溝口紀子
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基本情報 | |||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Noriko Mizoguchi | ||||||||||||||||||||
国 |
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出生地 |
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生年月日 | 1971年7月23日(49歳) | ||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||
階級 | 女子56 kg級 | ||||||||||||||||||||
引退 | 1996年 | ||||||||||||||||||||
JudoInside.comの詳細情報 | |||||||||||||||||||||
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2017年6月26日現在 |
溝口 紀子(みぞぐち のりこ、1971年7月23日 - )は、日本の柔道家。学位は博士(学術)(東京大学・2015年)。公益財団法人全日本柔道連盟評議員、日本武道学会評議員。
女子柔道日本代表選手を経て、静岡県立大学短期大学部社会福祉学科助手、女子柔道フランス代表コーチ、静岡県教育委員会委員長、静岡文化芸術大学文化政策学部教授などを歴任した。
のちに日本女子体育大学体育学部運動科学科スポーツ科学専攻教授を務める。
概要[編集]
静岡県磐田市出身の女子柔道家である[1]。1992年バルセロナオリンピックでは女子柔道52 kg級にて銀メダルを獲得した。また、2004年アテネオリンピックでは、日本人女性初のフランス代表柔道チームのコーチを務めた[2]。フランス語が堪能であり、スポーツ文化論を研究している。静岡県立大学短期大学部の社会福祉学科にて助手を務めたのち[1]、静岡文化芸術大学の文化政策学部にて講師[1]、准教授を経て[1]、教授を務めた[1]。また、静岡県教育委員会の委員を務め、2014年10月からは委員長を務めた[3]。なお、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正に伴い、2015年に教育委員会の委員長が廃止されたため、歴代最後の委員長となった。
来歴[編集]
生い立ち[編集]
1981年、福田町立福田小学校4年のときから柔道を始める。1986年、福田町立福田中学校(のちの磐田市立福田中学校)2年生のとき、全日本体重別選手権56 kgに出場し3位入賞を果たす。1987年、中学3年生のとき、当時の女王山口香に憧れて56 kgから52 kgに階級変更した。同年、全日本体重別選手権の52 kg級決勝で山口香と対戦し送襟絞で一本負け。これをきっかけに寝技を強化し「まむしの溝口」と異名を持つ。1988年、静岡県立浜松西高等学校2年のとき、講道館で開かれた全日本選抜柔道体重別選手権52 kg級で当時10連覇の女王・山口香を破った。1989年、全日本体重別選手権52 kg級2連覇、初のベオグラード世界選手権代表となり7位入賞を果たした。
柔道家として[編集]
1990年、埼玉大学進学後の全日本体重別選手権52 kg級決勝で、植田睦に敗北した。12月の福岡国際女子柔道選手権52 kg級で初優勝を果たす。1991年、全日本体重別選手権52 kg級で植田睦に再度敗北し、世界代表の座を奪われる。12月の福岡国際女子柔道選手権52 kg級で2連覇を果たす。1992年バルセロナオリンピック代表最終選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権にて、ライバル植田睦に決勝で僅差判定勝ち。初の五輪代表の座を獲得。7月31日、バルセロナオリンピックにおいて、52 kg級決勝で地元スペインのアルムデナ・ムニョスに惜敗するも銀メダルを獲得した。12月の福岡国際52 kg級決勝でムニョスにリベンジを果たして3連覇を達成した。
1993年、広島国際女子柔道選手権大会から階級を56 kgに変更し、56 kg世界チャンピオン、五輪2位のニコラ・フェアブラザーに内股で一本勝ち。これをきっかけに56 kgに転向したといわれている。1994年、56 kg級に転向するも国内では立野千代里、菅原教子に敗戦し、日本代表の座から遠のいた。1995年、全日本選抜体重別選手権56 kg級で大塚雅子に内股で一本勝ちし、幕張世界選手権日本代表となる。同年10月の幕張世界選手権では1回戦敗退。1996年、2月のパリ国際決勝で、当時の世界女王ドリウリス・ゴンザレスに勝ち4度目の大会制覇を達成した。1996年アトランタオリンピック最終選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権56 kg級決勝で、立野千代里に僅差判定勝ちし、2度目の五輪代表となる。同年8月のアトランタオリンピックでは、準々決勝で鄭善溶に惜敗し気持ちが切り替えられず敗者復活戦に挑み惨敗、引退を決意した。
柔道引退後[編集]
1997年より静岡県立大学短期大学部の社会福祉学科にて助手を務めた[1]。また、2004年アテネオリンピックにおいては、女子柔道フランス代表チームのコーチを務めた[2]。なお、日本人女性が同国の柔道代表チームでコーチを務めるのは、初めてのことである[2]。その後、2005年より静岡文化芸術大学の文化政策学部で講師を務め[2]、2009年には准教授[2]、2016年には教授に昇任した[2]。
2010年より静岡県教育委員会の委員を務め、2014年10月からは委員長を務めた[3]。2015年に教育委員会の委員長が廃止されたため、歴代最後の委員長となった。
2017年4月27日、読売新聞の取材によると同年6月の静岡県知事選挙に対し「周囲から、『現職に対抗して出るべきだ』という声をいただいており、検討している。ただ、最終的な結論は出していない」と話し[4]、5月1日に記者会見を開き静岡県知事選挙への出馬を表明した[5]。記者会見においては「東京五輪を前にスポーツの力を十分に発揮できるのは、自分しかいない」[6]と主張した。また同日付で支援団体・静岡県政を大刷新する会が設立され、代表に鈴木望(元衆議院議員、元磐田市長)が就任した[7]。
さらに記者会見においては「私は手段を選ばない。自民党と私は見ている方向は一緒で、思いは一つ」[8]と発言するなど、自由民主党に秋波を送った。翌日、自由民主党は独自候補擁立を見送ることを発表した[9]。知事選出馬を自由民主党国会議員会合及び自由民主党静岡県支部連合会役員会で強く反対された自由民主党静岡県支部連合会幹事長である宮沢正美は、自身の出馬について「断腸の思いで出馬を断念させてもらう」としたうえで、幹事長職を辞職することを表明し、溝口への支援について「組織としてはあり得ないと思っている」[9]と明言した。
一方、自由民主党静岡市支部は、「溝口氏が訴えている政策はわれわれに近い」とし、5月8日に推薦を決定した[10]。その後、自由民主党清水支部、由比支部、蒲原支部、焼津支部、浜松支部、磐田市部、袋井支部、沼津支部、伊東支部等も推薦を決定した[11][12]。
6月25日に行われた静岡県知事選挙の投開票では得票数を伸ばせず、現職の川勝平太に破れた[13]。ただし、静岡市3区のうち葵区と駿河区で、溝口が川勝の獲得票数より多く、静岡市全体でも川勝を6,000票近く上回った[14]。同年9月には第48回衆議院議員総選挙で民進党を離党した細野豪志らが立ち上げる希望の党から静岡県第1区での出馬要請を受けたものの「知事選で自民党の支部や1区選出の上川陽子法相にお世話になった。恩をあだで返すことはできない」と固辞した[15]。
略歴[編集]
- 1971年 - 誕生。
- 1994年 - 埼玉大学教育学部卒業。
- 1997年 - 埼玉大学大学院教育学研究科修士課程修了。
- 1997年 - 静岡県立大学短期大学部社会福祉学科助手。
- 2002年 - フランススポーツ省ナショナルコーチ。
- 2002年 - フランス柔道柔術剣道及び関連武道連盟(fr)柔道ナショナルコーチ。
- 2005年 - 静岡文化芸術大学文化政策学部講師。
- 2009年 - 静岡文化芸術大学文化政策学部准教授。
- 2009年 - 磐田市スポーツアドバイザー。
- 2010年 - 埼玉大学フェロー。
- 2011年 - 静岡県教育委員会委員。
- 2011年 - 日本武道学会評議員。
- 2014年 - 静岡県教育委員会委員長。
- 2014年 - 東海体育学会理事。
- 2014年 - 全日本柔道連盟評議員。
- 2015年 - 東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了。
- 2016年 - 静岡文化芸術大学文化政策学部教授。
- 2016年 - スポーツ庁技術選定委員。
- 2017年 - 静岡県大学高専柔道連盟会長。
- 2017年 - 日本スポーツ社会学会理事。
- 2017年 - 静岡文化芸術大学退職。
- 2018年 - 日本女子体育大学体育学部運動科学科スポーツ科学専攻教授。
賞歴[編集]
- 1992年 - 文部大臣賞スポーツ功労賞。
- 1992年 - 内閣総理大臣感謝状銀杯。
- 1992年 - 静岡県知事感謝状。
- 1992年 - 埼玉県民栄誉賞。
- 1992年 - 福田町民栄誉賞。
- 1998年 - NHK静岡あけぼの賞。
- 2012年 - ヤマハ発動機スポーツ振興財団スポーツチャレンジ研究助成特別チャレンジャー賞。
- 2015年 - 静岡文化芸術大学学長奨励賞。
- 2015年 - 秩父宮記念スポーツ医・科学奨励賞(研究団体)。
- 2016年 - 静岡県知事感謝状。
戦歴[編集]
オリンピック記録[編集]
- 1992年バルセロナオリンピック女子柔道52 kg級銀メダル(文部大臣賞;スポーツ功労賞受賞につながる。)
- 1996年アトランタオリンピック女子柔道56 kg級3回戦敗退
主な優勝記録[編集]
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会(5回)
- 福岡国際女子柔道選手権大会(3回)
- フランス国際(4回)
著作[編集]
単著[編集]
- 溝口紀子著『性と柔――女子柔道史から問う』河出書房新社、2013年。ISBN 9784309624648
- 溝口紀子著『日本の柔道フランスのJUDO』高文研、2015年。ISBN 9784874985625
共著[編集]
- 日本体育協会監修、菊幸一編著『現代スポーツは嘉納治五郎から何を学ぶのか』ミネルヴァ書房、2014年。ISBN 9784623071289
分担執筆、寄稿、等[編集]
- 静岡文化芸術大学文化政策学部国際文化学科編『国際文化学への第一歩』すずさわ書店、2013年。ISBN 9784795402317
- 石坂友司・小澤考人編著『オリンピックが生み出す愛国心』かもがわ出版、2015年。ISBN 9784780307788
インタビュー[編集]
- 内田良著『柔道事故』河出書房新社、2013年。ISBN 9784309246239
脚注[編集]
- ^ a b c d e f 溝口 紀子 - 教員紹介 - 公立大学法人 静岡文化芸術大学(2016年10月19日時点のアーカイブ)
- ^ a b c d e f 静岡県知事選取材班「溝口氏出馬を検討――磐田出身女子柔道メダリスト」『中日新聞』26771号、11版、中日新聞東海本社、2017年4月28日、1面。
- ^ a b 「静岡県教育委員長就任の溝口紀子氏『若さとバイタリティで現場を活性化』」『静岡県教育委員長就任の溝口紀子氏「若さとバイタリティで現場を活性化」 - 産経ニュース』産経デジタル、2014年10月21日。
- ^ 五輪「銀」溝口紀子氏、静岡知事選に出馬を検討 2017年04月28日 10時07分読売新聞
- ^ 知事選取材班「溝口氏が正式出馬表明」『中日新聞』26775号、11版、中日新聞東海本社、2017年5月2日、1面。
- ^ 「溝口紀子氏会見の要旨」『溝口紀子氏会見の要旨(1/2ページ) - 産経ニュース』産経デジタル、2017年5月2日。
- ^ 「溝口氏支援の2団体 静岡県選管に政治団体設立届」静岡新聞2017/5/9
- ^ 「溝口紀子氏会見の要旨」『溝口紀子氏会見の要旨(2/2ページ) - 産経ニュース』産経デジタル、2017年5月2日。
- ^ a b 知事選取材班「宮沢幹事長が出馬断念――自民県連、独自候補立てず」『中日新聞』26776号、11版、中日新聞東海本社、2017年5月3日、1面。
- ^ [1]静岡新聞2017/5/8
- ^ [2]静岡新聞
- ^ [3]静岡新聞
- ^ “現職の川勝平太氏、溝口氏破り3選…静岡知事選 : 政治”. 読売新聞 (2017年6月25日). 2017年6月26日閲覧。
- ^ 得票分析 静岡市「県との関係」を懸念 溝口氏、川勝氏上回る /静岡[4]
- ^ 「細野氏の新党出馬要請、溝口氏断る 「自民お世話に…」」朝日新聞2017年9月24日23時22分
関連人物[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 溝口紀子 公式WEBサイト - 公式ウェブサイト
- 溝口紀子 Noriko Mizoguchi - Facebook
- Noriko MIZOGUCHI (@mysomizo) - Twitter
- Noriko Mizoguchi - JudoInside.com のプロフィール(英語)
- 溝口紀子 - Researchmap
- 溝口紀子 - J-GLOBAL
- 溝口紀子 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
- 研究者リゾルバーID:1000040343727
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