滝大吉

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瀧 大吉(たき だいきち、文久元年12月25日1862年1月24日) - 1902年明治35年)11月23日)は、建築界の創成期に活躍した建築家。現在の大分県速見郡日出町出身。

従兄弟である音楽家瀧廉太郎のよき理解者として、東京高等師範学校附属音楽学校入学を支援したことでも知られる。

工手学校(現工学院大学)造家学科の教員も務めた。

経歴[編集]

1861年、豊後国速見郡日出城下に生まれる。祖父は日出藩家老瀧吉惇通称は瀧平之進)、父は同藩士瀧吉彰。

1883年 工部大学校造家学科を卒業。その後、警視庁御用掛となる。

1884年 太政官会計局勤務となり、ジョサイア・コンドルの助手となる。

1886年、河合浩蔵らと造家学会を設立。造家学会第1回規則を河合浩蔵と共に創定、創立発起人に。同年、臨時建築局二等技手として官庁集中計画に携わる。

1887年 大阪帝国工業会社に入り、建築部長となる。 1888年 神戸明治工業会社を設立し、建築部長となる。

1889年、大阪で土木建築工事鑑定所(後に工学士滝大吉建築事務所)を開設する(日本人建築家による3番目の設計事務所)。また斎藤賢治と工業夜学校を開く(この講義をもとに建築学講義録を発行する)。

1890年 明治工業会社相談役となる。

1891年 陸軍省に入り、陸軍技師となる。陸軍建築法改訂に従事。 1893年 東京砲兵工廠御用掛勤務となる。 1894年 朝鮮国清国に派遣される(1896年帰国)。 1895年、臨時陸軍検疫事務官兼検疫部建築課長となる。 清国威海衛に出張し、臨時兵舎、病舎などを築造する。 その後、臨時建築部主任技師となり、陸軍の6師団増設に伴う日本全国の兵営工事を監督する。 1897年 英·仏·所領植民地の視察調査。1899年 台湾·北京·天津などの兵営築造を行った(1901年まで)。

明治35年11月23日卒去。墓所は青山霊園1-イ-21-15の自ら設計した納骨堂形式のもの。

栄典[編集]

主な作品[編集]

  • 参謀本部庁舎(1899年、現存しない)
  • 第七師団旭川偕行社(1902年、現 中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館、国の重要文化財)
  • 東京府南豊島郡落合村火葬場(1883年)
  • 中央諸官庁計画に参加(1886年)
  • 富山議事堂(1887年)
  • 東京砲兵工廠(1893年)
  • 各地の検疫所(1895年)
  • 清国·朝鮮·台湾および国内の兵営施設(1899-1901年)

著作[編集]

  • 『建築講義録』全3巻 私家版1889(復刻建築書院 1898)
  • 『建築工事設計便覧』大泉龍之輔編 滝大吉·野村一郎校閲 明和書院 1897

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第5395号「叙任及辞令」1901年6月28日。

参考文献[編集]

  • 『建築雑誌』第192號、造家学会、1902年。
  • 『近代日本の異色建築家』近江栄藤森照信編、朝日新聞社、1984年。
  • 三橋四郎「故工学士 滝大吉氏の伝」『建築雑誌』192 1902年12月号
  • 堀口甚吉「滝大吉氏の建築家としての業績 学会論文報告集」号外1965年10月号
  • 堀勇良「奇傑として豪壮に生きた滝大吉」『近代日本の異色建築家』朝日新聞社、1984年
  • 「滝大吉」『日出町誌 資料編』大分県速見郡日出町役場 1986年

関連項目[編集]