源憲定
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 寛仁元年6月2日(1017年6月29日) |
改名 | 憲定王→源憲定 |
官位 | 従三位、右兵衛督 |
主君 | 一条天皇→三条天皇 |
氏族 | 源朝臣(村上源氏) |
父母 | 父:為平親王、母:源高明の娘 |
兄弟 | 憲定、頼定、為定、顕定、婉子女王、具平親王妃、恭子女王、教定、敦定 |
妻 | 藤原有国の娘 |
子 |
対の君、源則理室 養子:公綱 |
源 憲定(みなもと の のりさだ)は、平安時代中期の公卿。村上天皇の第四皇子、一品・為平親王の長男。官位は従三位・右兵衛督。
経歴[編集]
長徳2年(996年)8月5日右兵衛督に任じられ、同年(月日不詳)従三位に叙されるが、祖父・源高明の失脚などにより長く昇進することなく寛仁元年(1017年)6月に薨去した[1]。あまり目立たない人物だったという。