伊木常糺[5]室)、女(浅野忠正室)、女(那須長兵衛室)、女(生駒蔵人室)、法直、千保、長松、女(松井喜太郎または松井藤助[6]室)、女(松山内匠室)、女(津田知信室)、時成 (直成)忠尚、小坊、女児

養子:直政[7]

滝川 忠征(たきがわ ただゆき)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。後に尾張藩家老通称を彦二郎(彦次郎)、初名は法忠(のりただ)または盛勝(もりかつ)[1]

略歴[編集]

尾張国中島郡稲島村の出身。木全忠澄の子。はじめ父と共に滝川一益に仕え、しばしば忠功を立てたことを以て、滝川の家号を与えられて滝川姓を称するようになった。

一益に従って各地を転戦し、伊勢国の太田と小稲葉山の城攻め、大坂表・播磨伊賀などで戦功を上げた。

天正10年(1582年)3月、一益が信濃国のうち二郡と上野一国を与えられるとこれに従い、上州新田に所領を持った[8]。同年6月の神流川の戦いでは、本拠の厩橋城の守備を任された[9]

天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは関城を守り、羽柴秀吉の軍と戦った。戦後、滝川一益が所領を全て失うと豊臣秀吉に仕えた。天正12年(1584年)6月、尾張蟹江城で徳川勢を迎え撃って敢闘し、勇将松平康安(善兵衛)と槍を合わせた。

秀吉のもとでは、金切裂指物使番、普請奉行となる[1]

天正18年(1590年)の小田原役では、前田利長木村重茲の軍勢の目付となり、武蔵国八王子城攻めに一番乗りをして先登(せんとう)の手柄を挙げた。また忍城にも、検使として派遣された。寄せ手の浅野長政が敗走すると、忠征は民家に火を放ち、出撃してきた成田勢を撃退した[10]

文禄元年(1592年)の文禄の役では肥前に赴いて秀吉の警備にあたった名護屋御留守番陣衆の1人。文禄3年(1594年)の伏見城普請でも普請奉行の1人となった。

慶長2年(1597年)6月に美濃国加茂郡・(摂津国川辺郡で700石を加増され、併せて2,000石となる。9月に従五位下豊前守に叙任された[11][12]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍の与して、伏見城の戦いに参加。しかしお咎めはなく、徳川家康に召されて仕え、(摂津国川辺郡・美濃加茂郡・丹波国船井郡近江国蒲生郡内にあった[13])所領2,010石余を安堵された。御使番とされる[10]

慶長12年(1607年)に駿府城の普請奉行、慶長15年(1610年)には名古屋城の普請奉行に名を連ねている。この時、家康と徳川秀忠よりそれぞれ御内書を与えられて賞され、帷子胴服を賜った。

元和2年(1616年)、家康の遺命により、尾張大納言徳川義直に属して家禄6,000石を賜り、年寄(家老)となる[12]

また、嫡男法直はすでに死去していたため、元和8年(1622年)に10歳となった孫の直政(母は日向国飫肥藩伊東祐兵の娘)を将軍秀忠に拝謁させ、寛永2年(1625年)に朱印状によって許可を得て、この孫を養嗣子とし所領を継がせた。

寛永12年(1635年)2月2日に77歳(『寛永譜』によれば78歳)で病死し、南桑名町(伏見町)の大林寺に葬られた[12]。戒名は前豊前守滝川大林宗機居士。大林寺は、戦時疎開によって墓や本堂を移転しており、現在は千種区城山町にある。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 高柳 & 松平 1981, p. 145.
  2. ^ a b c 『尾張群書系図部集』第1巻(pp.588-589)による。兄弟については『寛政重修諸家譜』に記載はない。
  3. ^ 浅野長晟の家臣。
  4. ^ 『尾張群書系図部集』 第2巻(p.658)によると南部兼綱(治部少輔)の子。この南部氏は伊勢富田城主の一族。
  5. ^ 七郎右衛門。豊臣氏家臣。『寛政重修諸家譜』に常糺とあるが、常紀(遠雄)のことか。『尾張群書系図部集』では有斎とある。
  6. ^ 金切裂指物使番。
  7. ^ 法直の子。忠征の孫。
  8. ^ 『管窺武鑑』に新田の滝川豊前守と記載されている。
  9. ^ 『上州治乱記』による。
  10. ^ a b 堀田 1923, p. 447.
  11. ^ 高柳 & 松平 1981, p. 146.
  12. ^ a b c 『名古屋市史 人物編 第1』
  13. ^ 堀田 1923, p. 448.

参考文献[編集]